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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第11話

「……来た……やっぱり見間違いじゃなかったんだ……」
 キスできそうなほど近くにある少女の顔は、通りを向いている。
 視線の先にいるのは、高校生くらいの男女四人。そのどの顔にも直次は見覚えがない。
「あいつら、誰だ?」
「……わたしの同級生……もし男の人といるところを見られたら、またくだらない冷やかしを受けるだろうから、こうして隠れたの……」
 なるほど、と直次は頷きかけたが、疑問が浮かんだので、訊ねた。
「なあ……あのさ……」
「何かしら? もうちょっとだけ黙ってて。どうせすぐどっか行くわ。……おおかた行きつけのカラオケボックスが満室だったから、別のところに向かってるんでしょうし。クリスマスなのに予約もしなかったのね」
 四人組は、いまいち話が弾まない様子で、ぶらぶらと歩いている。そのため、なかなか遠くにいかない。直次は小声で質問した。
「あのさ、ひとつ訊いていいか」
「何?」
「……なんで俺まで一緒に隠れてるんだ? 必要あるか?」
 少女は驚いたように、まじまじと目の前にある少年の顔をしばらく見つめた。
「……ないわね」
 ようやく冷静になった彼女は、今更ながら自分達の格好に気づいたらしい。まるで抱き合うような形だ。
「……ちょっ! くっつかないでよ!」
「無茶言うなっ! 好きで俺はくっついてるわけじゃないぞ! ここが狭すぎるんだっ!」
「わたしだってそうよ!」
 真っ赤な顔になって少女が叫び返す。
 身動きするたびに、かえって少女のジャージの下にある意外と着やせする体が形を変えるほどに押しつけられる。
「どこ触ってるのよっ! や……やだ……!」
「触ってない! 別に触ろうともしていない! 誤解だっ!」
 ふたりの罵倒は、すっかりあの四人組が見えなくなった後も気づかず、しばらく続いていた。
 建物の隙間から這い出すように出たふたりは、同時にため息を吐いた。乱れた衣服を直したが、まだふたりとも顔は真っ赤だった。
「……はぁ……なんか酷い目にあったぜ……」
「どういう意味かしら」
 少女がぎろりと睨んできた。直次は慌てた。
 だが、ふいに、少女の口調が真剣なものに変わった。
「ねえ、さっき見せたその汗……汗じゃないわね」
「えっ」
「それってたぶん、ただの水でしょう? わたし、鼻がいいし、汗の臭いは嗅ぎ慣れてるから」
「へえ、よくわかったな。これは汗じゃない」
「やっぱり……」
 少女の顔に落胆が浮かぶ。
「じゃあ、ランニングってのも嘘ね……厳しい稽古が嫌で、騙すために水を汗に見せかけてたわけか……」
「……そうだけど、だから何だ?」
「別に……。ただ、わたし、一生懸命でない人は嫌いだから」
「そう言うが、一生懸命やったからって何かになるのか?」
 直次は言い返した。
「どういう意味かしら?」
 いぶかしげな視線を向ける少女の顔を見つめて、直次は答える。
「例えば、古武術の稽古を一生懸命したって意味なんかないだろ? 誰も必要としていない。古武術なんて必要のない科学全盛の時代なんだ。真剣に古武術を学んだからといって、それで、いい大学に行けるわけでも、一流企業に就職できるわけでもない」
「そういう考え方をする人だったんだ……」
 少女の声は残念そうだった。
 ふたりの間に沈黙が下りた。言い合いから一転して、同時に口をつぐんだので、その沈黙はひどく居心地の悪いものだった。
「じゃあ、俺はもう行く」
 直次は、その嫌な沈黙を避けるように別れを告げ、少女も引き止めようとはしなかった。
「ええ。助けてくれて、ありがとう。……じゃあね」
 ふたりは別れて、背を向けて歩きだした。直次は、少女とは反対方向に歩きながら、ふいに気づいた。そういえば名前さえ聞かなかったな。まあ、どうせもう二度と会うこともないか……。
 名乗らず別れたことがなんとなく気になって、背後を振り返ると、ちょうど少女がレジ袋を落としたところだった。
 直次は特に理由もなかったが、なんとなく少女の元に戻り、そのレジ袋を拾ってあげた。
 戻ってきた直次を見て、少女は少し目を丸くした。
「どうしたの?」
「……荷物多いだろ。半分手伝うよ」
 しばらくきょとんとした後、少女は微笑んだ。直次が思わず照れるほど、純粋な喜びがうかがえる笑顔だ。
「ありがとう……二度も助けられたわね」
「おおげさだな」
「でも、どうして助けてくれたの? 男たちに絡まれていた時も、あまり乗り気じゃなかったみたいだけど」
 直次は、おむつの入ったレジ袋を半分持つと、逡巡するように曇り空を見上げた。空は濃い灰色をした雲に覆われている。まるで煤けた分厚い鉄板が貼りついているかのように、重苦しい曇り空だった。
「俺は誰からも必要とされてないんだ」
 唐突な台詞だったが、黙って少女は続きを待った。
「古武術なんて、明治維新や文明開化で衰退し、取り残された過去の遺物だ。よくて『伝統文化』ってところだ。……できても何の役にも立ちはしない。そのうえそんな『伝統文化』も兄貴のほうがずっと上手いんだ。そして、兄貴はもうすでに師範代で、道場を継ぐのは兄貴に決まってる。……つまり、俺は使えない技を覚えた、誰からも必要とされていない男なんだ。だから……ちょっとは他人の役に立ちたかったのかもな」
 空から視線を戻し、直次は見つめた。誰かのために働いている少女を。
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