“逃げ”の戦略
六花の右わき腹が侵食されていく。とっさにハナカマキリに咥えさせ、六花は飛び上がった。宿主の危機にハナカマキリが反応したのだ。相馬は手傷を負わせたことに喚起し、これ以上の追撃はしなかった。
「っつ、すみちゃんに怒られそう」
六花はそう呑気なことを言った。水族館の入口で六花を待っていた純は見るからに慌てていた。見ると、いくつものパトカーがあった。特環の車で、きっとこの中に相馬がいること、そして六花との戦闘態勢に入ったことに気づいたようだ。
「六花!」
六花に気づいた純が駆け寄ってきた。
「今は“むいか”だよ、すみちゃん」
ハナカマキリに地面に下ろしてもらい、六花はへらへらと笑い声を上げた。
「馬鹿野郎。こんな時に笑う奴がいるかよ!」
「“むいか”。これ以上の失敗は許さんぞ」
同じ南中央支部の男が小さな声で呟いた。
「………」
六花はうなだれた。六花は優れた虫憑きではないのだ。誰も彼もが超人になれるわけではない。分離型は特に個体差が激しい。六花の能力は攻撃に向かない。戦わなければならない戦場で“逃げる”ことに特化した六花の能力は、はっきり言って役立たずなのだ。
「いかなきゃね」
「おい、り……“むいか”」
「うん」
「俺にできることはあるか?」
「ないよ」
きっぱりと六花は答えた。応急手当の済んだ体で立ち上がる。ゆっくりと純の方を振り返る。
「だって、すみちゃん。虫憑きじゃないんだもの」
それだけを言うと、六花はハナカマキリに乗った。同じように向かうのではなく、六花はハナカマキリの体を撫で、薄い皮のような物をいくつも作りだした。
「さぁ、いって!」
六花はそれらを風に乗せて飛ばした。この断片こそが5年間、特環にもむしばねにも属さなかった、否“逃げきった”証。六花が特環に入ったのは、行き場がないと思ったからだ。もう、逃げ続けるのに疲れてしまったからだ。特環の“虫を無かったことにする”という考えにはあまり賛同できない。だからと言って“虫憑きだけの楽園を作る”というむしばねの考えにも賛同できない。
相馬は急に現れた“大群”におののいた。たしかに、施設の外には多くの敵がいるのは分かっている。だが、ここまでの大群は見たことはない。すでに日は落ち、視界は真っ暗だ。虫の関知能力で数を割り出しているが、ここまでの数は見たことがない。
「くそ!」
手当たり次第に水流を当てているが、手ごたえがない。むしろ当たったところが分離し、増えているようにも感じる。
「どうなっているんだよ!」
「こうなってるんです!」
バンッ。
六花の放った拳銃の弾が相馬の腹を抉った。それと同時に、ハナカマキリがアキアカネに食らいついた。
「かくれほは、自分の体からチャフを撒けるんです。探知能力をごまかせるくらい、多く」
バン。
今度は左肩に命中する。
「許さねぇぞおおおお!!」
「あなたはもう、特環では扱いきれません! 公の法の下、裁きを受け入れなさい!」
六花の叫び声とともに、ハナカマキリがアキアカネの最後のひとかけらを飲み込んだ。とたんに相馬の体から力が抜け、プールに沈んだ。これで、二度と目を覚ますことはないだろう。いや、生きてはいるのだが、死んでいるような存在になってしまう。
「“むいか”。相馬を“欠落者”にしました――――以上」
六花が戦いに向かないのは、このチャフは分身ではないということだ。だから、暗闇に乗じて戦うしかなくなるのだ。
「これ、いつまで続くのかな……」
六花はハナカマキリを消した途端、はと思いついたのだ。
「いいこと思いついた」
六花の目にはまだ光がともっていた。
5.六花の夢
それから数日経ち、相馬が逮捕されたとのニュースが流れた。あれほど気性が激しかった相馬がいまでは大人しくなっていることに疑問の声が流れたが、罪の重さに絶望しているからだという解釈になった。
「普通に無期懲役かな。それか、精神病棟行きか」
「それじゃ、国民感情が許さんだろうが。ネットの評価を知らんのか、このSNS廃人」
いつもの通り、車に座り六花と純は話し合っていた。
「ねぇ、ふと思ったんだけど、聞いてくれる?」
「はぁ?」
「虫憑きが“欠落者”にならなくて済む方法」
「前に言ってた、“夢を持ち続ける”ってやつか?」
食われた夢は仕方ないとして、別の夢を持ち続ければ死なないのではないか、という仮説を六花は純に語っていた。
「そうそう! あともう一つはね」
「もう一つは?」
「やっぱり、言うのはやめた。すみちゃんが夢を教えてくれない限り」
この相方は、なぜか夢を語りたがらない。夢をくわれない限り、虫憑きになることはない。だが、だれしも夢はあるものだと六花は思っている。
「おめーには絶対いわねー」
「だよねー」
くすくすと六花は笑った。
「さぁて、今日もバリバリお仕事しようね、すみちゃん!」
「頼むぜ、ステルスカマキリ」
エンジンをふかす車の中で、六花は静かに誓った。
特環も、むしばねも気づいていない全ての解決方法。そう、
――――“はじまりの三匹”を倒す。
「っつ、すみちゃんに怒られそう」
六花はそう呑気なことを言った。水族館の入口で六花を待っていた純は見るからに慌てていた。見ると、いくつものパトカーがあった。特環の車で、きっとこの中に相馬がいること、そして六花との戦闘態勢に入ったことに気づいたようだ。
「六花!」
六花に気づいた純が駆け寄ってきた。
「今は“むいか”だよ、すみちゃん」
ハナカマキリに地面に下ろしてもらい、六花はへらへらと笑い声を上げた。
「馬鹿野郎。こんな時に笑う奴がいるかよ!」
「“むいか”。これ以上の失敗は許さんぞ」
同じ南中央支部の男が小さな声で呟いた。
「………」
六花はうなだれた。六花は優れた虫憑きではないのだ。誰も彼もが超人になれるわけではない。分離型は特に個体差が激しい。六花の能力は攻撃に向かない。戦わなければならない戦場で“逃げる”ことに特化した六花の能力は、はっきり言って役立たずなのだ。
「いかなきゃね」
「おい、り……“むいか”」
「うん」
「俺にできることはあるか?」
「ないよ」
きっぱりと六花は答えた。応急手当の済んだ体で立ち上がる。ゆっくりと純の方を振り返る。
「だって、すみちゃん。虫憑きじゃないんだもの」
それだけを言うと、六花はハナカマキリに乗った。同じように向かうのではなく、六花はハナカマキリの体を撫で、薄い皮のような物をいくつも作りだした。
「さぁ、いって!」
六花はそれらを風に乗せて飛ばした。この断片こそが5年間、特環にもむしばねにも属さなかった、否“逃げきった”証。六花が特環に入ったのは、行き場がないと思ったからだ。もう、逃げ続けるのに疲れてしまったからだ。特環の“虫を無かったことにする”という考えにはあまり賛同できない。だからと言って“虫憑きだけの楽園を作る”というむしばねの考えにも賛同できない。
相馬は急に現れた“大群”におののいた。たしかに、施設の外には多くの敵がいるのは分かっている。だが、ここまでの大群は見たことはない。すでに日は落ち、視界は真っ暗だ。虫の関知能力で数を割り出しているが、ここまでの数は見たことがない。
「くそ!」
手当たり次第に水流を当てているが、手ごたえがない。むしろ当たったところが分離し、増えているようにも感じる。
「どうなっているんだよ!」
「こうなってるんです!」
バンッ。
六花の放った拳銃の弾が相馬の腹を抉った。それと同時に、ハナカマキリがアキアカネに食らいついた。
「かくれほは、自分の体からチャフを撒けるんです。探知能力をごまかせるくらい、多く」
バン。
今度は左肩に命中する。
「許さねぇぞおおおお!!」
「あなたはもう、特環では扱いきれません! 公の法の下、裁きを受け入れなさい!」
六花の叫び声とともに、ハナカマキリがアキアカネの最後のひとかけらを飲み込んだ。とたんに相馬の体から力が抜け、プールに沈んだ。これで、二度と目を覚ますことはないだろう。いや、生きてはいるのだが、死んでいるような存在になってしまう。
「“むいか”。相馬を“欠落者”にしました――――以上」
六花が戦いに向かないのは、このチャフは分身ではないということだ。だから、暗闇に乗じて戦うしかなくなるのだ。
「これ、いつまで続くのかな……」
六花はハナカマキリを消した途端、はと思いついたのだ。
「いいこと思いついた」
六花の目にはまだ光がともっていた。
5.六花の夢
それから数日経ち、相馬が逮捕されたとのニュースが流れた。あれほど気性が激しかった相馬がいまでは大人しくなっていることに疑問の声が流れたが、罪の重さに絶望しているからだという解釈になった。
「普通に無期懲役かな。それか、精神病棟行きか」
「それじゃ、国民感情が許さんだろうが。ネットの評価を知らんのか、このSNS廃人」
いつもの通り、車に座り六花と純は話し合っていた。
「ねぇ、ふと思ったんだけど、聞いてくれる?」
「はぁ?」
「虫憑きが“欠落者”にならなくて済む方法」
「前に言ってた、“夢を持ち続ける”ってやつか?」
食われた夢は仕方ないとして、別の夢を持ち続ければ死なないのではないか、という仮説を六花は純に語っていた。
「そうそう! あともう一つはね」
「もう一つは?」
「やっぱり、言うのはやめた。すみちゃんが夢を教えてくれない限り」
この相方は、なぜか夢を語りたがらない。夢をくわれない限り、虫憑きになることはない。だが、だれしも夢はあるものだと六花は思っている。
「おめーには絶対いわねー」
「だよねー」
くすくすと六花は笑った。
「さぁて、今日もバリバリお仕事しようね、すみちゃん!」
「頼むぜ、ステルスカマキリ」
エンジンをふかす車の中で、六花は静かに誓った。
特環も、むしばねも気づいていない全ての解決方法。そう、
――――“はじまりの三匹”を倒す。
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