欲望の再会
征陸たちが槙島のあとを追いかけ東金財団に向かおうとしていた時間より一日前のできごとである。
チェ・グソンが戻ってくると思ってもいない彼らに、想定外の事態がふりかかった。
東金美沙子の来訪である。
「アポイントもなしに、失敬ではないかな、東金美沙子さん」
創設者の部屋に、護衛の者を押しのけて入ってきたのは、中年時期をとうにすぎた女性だった。
創設者である槙島聖護は、彼女を東金美沙子と呼ぶ。
「ずいぶんと態度が大きくなったものね、槙島聖護。今のあなたがあるのは誰の後ろ盾があったからだと思っているの」
「その節は大変お世話になりました。恩義は忘れてはいませんよ。ですから、折々、そちらの申し出に対応していたではありませんか」
「ええ、まあ、そうね。でも、こちらが一番望むものにはずいぶんと反抗的のようね。どういうことかしら?」
「ああ、あの件ですか。あれは政府役員の中にも反対者は多く、世論に至ってはそれ以上だという結果がでています。僕としても、賛同しかねる。人が人らしく生きる、それこそ人生の美学だと思っています。だから、サイボーク化推奨事案は進まなかった。この世界はその道には進まず、自然保護、地球温暖化対策などに尽力、投資する道を選んだ。なのに、なぜクローンという結論にたどり着くのかが理解しかねる。ゲームのように簡単にリセットできないからこそ、楽しいのではないだろうか、人生は。苦難も楽しめる、そんな人間が理想ではないだろうか」
「……あいかわらず、青臭い。理想と現実の区別ができない青二才のままだね。人の最大欠点は死への恐怖、病におかされる恐怖、恐怖だらけの人生の中で唯一の希望が永遠の命。肉体は滅んでも魂は死なない。それを実現するのにはクローンに自分の記憶を引き継がせること。そして絶滅生物の救済にもなる」
「理想ですが、リスクが大きすぎます。なぜ人は近親者間での結婚をタブーとしたのか、歴史を知ればクローンはタブー行為であるとわかるはず」
「時代が違うのだよ。今では成功した世界、失敗した世界を参考にすることで失敗のリスクを減らすことができる」
「別世界への干渉もタブーですよ」
「それを責められる立場か?」
「少なくとも、情報収集はしますが、別世界に関わってはいません。まあ、極力ですが、その世界が根底から崩れてしまうようなことには関わってはいませんよ?」
「そう、そう言い切るのなら、自分の目で確かめてみることね」
突如、槙島を拘束しようと人がなだれ込む。
「外の護衛は片づけさせてもらったわ。私設警備隊の所有は自分だけとは思わないことね。こちらは各国から退役者を召集、軍人並の訓練で鍛えた私設警備隊。逆らわずに従いなさい」
「そこで応じると思っているとは思えないな。どうせ僕が逃げることも想定内。そうだな、逃げた先に本命がいるってことかな。その策に乗ってあげるよ。ただし、どんな目にあっても、クローンには反対だけどね」
槙島は座っていた椅子の肘おきの裏側に手を回し、板をスライドさせる。
その中にはスイッチのようなボタンがあり、押す。
すると舞台の奈落が下がるように、椅子ごと槙島が下がっていった。
東金美沙子はそれを見ても動じず、
「隠し通路は想定内だよ。なにせ、地震大国と言われているこの国では避難シェルター完備は必須だからね。最上階にある執務室から直に避難するための隠し通路は私も設置してあるんだよ。だからね……」
と一旦言葉を切ってから、
「例のものはちゃんと用意できたんだろうね?」
と側にいた護衛に聞く。
「はい。先ほど出現したと報告が」
「よろしい。その場所に移動する。ふたりを確保する。死ななければある程度のことはしても構わない」
「ラジャー!」
※※※
上で東金美沙子がそんな話をしていたと槙島は考えるゆとりはなかった。
この先の出口になにが待ちかまえているのか、飛び出した瞬間に攻撃されることを想定して身構える。
そして目の前が開けると、そこに佇んでいたのは、
「狡噛慎也? チェ・グソンと落ち合えたってことか。よかったよ、無事で……」
と親しい友の帰還を歓迎するようにハグしようとした。
ところが、
「……なっ、槙島、聖護、だと? どうなっていやがる、これは。ホロか? いや、今、チェ・グソンと言ったな。あいつもいるのか。これは夢か?」
それとも固執するがあまり、なにかあれば槙島ならどう考えるだろうと考えてしまう自分がさらにおかしくなったのではないかとさえ疑ってしまう。
「ホロ? ああ、キミは僕の知っている狡噛慎也ではないな。シビュラ世界の狡噛か。東金美沙子、あの女、勝手に別世界の人間を……」
「別世界? なにいってやがる、槙島!」
並行線嬢にいくつもの世界が存在していると知らない狡噛に、ここはいるべき世界ではないと説明したとこで理解できるだろうか。
相手は憎い相手として自分を見ている。
話を聞かせるためには、力関係で自分が上であると体に教える必要があるようだ。
「まったく、時間がないって時、厄介なものを設置してくれるよ、あの女は!」
といいながら、間合いをとる。
そして視線で監視カメラの位置を確認し、自分と狡噛がはっきりと映る立ち位置にはいる。
先に攻撃を仕掛けたのは狡噛だった。
幾多の戦地を駆け抜けた狡噛にとって、素人に毛が生えた程度なら負ける気はしない。
知っている槙島の実力から想定しても、今回は打ち合い負ける気はしなかった。
だが、
「どうした、槙島。本当のおまえはこんなもんじゃないだろう?」
くりだす拳がガードされずにすべてヒットする。
さらに相手のくりだすパンチはスローモーションのよう。
これがあの槙島聖護なのか? と疑心が滲みでた頃、東金美沙子が追いついてきた。
「悪趣味だな」
槙島は東金美沙子を見ながらいう。
かろうじてカメラに顔全体が入るように立ち、さらにその瞳に美沙子が映るように立つ。
チェ・グソン、もしくは自分の知る狡噛なら気づいてくれるだろうと信じて。
チェ・グソンが戻ってくると思ってもいない彼らに、想定外の事態がふりかかった。
東金美沙子の来訪である。
「アポイントもなしに、失敬ではないかな、東金美沙子さん」
創設者の部屋に、護衛の者を押しのけて入ってきたのは、中年時期をとうにすぎた女性だった。
創設者である槙島聖護は、彼女を東金美沙子と呼ぶ。
「ずいぶんと態度が大きくなったものね、槙島聖護。今のあなたがあるのは誰の後ろ盾があったからだと思っているの」
「その節は大変お世話になりました。恩義は忘れてはいませんよ。ですから、折々、そちらの申し出に対応していたではありませんか」
「ええ、まあ、そうね。でも、こちらが一番望むものにはずいぶんと反抗的のようね。どういうことかしら?」
「ああ、あの件ですか。あれは政府役員の中にも反対者は多く、世論に至ってはそれ以上だという結果がでています。僕としても、賛同しかねる。人が人らしく生きる、それこそ人生の美学だと思っています。だから、サイボーク化推奨事案は進まなかった。この世界はその道には進まず、自然保護、地球温暖化対策などに尽力、投資する道を選んだ。なのに、なぜクローンという結論にたどり着くのかが理解しかねる。ゲームのように簡単にリセットできないからこそ、楽しいのではないだろうか、人生は。苦難も楽しめる、そんな人間が理想ではないだろうか」
「……あいかわらず、青臭い。理想と現実の区別ができない青二才のままだね。人の最大欠点は死への恐怖、病におかされる恐怖、恐怖だらけの人生の中で唯一の希望が永遠の命。肉体は滅んでも魂は死なない。それを実現するのにはクローンに自分の記憶を引き継がせること。そして絶滅生物の救済にもなる」
「理想ですが、リスクが大きすぎます。なぜ人は近親者間での結婚をタブーとしたのか、歴史を知ればクローンはタブー行為であるとわかるはず」
「時代が違うのだよ。今では成功した世界、失敗した世界を参考にすることで失敗のリスクを減らすことができる」
「別世界への干渉もタブーですよ」
「それを責められる立場か?」
「少なくとも、情報収集はしますが、別世界に関わってはいません。まあ、極力ですが、その世界が根底から崩れてしまうようなことには関わってはいませんよ?」
「そう、そう言い切るのなら、自分の目で確かめてみることね」
突如、槙島を拘束しようと人がなだれ込む。
「外の護衛は片づけさせてもらったわ。私設警備隊の所有は自分だけとは思わないことね。こちらは各国から退役者を召集、軍人並の訓練で鍛えた私設警備隊。逆らわずに従いなさい」
「そこで応じると思っているとは思えないな。どうせ僕が逃げることも想定内。そうだな、逃げた先に本命がいるってことかな。その策に乗ってあげるよ。ただし、どんな目にあっても、クローンには反対だけどね」
槙島は座っていた椅子の肘おきの裏側に手を回し、板をスライドさせる。
その中にはスイッチのようなボタンがあり、押す。
すると舞台の奈落が下がるように、椅子ごと槙島が下がっていった。
東金美沙子はそれを見ても動じず、
「隠し通路は想定内だよ。なにせ、地震大国と言われているこの国では避難シェルター完備は必須だからね。最上階にある執務室から直に避難するための隠し通路は私も設置してあるんだよ。だからね……」
と一旦言葉を切ってから、
「例のものはちゃんと用意できたんだろうね?」
と側にいた護衛に聞く。
「はい。先ほど出現したと報告が」
「よろしい。その場所に移動する。ふたりを確保する。死ななければある程度のことはしても構わない」
「ラジャー!」
※※※
上で東金美沙子がそんな話をしていたと槙島は考えるゆとりはなかった。
この先の出口になにが待ちかまえているのか、飛び出した瞬間に攻撃されることを想定して身構える。
そして目の前が開けると、そこに佇んでいたのは、
「狡噛慎也? チェ・グソンと落ち合えたってことか。よかったよ、無事で……」
と親しい友の帰還を歓迎するようにハグしようとした。
ところが、
「……なっ、槙島、聖護、だと? どうなっていやがる、これは。ホロか? いや、今、チェ・グソンと言ったな。あいつもいるのか。これは夢か?」
それとも固執するがあまり、なにかあれば槙島ならどう考えるだろうと考えてしまう自分がさらにおかしくなったのではないかとさえ疑ってしまう。
「ホロ? ああ、キミは僕の知っている狡噛慎也ではないな。シビュラ世界の狡噛か。東金美沙子、あの女、勝手に別世界の人間を……」
「別世界? なにいってやがる、槙島!」
並行線嬢にいくつもの世界が存在していると知らない狡噛に、ここはいるべき世界ではないと説明したとこで理解できるだろうか。
相手は憎い相手として自分を見ている。
話を聞かせるためには、力関係で自分が上であると体に教える必要があるようだ。
「まったく、時間がないって時、厄介なものを設置してくれるよ、あの女は!」
といいながら、間合いをとる。
そして視線で監視カメラの位置を確認し、自分と狡噛がはっきりと映る立ち位置にはいる。
先に攻撃を仕掛けたのは狡噛だった。
幾多の戦地を駆け抜けた狡噛にとって、素人に毛が生えた程度なら負ける気はしない。
知っている槙島の実力から想定しても、今回は打ち合い負ける気はしなかった。
だが、
「どうした、槙島。本当のおまえはこんなもんじゃないだろう?」
くりだす拳がガードされずにすべてヒットする。
さらに相手のくりだすパンチはスローモーションのよう。
これがあの槙島聖護なのか? と疑心が滲みでた頃、東金美沙子が追いついてきた。
「悪趣味だな」
槙島は東金美沙子を見ながらいう。
かろうじてカメラに顔全体が入るように立ち、さらにその瞳に美沙子が映るように立つ。
チェ・グソン、もしくは自分の知る狡噛なら気づいてくれるだろうと信じて。
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