完話
「どんどん光がなくなっていく。地上からは、敵兵が発した怒号、そして怨嗟が、かろうじて聞こえる」
「ある程度の距離を落ちると、豪風と一体となった気がする」
「肌をつんざくような風が、変わる」
「柔らかな、お母さんのお腹にいるような、温かい感触がある。視界。周りは暗くて、目をぎゅーって思いっきりつぶっているから、暗くて、ちょっと赤い」
「それで君は幸福を感じる」
「どんな幸福かというと、始めは敵から逃げられたという幸福。あの時代、敵に捕まるのは恥だ」
「だから、敵に凌辱されないで済んで、名誉が守られて、喜びがいーっぱい」
「次に、全と一体になれる幸福。追い詰められていたから、仲間は沢山死んでる。その、仲間と英霊と一体になれる、これは至上の喜び」
「あとは、死んじゃっても、神さまと一緒になれる。大きな物に抱かれて永遠に目を醒ますことはない。まさに、天上の喜び。絶え間ない幸福感」
「奈落の底に落ちて、ぐしゃっと、君の体、つぶれちゃった。でも痛みはないよ、感じる前に死んでるから」
「死者となった君の体から、君の魂が抜き出る。幽体離脱のように」
「君は無残になった君自身を、中空から見下ろすんだ。ぐだけちった顔の破片が、わずか満足気だね」
「そして、幽体となった君の体、顔。どれを取っても喜びにあふれているね。友情、親愛、私淑、崇拝。多くのものに囲まれて、君はゆっくりと目を閉じる」
「どう? こうやって考えると、狂気は幸福なんだよ。すがくん」
「皆はね、これに染まれていた。狂気のプールを楽しそうに泳いでいた」
「繰り返すように、わたしはできなかった。思想の砂漠をさまよっていて、眼前にオアシスがあるのに、それは蜃気楼。行けども行けども渇きは無くならない」
「このままでは死んでしまう。渇いて死ぬ」
「そして、思いついた。絶望の方法を」
「彼女らに混じりながら、鋭敏になるまで牙を研ぐ。道具と仲間を準備する」
「そして」
染谷先輩が前に出る。俺は愕然と成る。
「わし、じゃのう」
「わしは、久みたいな頭のイかれた欲求はもっちょらん」
「だが、のう。あいつら――チ〇ポ教徒――はつまらんのじゃ。思想的にも、現実的にも」
「おまえをつかまえて、犯すぅ? ハッ、そんなの何が面白いんじゃ。あいつらみたいに性欲が昂ろうと、久みたいに歪んだ思想原理を持とうと、わしゃ、楽しくなければ意味がない」
染谷先輩は髪を逆立てて、暗黒のオーラを身に纏っている。怒髪が天を衝く様子、人ならざる異形のアウラ。
さながら阿修羅のようだ、と思った。
「そこでな、一番面白いのはなんじゃ、と考えたんじゃ」
「あいつらにも、久にも、与するなど笑止千万。おもろうない」
「だから、両方とも手を組まないことにした」
「はぁ? 何か言いたげな顔をしちょるの、そうか、その顔は」
「今のわしは久に味方しとるじゃないかと、言いたいんじゃな」
「味方などしとらんよ」
「わしはな、人の墜ちてく様がみたいんじゃ、夢叶わず、嘆いとる顔がみたいんじゃ。その為だったら、わしは何でもする。悪魔にだって魂を売る」
「いまのわしはな、悲しいんじゃよ? 苦しいんじゃよ? 親友は外道になってしまって、校友はキチガイじゃ。ああ何と悲しいことじゃろうか、苦しいことじゃろうか」
「ま、そんなことより、いまの惨状が楽しくて仕方ないんじゃ、仕方ないんじゃあ」
「久が外道に落ちるための手助けをした。あいつらが目的を達成するための邪魔をした。すが、おまえの純潔をちらしちょろうのも、わしじゃ。よかったのう、すが? 歓喜で思わず舌を噛みたくなりゃありゃせんか」
「いいぞ、いいぞ、その顔。窮地を助けてもらってなぁ。久に、わしに、やさしゅう言葉投げかけられてなぁ、あはははははは。ほんまおもろい、おもろい」
大笑をあげる染谷先輩、いや染谷の顔は、すこぶる快だった。原罪から解き放たれた人類がいたら、このような顔をするのだろうと思った。
笑い転げて、狂人となった染谷を尻目に、部長が言葉を変わった。
「このロープとか、ハンカチもね。本来きみに使う予定だったんだよ。すがくん」
「きみを縛って捕獲して、絶望させるための道具。無我夢中で集めてたの。そしたら、まこが『完璧じゃの』とかいうから、何のことを言ってるんだろうと思ったら、これ、和たちを抑える道具なのね、やって時は全然気づかなかったけど」
「すがくん? はじめから助かるなんて無理だったのよ、ね?」
「全ての幕が降りて、絶対に逃れられない部屋。物語も終盤へとさしかかり、これ以上ないシチュエーションよね」
「だからすがくん。わたしたちのために犠牲になってくれる?」
もう何も捉えることができなかった。全てに裏切られ、一時の幸福すらも、先輩たちを愉しませるためのスパイスに過ぎなかった。
咲や和による絶対包囲。先輩たちよる究極の部屋。もう無理だ、ここで終わるしかない。
〓〓〓
既に夜は更けていた。月は天球の九十度に至り、陽は明けることのない闇夜を彷徨っている。
闇夜はまだ、色を深める。この夜は永遠に明けることはないだろう。
「ある程度の距離を落ちると、豪風と一体となった気がする」
「肌をつんざくような風が、変わる」
「柔らかな、お母さんのお腹にいるような、温かい感触がある。視界。周りは暗くて、目をぎゅーって思いっきりつぶっているから、暗くて、ちょっと赤い」
「それで君は幸福を感じる」
「どんな幸福かというと、始めは敵から逃げられたという幸福。あの時代、敵に捕まるのは恥だ」
「だから、敵に凌辱されないで済んで、名誉が守られて、喜びがいーっぱい」
「次に、全と一体になれる幸福。追い詰められていたから、仲間は沢山死んでる。その、仲間と英霊と一体になれる、これは至上の喜び」
「あとは、死んじゃっても、神さまと一緒になれる。大きな物に抱かれて永遠に目を醒ますことはない。まさに、天上の喜び。絶え間ない幸福感」
「奈落の底に落ちて、ぐしゃっと、君の体、つぶれちゃった。でも痛みはないよ、感じる前に死んでるから」
「死者となった君の体から、君の魂が抜き出る。幽体離脱のように」
「君は無残になった君自身を、中空から見下ろすんだ。ぐだけちった顔の破片が、わずか満足気だね」
「そして、幽体となった君の体、顔。どれを取っても喜びにあふれているね。友情、親愛、私淑、崇拝。多くのものに囲まれて、君はゆっくりと目を閉じる」
「どう? こうやって考えると、狂気は幸福なんだよ。すがくん」
「皆はね、これに染まれていた。狂気のプールを楽しそうに泳いでいた」
「繰り返すように、わたしはできなかった。思想の砂漠をさまよっていて、眼前にオアシスがあるのに、それは蜃気楼。行けども行けども渇きは無くならない」
「このままでは死んでしまう。渇いて死ぬ」
「そして、思いついた。絶望の方法を」
「彼女らに混じりながら、鋭敏になるまで牙を研ぐ。道具と仲間を準備する」
「そして」
染谷先輩が前に出る。俺は愕然と成る。
「わし、じゃのう」
「わしは、久みたいな頭のイかれた欲求はもっちょらん」
「だが、のう。あいつら――チ〇ポ教徒――はつまらんのじゃ。思想的にも、現実的にも」
「おまえをつかまえて、犯すぅ? ハッ、そんなの何が面白いんじゃ。あいつらみたいに性欲が昂ろうと、久みたいに歪んだ思想原理を持とうと、わしゃ、楽しくなければ意味がない」
染谷先輩は髪を逆立てて、暗黒のオーラを身に纏っている。怒髪が天を衝く様子、人ならざる異形のアウラ。
さながら阿修羅のようだ、と思った。
「そこでな、一番面白いのはなんじゃ、と考えたんじゃ」
「あいつらにも、久にも、与するなど笑止千万。おもろうない」
「だから、両方とも手を組まないことにした」
「はぁ? 何か言いたげな顔をしちょるの、そうか、その顔は」
「今のわしは久に味方しとるじゃないかと、言いたいんじゃな」
「味方などしとらんよ」
「わしはな、人の墜ちてく様がみたいんじゃ、夢叶わず、嘆いとる顔がみたいんじゃ。その為だったら、わしは何でもする。悪魔にだって魂を売る」
「いまのわしはな、悲しいんじゃよ? 苦しいんじゃよ? 親友は外道になってしまって、校友はキチガイじゃ。ああ何と悲しいことじゃろうか、苦しいことじゃろうか」
「ま、そんなことより、いまの惨状が楽しくて仕方ないんじゃ、仕方ないんじゃあ」
「久が外道に落ちるための手助けをした。あいつらが目的を達成するための邪魔をした。すが、おまえの純潔をちらしちょろうのも、わしじゃ。よかったのう、すが? 歓喜で思わず舌を噛みたくなりゃありゃせんか」
「いいぞ、いいぞ、その顔。窮地を助けてもらってなぁ。久に、わしに、やさしゅう言葉投げかけられてなぁ、あはははははは。ほんまおもろい、おもろい」
大笑をあげる染谷先輩、いや染谷の顔は、すこぶる快だった。原罪から解き放たれた人類がいたら、このような顔をするのだろうと思った。
笑い転げて、狂人となった染谷を尻目に、部長が言葉を変わった。
「このロープとか、ハンカチもね。本来きみに使う予定だったんだよ。すがくん」
「きみを縛って捕獲して、絶望させるための道具。無我夢中で集めてたの。そしたら、まこが『完璧じゃの』とかいうから、何のことを言ってるんだろうと思ったら、これ、和たちを抑える道具なのね、やって時は全然気づかなかったけど」
「すがくん? はじめから助かるなんて無理だったのよ、ね?」
「全ての幕が降りて、絶対に逃れられない部屋。物語も終盤へとさしかかり、これ以上ないシチュエーションよね」
「だからすがくん。わたしたちのために犠牲になってくれる?」
もう何も捉えることができなかった。全てに裏切られ、一時の幸福すらも、先輩たちを愉しませるためのスパイスに過ぎなかった。
咲や和による絶対包囲。先輩たちよる究極の部屋。もう無理だ、ここで終わるしかない。
〓〓〓
既に夜は更けていた。月は天球の九十度に至り、陽は明けることのない闇夜を彷徨っている。
闇夜はまだ、色を深める。この夜は永遠に明けることはないだろう。
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