16話 ロベリアの贈り物
10月14日の早朝、僕は玄関のドアが激しく叩かれる音で目を覚ました。
「起きろ、ねぼすけ! 昨日の約束を忘れたのか? 今日は故郷スマル村に帰る日だ。この声が聞こえたなら、最低限の荷物をまとめてとっとと出てこい!」
フェッドのうるさい声だ。
あいつは鳥よりも早い時間に鳴きやがる。
くそ、本当に行くのかよ。
こういうことになるのは覚悟していたが、どうしても抗いたい気持ちでいっぱいだった。
体を起こして時計を見れば、針は5時過ぎを指している。
その知らせは僕の機嫌をさらに悪くさせた。
どうせ寝たふりをしても、あのキノコ野郎はドアを叩き続けるだろう。
僕は不承不承重い足取りで玄関へ向かう。
返事をしに、ではなく、断りにだ。
覗くようにして玄関のドアを開けた。
「よう、やっと起きたか。準備はできているか? できていないなら早くしてこい!」
ドアの前には威勢の良いフェッドが仁王立ちしていた。
その隣ではティノが世間知らずのような笑みを浮かべている。
「悪いけど、僕は帰らないよ。行くなら君らだけで行けばいいさ。ちょっとした観光だと思えば安いほうだろう」
僕は最後にティノをちらりと見て部屋に戻ろうとした。
すると、フェッドが僕の胸ぐらを掴み、強引に外に引っ張り出す。
「おいおい、そりゃねぇだろ? せっかくティノが御者を雇ってくれたんだぜ。ここで行かないって選択肢はないだろう」
フェッドは怒っているわけではなかった。
むしろ怒っているのは僕のほうなのだが。
「行かないったら行かないね。僕はあの村に帰りたくないんだ。ほっといてくれ!」
「へへ、いいのかグロム? お前がこのまま拒み続ければ、俺はお前を気絶させて勝手に支度しちまうぜ? 私物を許可なくいじられるのは、お前にとっちゃ気絶させられるよりも怖いだろう?」
そう言ってフェッドが笑顔で手刀を見せつけてくる。
僕は押し黙ってしまった。
例の写真が脳裏をよぎったからだ。
「どうだ、行く気になったか?」
「……わかったよ、行くよ。だから放してくれ。準備してくる」
そうして僕はしぶしぶ部屋に戻り、支度を始めた。
といっても、替えの服を鞄に詰め込む程度だ。
あとは着替えて終わり。
臭いが少し気になるが、向こうに行けば香水くらいあるだろう。
そして僕は部屋をあとにしようとすると、ふとベッドサイドテーブルの最下段が気になってしまった。
その中には血塗れた写真が入っている。
アレを持っていかなくても大丈夫だろうか。
ここに置いている間に誰かに見つかったりしないだろうか。
いや、持ち出したほうが万が一のときに見られてしまうかもしれない。
それに、あんなものを朝から目にしては、気分を害するどころじゃ済まされない。
僕は写真をこの部屋に置いておくことにした。
外に出ると、フェッドとティノに加えて、一人の男が増えていた。
その男はフェッドに塊になった白い小花を手渡しているところだった。
「アウトラーさん」
僕がそう呼んだのは昨日も会った花屋だった。
彼は痩せ細った体躯に似合わぬ笑みを僕に向ける。
「やぁ、昨日フェッド君から君らが帰郷することを聞いたんだ。それで、手土産に花をプレゼントしようと思ってな」
「はぁ……」
僕はアウトラーから奇妙な不気味さを感じた。
いや、彼に不快感を感じることはいつものことだ。
ただ、昨日の彼が相対的にまともに見えただけだろう。
「フェッド君にはライラック、カルネヴァルちゃんにはキキョウをプレゼントしたんだ」
ちらりとティノを見やると、確かに星形の白い花を手に持っている。
花屋は、ライラックは甘い香りがするということ、キキョウは東のほうで咲く花であることなどを説明した。
「そしてディニコラ君、君には2種類の花をプレゼントしよう」
花屋はそう言って、一つ目の花を差し出す。
ラッパのような形をした黒い花だ。
「クロユリだ。気品があって美しい花だろう。これは君のお母さんへの贈り物だ」
僕は簡素にラッピングされた花を受け取る。
確かに綺麗な花だが、その黒色は僕に形容しがたい畏怖の念を覚えさせる。
僕は何かを言おうとしたが、声帯が閉まるような感じがして何も言えなかった。
「そして、二つ目の花がこれだ」
同じようにして差し出された花を手に取る。
今度は青みがかった紫の小さい花をいくつか束にしたものだ。
僕にはなぜか、この花がどれよりも魅力的に思えた。
「これはロベリア。彼女から聞いたさ。以前買ってくれたホタルブクロが萎れてしまったんだってな。だからほら、新しい花だ。前と同じものじゃつまらないだろうから、今の君に似合うものを贈ろう」
事実とは少し異なるが、ティノが彼にそう伝えたのだろう。
「ありがとうございます。お代は帰ってきたら支払います」
「何言っているんだ? プレゼントって言っただろう。だからお代は結構だ」
アウトラーは優しくそう言って僕らに背を向ける。
「旅路に何事もないことを祈る」
彼のその親切さは、気味の悪いほどに丸まった猫背によってかき消された。
「起きろ、ねぼすけ! 昨日の約束を忘れたのか? 今日は故郷スマル村に帰る日だ。この声が聞こえたなら、最低限の荷物をまとめてとっとと出てこい!」
フェッドのうるさい声だ。
あいつは鳥よりも早い時間に鳴きやがる。
くそ、本当に行くのかよ。
こういうことになるのは覚悟していたが、どうしても抗いたい気持ちでいっぱいだった。
体を起こして時計を見れば、針は5時過ぎを指している。
その知らせは僕の機嫌をさらに悪くさせた。
どうせ寝たふりをしても、あのキノコ野郎はドアを叩き続けるだろう。
僕は不承不承重い足取りで玄関へ向かう。
返事をしに、ではなく、断りにだ。
覗くようにして玄関のドアを開けた。
「よう、やっと起きたか。準備はできているか? できていないなら早くしてこい!」
ドアの前には威勢の良いフェッドが仁王立ちしていた。
その隣ではティノが世間知らずのような笑みを浮かべている。
「悪いけど、僕は帰らないよ。行くなら君らだけで行けばいいさ。ちょっとした観光だと思えば安いほうだろう」
僕は最後にティノをちらりと見て部屋に戻ろうとした。
すると、フェッドが僕の胸ぐらを掴み、強引に外に引っ張り出す。
「おいおい、そりゃねぇだろ? せっかくティノが御者を雇ってくれたんだぜ。ここで行かないって選択肢はないだろう」
フェッドは怒っているわけではなかった。
むしろ怒っているのは僕のほうなのだが。
「行かないったら行かないね。僕はあの村に帰りたくないんだ。ほっといてくれ!」
「へへ、いいのかグロム? お前がこのまま拒み続ければ、俺はお前を気絶させて勝手に支度しちまうぜ? 私物を許可なくいじられるのは、お前にとっちゃ気絶させられるよりも怖いだろう?」
そう言ってフェッドが笑顔で手刀を見せつけてくる。
僕は押し黙ってしまった。
例の写真が脳裏をよぎったからだ。
「どうだ、行く気になったか?」
「……わかったよ、行くよ。だから放してくれ。準備してくる」
そうして僕はしぶしぶ部屋に戻り、支度を始めた。
といっても、替えの服を鞄に詰め込む程度だ。
あとは着替えて終わり。
臭いが少し気になるが、向こうに行けば香水くらいあるだろう。
そして僕は部屋をあとにしようとすると、ふとベッドサイドテーブルの最下段が気になってしまった。
その中には血塗れた写真が入っている。
アレを持っていかなくても大丈夫だろうか。
ここに置いている間に誰かに見つかったりしないだろうか。
いや、持ち出したほうが万が一のときに見られてしまうかもしれない。
それに、あんなものを朝から目にしては、気分を害するどころじゃ済まされない。
僕は写真をこの部屋に置いておくことにした。
外に出ると、フェッドとティノに加えて、一人の男が増えていた。
その男はフェッドに塊になった白い小花を手渡しているところだった。
「アウトラーさん」
僕がそう呼んだのは昨日も会った花屋だった。
彼は痩せ細った体躯に似合わぬ笑みを僕に向ける。
「やぁ、昨日フェッド君から君らが帰郷することを聞いたんだ。それで、手土産に花をプレゼントしようと思ってな」
「はぁ……」
僕はアウトラーから奇妙な不気味さを感じた。
いや、彼に不快感を感じることはいつものことだ。
ただ、昨日の彼が相対的にまともに見えただけだろう。
「フェッド君にはライラック、カルネヴァルちゃんにはキキョウをプレゼントしたんだ」
ちらりとティノを見やると、確かに星形の白い花を手に持っている。
花屋は、ライラックは甘い香りがするということ、キキョウは東のほうで咲く花であることなどを説明した。
「そしてディニコラ君、君には2種類の花をプレゼントしよう」
花屋はそう言って、一つ目の花を差し出す。
ラッパのような形をした黒い花だ。
「クロユリだ。気品があって美しい花だろう。これは君のお母さんへの贈り物だ」
僕は簡素にラッピングされた花を受け取る。
確かに綺麗な花だが、その黒色は僕に形容しがたい畏怖の念を覚えさせる。
僕は何かを言おうとしたが、声帯が閉まるような感じがして何も言えなかった。
「そして、二つ目の花がこれだ」
同じようにして差し出された花を手に取る。
今度は青みがかった紫の小さい花をいくつか束にしたものだ。
僕にはなぜか、この花がどれよりも魅力的に思えた。
「これはロベリア。彼女から聞いたさ。以前買ってくれたホタルブクロが萎れてしまったんだってな。だからほら、新しい花だ。前と同じものじゃつまらないだろうから、今の君に似合うものを贈ろう」
事実とは少し異なるが、ティノが彼にそう伝えたのだろう。
「ありがとうございます。お代は帰ってきたら支払います」
「何言っているんだ? プレゼントって言っただろう。だからお代は結構だ」
アウトラーは優しくそう言って僕らに背を向ける。
「旅路に何事もないことを祈る」
彼のその親切さは、気味の悪いほどに丸まった猫背によってかき消された。
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