第11話
――あれ? なんか外が黒くないか?
ふと視線を上げて、ドアの窓を見ると、そこにはあの例の黒い怪物がいた。
「か、怪物!」
ぼくが叫び声を上げると、反射的に三人が振り返った。
「ど、どこよ!?」
ケガをかすり傷とはいえ負わされたことがよほど精神的に答えたのか、ピュアは悲鳴を上げる。
「ちっ! どこだ!」
ギャングが拳を握り、ファイティングポーズを取る。その格好はさまになっている。
「逃げたほうがいいじゃろう!」
ストリートは老体にむち打って叫ぶ。
そんな狂乱するような三人の狂態を眺めて、ぼくの胸にあった黒いもやもやは急速に薄れていった……。
「どこにいるってのよ、サンクス!」
久々にピュアに名前を呼ばれた。
ぼくは、先ほど黒い怪物がこっちをのぞいたドアの窓を指さした。
だが――――。
「いないじゃない……」
安心したように、尖らせていた肩を下ろす。
が。
同時に彼女は烈火の如くぼくに怒った。
「あんた、まさか嘘ついたんじゃないでしょうねっ!」
「…………」
思考が一瞬停止した。
あまりにあまりの発言。ぼくは自慢じゃないが、嘘など吐いたことなどない。自慢するつもりはないから、これまで誰にもいったことはないけど。
「……おい、本当か?」
ギャングの目には、はっきりと不審と怒りの色がある。それは五分五分。もしここで返答を間違ったら、きっと怒り一色になるのは間違いなかった。
「ま、まあ、待ちなされ。……柳が揺れるのを見て幽霊と見間違えるという話だってある。ましてこんな訳のわからない状態だ。疑心暗鬼になって鉄橋の影かなにかを見間違えたってこともありえるじゃろう」
ストリートが取りなすようにいう。
「けど!」
ピュアが口をとがらせる。本気で彼女は腹を立てているらしい。
完全にご立腹な様子の彼女を見て、かえってギャングのほうは冷静になったらしかった。殴られる心配はなさそうだ。
「ああ、そうだな。ジッサンのいうとおりだ。……あんな化け物に一度襲われたら、びくびくしてなにかの影があの化け物に見えることだってありえるだろう」
そういって、ピュアにウインクしてみせる。
その仕草に毒気を抜かれたらしく、女子高生は息を吐いた。
一瞬こっちに視線をよこしたギャングの目にははっきりと「チキン野郎」といいたげな蔑みの色があった。
意見を出さず生返事を繰り返すだけの上に、嘘吐き。それが彼ら三人が共有したぼくの評価になったようだった。
不思議なもので、初対面からまだ体感時間で二時間も経っていないはずなのに、ぼくらのあいだで序列が決まっていた。
一番は、先頭を歩くギャング。
二番は、その斜めうしろを歩き、いつでも腕をつかめるような位置にいるピュア。
三番は、ピュアとぼくの間にいるストリート。
四番は、…………いわずと知れた、ぼくだ。
ぼくは最後尾を歩き、揺れる白髪と、黒髪と、スキンヘッドを眺めながら黙々と歩いていた。
三人はときおり言葉をかわすものの、ぼくに話を振ってくることは、……もうない。
なんだか小学生の頃の遠足や中学生の頃の修学旅行を思い出して憂鬱になる。
不思議と自分の名前などは思い出せないのに、憂鬱な出来事に関連する事柄は意外と思い出せた。
両親や祖父母のことまで一緒に浮かび、家族であるのに、憂鬱になることなどおかしいと自分にいい聞かせる。
「おい、向こうから……なにか来るぜ」
先頭を歩くギャングの声が、かすかに震える。緊張感が増している。
「いる。ほんと、いる」
ピュアはギャングの太い腕にすがりつき、「いる。いる」と喚き立てる。
ぼくは三人の背中越しに前方を見た。
どうやらその黒いなにかは、ぼくらのいる次の車両に、連結部から入って来たところらしい。
ちらりと見えた動く手は、いやに白く見える。
逆にいえば、全体は黒ずくめ。スカートをはいているようだったが、まるであの〝黒い怪物〟のようにぼんやりとした輪郭を描いている。おそらく二枚のドアの窓越しに向こうを見ているせいもあるだろう。
だが、黒い。
「どうする? こっちに来るぞ?」
ギャングの声は震えているが、ピュアの手をそっと握ってやっている。
ストリートは、老眼をこらし、
「しかし。いやに小さくないかの」
「小さい?」
ギャングはしばらくその近づいてくる影を観察し、
「確かに、……小さいな。たぶん女子供くらいだ。……といっても、安全かどうかなんてわかりゃしねえーが」
車両の半ばを過ぎた辺りで、その影は止まった。距離が近づいたためになんとなくよく見えるようになった。
「ファット?」
ギャングがネイティブっぽい口調でそういうのが聞こえた。
「なんじゃあれは」
ストリートも不思議そうな声。
「あれって、いわゆるゴスロリってやつじゃない」
急に駆け足になったその黒いゴスロリの少女は、連結部を抜けて、こちらに入って来た。
「よ、よかったー! うちとシンヤだけかと思って、めっちゃ焦ったけど、こんなにぎょーさん人がいてくれるなんて」
ふと視線を上げて、ドアの窓を見ると、そこにはあの例の黒い怪物がいた。
「か、怪物!」
ぼくが叫び声を上げると、反射的に三人が振り返った。
「ど、どこよ!?」
ケガをかすり傷とはいえ負わされたことがよほど精神的に答えたのか、ピュアは悲鳴を上げる。
「ちっ! どこだ!」
ギャングが拳を握り、ファイティングポーズを取る。その格好はさまになっている。
「逃げたほうがいいじゃろう!」
ストリートは老体にむち打って叫ぶ。
そんな狂乱するような三人の狂態を眺めて、ぼくの胸にあった黒いもやもやは急速に薄れていった……。
「どこにいるってのよ、サンクス!」
久々にピュアに名前を呼ばれた。
ぼくは、先ほど黒い怪物がこっちをのぞいたドアの窓を指さした。
だが――――。
「いないじゃない……」
安心したように、尖らせていた肩を下ろす。
が。
同時に彼女は烈火の如くぼくに怒った。
「あんた、まさか嘘ついたんじゃないでしょうねっ!」
「…………」
思考が一瞬停止した。
あまりにあまりの発言。ぼくは自慢じゃないが、嘘など吐いたことなどない。自慢するつもりはないから、これまで誰にもいったことはないけど。
「……おい、本当か?」
ギャングの目には、はっきりと不審と怒りの色がある。それは五分五分。もしここで返答を間違ったら、きっと怒り一色になるのは間違いなかった。
「ま、まあ、待ちなされ。……柳が揺れるのを見て幽霊と見間違えるという話だってある。ましてこんな訳のわからない状態だ。疑心暗鬼になって鉄橋の影かなにかを見間違えたってこともありえるじゃろう」
ストリートが取りなすようにいう。
「けど!」
ピュアが口をとがらせる。本気で彼女は腹を立てているらしい。
完全にご立腹な様子の彼女を見て、かえってギャングのほうは冷静になったらしかった。殴られる心配はなさそうだ。
「ああ、そうだな。ジッサンのいうとおりだ。……あんな化け物に一度襲われたら、びくびくしてなにかの影があの化け物に見えることだってありえるだろう」
そういって、ピュアにウインクしてみせる。
その仕草に毒気を抜かれたらしく、女子高生は息を吐いた。
一瞬こっちに視線をよこしたギャングの目にははっきりと「チキン野郎」といいたげな蔑みの色があった。
意見を出さず生返事を繰り返すだけの上に、嘘吐き。それが彼ら三人が共有したぼくの評価になったようだった。
不思議なもので、初対面からまだ体感時間で二時間も経っていないはずなのに、ぼくらのあいだで序列が決まっていた。
一番は、先頭を歩くギャング。
二番は、その斜めうしろを歩き、いつでも腕をつかめるような位置にいるピュア。
三番は、ピュアとぼくの間にいるストリート。
四番は、…………いわずと知れた、ぼくだ。
ぼくは最後尾を歩き、揺れる白髪と、黒髪と、スキンヘッドを眺めながら黙々と歩いていた。
三人はときおり言葉をかわすものの、ぼくに話を振ってくることは、……もうない。
なんだか小学生の頃の遠足や中学生の頃の修学旅行を思い出して憂鬱になる。
不思議と自分の名前などは思い出せないのに、憂鬱な出来事に関連する事柄は意外と思い出せた。
両親や祖父母のことまで一緒に浮かび、家族であるのに、憂鬱になることなどおかしいと自分にいい聞かせる。
「おい、向こうから……なにか来るぜ」
先頭を歩くギャングの声が、かすかに震える。緊張感が増している。
「いる。ほんと、いる」
ピュアはギャングの太い腕にすがりつき、「いる。いる」と喚き立てる。
ぼくは三人の背中越しに前方を見た。
どうやらその黒いなにかは、ぼくらのいる次の車両に、連結部から入って来たところらしい。
ちらりと見えた動く手は、いやに白く見える。
逆にいえば、全体は黒ずくめ。スカートをはいているようだったが、まるであの〝黒い怪物〟のようにぼんやりとした輪郭を描いている。おそらく二枚のドアの窓越しに向こうを見ているせいもあるだろう。
だが、黒い。
「どうする? こっちに来るぞ?」
ギャングの声は震えているが、ピュアの手をそっと握ってやっている。
ストリートは、老眼をこらし、
「しかし。いやに小さくないかの」
「小さい?」
ギャングはしばらくその近づいてくる影を観察し、
「確かに、……小さいな。たぶん女子供くらいだ。……といっても、安全かどうかなんてわかりゃしねえーが」
車両の半ばを過ぎた辺りで、その影は止まった。距離が近づいたためになんとなくよく見えるようになった。
「ファット?」
ギャングがネイティブっぽい口調でそういうのが聞こえた。
「なんじゃあれは」
ストリートも不思議そうな声。
「あれって、いわゆるゴスロリってやつじゃない」
急に駆け足になったその黒いゴスロリの少女は、連結部を抜けて、こちらに入って来た。
「よ、よかったー! うちとシンヤだけかと思って、めっちゃ焦ったけど、こんなにぎょーさん人がいてくれるなんて」
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