第29話
カヤの首がゆっくりとうなだれるように落ちそうになる。
カヤは思いとどまろうとした。
ヌイはじっとカヤを見つめる。
カヤは堪えた。
しかし、ヌイがまた執拗に繰り返した。シャルロットは誰を憎むだろうかと。そして、シャルロットを盲信から解放してあげるのが、シャルロットの姉であるカヤの務めだと。シャルロットもきっとエーヴィヒの民や貴族が悪いのだということに気づいてくれるだろうと。
真実は、私たち、流浪の民にあると。
カヤは心身のショックで気を失いそうになっていた。
朦朧とした頭に浮かぶのは、血まみれの姉妹と、憎しみのこもった目だけだ。
カヤはついに落ちた。
やがてまっすぐ頭を下げた。
ヌイとヴァールが満面の笑みを浮かべたのが、カヤにはわかった。
カヤは、亡国の姫は、流浪の民に従う意思を示したのだった。
いくつかの序列の高い部族が、王宮の会議室で作戦を立てていた。
エーヴィヒ王国の戦力は、騎士団長率いる主力を含め、ほとんどが国境沿いに配置されている。いますぐ駆けつけてくるということはありえないが、いずれは全面戦争に突入することになるだろう。そのときの作戦を考えていた。
「これほどガラ空きとはな」
ルグウの族長が笑う。
ルグウの族長は上座のひとつに座るカヤを見て、軽く睨み獰猛な声を上げたが、カヤの死んだような光のない目を見て、黙り込んだ。カヤの目に剣呑なものを感じたのだ。
会議の席には、さまざまな有力な流浪の民の族長が集まっている。そんなことを無視して、カヤは私闘を始めそうにさえ見えた。獣のようなルグウでさえも、私闘を控える場なのに。
上座にはカヤやルグウの他に、スーラ族の族長ヌイとヴァールがいる。他には序列的には高いが、いまいち発言力に欠ける有力者が多い。お飾りとまでいえば言い過ぎだろうが、ほとんど発言力はないに等しい。
竜の使いを名乗る、額に竜の瞳によく似た宝石をつかった飾りをしている者がいた。竜の権利を守り、竜の代わりに会議の代役を務める。竜の代役ということで、無論、序列も高い。
「さて、まずは状況を整理しようか」ヴァールが言う。
国境周辺のどの部隊がいつこの王都に到着するか。その人数は、武装は、指揮官は……。そして迎え撃つならどの地形が有利か……。そんな話が延々と続いたが、カヤはほとんど聞いてはいなかった。……頭には入ってはいる。が、思考が働かない。
シャルロット。
アンネローゼ。
ヒルデ。
エディタ王妃。
お父様。
お母様。
カヤは自分が無力に思えた。
力があっても、まともに戦えば、例えばヴァールにも勝てないし、ヌイにもきっと勝てないだろう。ルグウの族長にだってそうだ。
それに兵も動かせない。カヤがエーヴィヒ王国の王女でありながら、寝返ったという噂はヴァールたち流浪の民の意図もあって、エーヴィヒの国中に広まっている。
この噂による混乱は予想以上に大きく、エーヴィヒの軍隊はほとんど戦わずして降伏するのではないかという極端な意見が出るほどだった。だが、内部分裂が起こっているのは事実だ。
きっと国境にいる兵士たちも噂をすぐに知ることになるだろう。そうなれば、カヤは孤立無援だ。誰かに相談することもできない。
仮に国境沿いの王国の兵士に便りを出して助力を請うことができても無駄だろう。ヴァールの差し金か、何かの罠かと思われるのがオチだ。
自分は無力だ。
しばらく会議の席上で茫然とうつむいて話を聞いていたが、気づいたことがあった。
発言の主が、ほとんど三人に限られている。
ヴァールとヌイと竜の使いの代表。
ルグウや他のいくつかの部族もたまに発言をするが、ほとんど発言力がない。
カヤは顔をあげて会議の席上の人間を観察した。
こうして流浪の民の一族が一堂に会しているのはとても珍しいことだった。もしかしたら初めてかもしれない。
それでもなんとなく主導権を握る人間ができ、それぞれ賛同する相手を決めつつある。……とはいっても、このまま放って置けば、なし崩し的にある程度団結してしまうかもしれない。
カヤは発言の許可を求め、単刀直入に言った。
「五つの勢力を上手く動かす必要があります」
「五つ?」
カヤのその言葉に、さすがにヴァールもヌイも不思議そうな顔をした。他の族長も同じだ。
「はい」
「エーヴィヒと流浪の民、二つの間違いではないのかね?」ヌイが言う。
「いいえ。五つです。ヴァール派、ヌイ派、竜派、カヤ派、エーヴィヒ王国派――言い換えればシャルロット派です」
皆、黙り込んだ。
この会議の席上で等分に発言をしていたヴァールとヌイが見つめ合う。睨み合いには至らない。けれど、疑念が浮かんだのがわかる。
疑い。
嫉妬。
憎悪。
より強い憎しみの対象であるエーヴィヒに、ほとんどの憎しみが向いている今はまだそれほどではない。けれど……。
「カヤ派といっても、私はいずれ他の派閥に取り込まれることになるでしょう。女ですし、若すぎる。王国の法に照らしても流浪の民の習慣に照らしても『王』になる資格はない。王の妻になるのがせいぜいです」
できるだけさりげなく、自分は無害だと主張する。
カヤは思いとどまろうとした。
ヌイはじっとカヤを見つめる。
カヤは堪えた。
しかし、ヌイがまた執拗に繰り返した。シャルロットは誰を憎むだろうかと。そして、シャルロットを盲信から解放してあげるのが、シャルロットの姉であるカヤの務めだと。シャルロットもきっとエーヴィヒの民や貴族が悪いのだということに気づいてくれるだろうと。
真実は、私たち、流浪の民にあると。
カヤは心身のショックで気を失いそうになっていた。
朦朧とした頭に浮かぶのは、血まみれの姉妹と、憎しみのこもった目だけだ。
カヤはついに落ちた。
やがてまっすぐ頭を下げた。
ヌイとヴァールが満面の笑みを浮かべたのが、カヤにはわかった。
カヤは、亡国の姫は、流浪の民に従う意思を示したのだった。
いくつかの序列の高い部族が、王宮の会議室で作戦を立てていた。
エーヴィヒ王国の戦力は、騎士団長率いる主力を含め、ほとんどが国境沿いに配置されている。いますぐ駆けつけてくるということはありえないが、いずれは全面戦争に突入することになるだろう。そのときの作戦を考えていた。
「これほどガラ空きとはな」
ルグウの族長が笑う。
ルグウの族長は上座のひとつに座るカヤを見て、軽く睨み獰猛な声を上げたが、カヤの死んだような光のない目を見て、黙り込んだ。カヤの目に剣呑なものを感じたのだ。
会議の席には、さまざまな有力な流浪の民の族長が集まっている。そんなことを無視して、カヤは私闘を始めそうにさえ見えた。獣のようなルグウでさえも、私闘を控える場なのに。
上座にはカヤやルグウの他に、スーラ族の族長ヌイとヴァールがいる。他には序列的には高いが、いまいち発言力に欠ける有力者が多い。お飾りとまでいえば言い過ぎだろうが、ほとんど発言力はないに等しい。
竜の使いを名乗る、額に竜の瞳によく似た宝石をつかった飾りをしている者がいた。竜の権利を守り、竜の代わりに会議の代役を務める。竜の代役ということで、無論、序列も高い。
「さて、まずは状況を整理しようか」ヴァールが言う。
国境周辺のどの部隊がいつこの王都に到着するか。その人数は、武装は、指揮官は……。そして迎え撃つならどの地形が有利か……。そんな話が延々と続いたが、カヤはほとんど聞いてはいなかった。……頭には入ってはいる。が、思考が働かない。
シャルロット。
アンネローゼ。
ヒルデ。
エディタ王妃。
お父様。
お母様。
カヤは自分が無力に思えた。
力があっても、まともに戦えば、例えばヴァールにも勝てないし、ヌイにもきっと勝てないだろう。ルグウの族長にだってそうだ。
それに兵も動かせない。カヤがエーヴィヒ王国の王女でありながら、寝返ったという噂はヴァールたち流浪の民の意図もあって、エーヴィヒの国中に広まっている。
この噂による混乱は予想以上に大きく、エーヴィヒの軍隊はほとんど戦わずして降伏するのではないかという極端な意見が出るほどだった。だが、内部分裂が起こっているのは事実だ。
きっと国境にいる兵士たちも噂をすぐに知ることになるだろう。そうなれば、カヤは孤立無援だ。誰かに相談することもできない。
仮に国境沿いの王国の兵士に便りを出して助力を請うことができても無駄だろう。ヴァールの差し金か、何かの罠かと思われるのがオチだ。
自分は無力だ。
しばらく会議の席上で茫然とうつむいて話を聞いていたが、気づいたことがあった。
発言の主が、ほとんど三人に限られている。
ヴァールとヌイと竜の使いの代表。
ルグウや他のいくつかの部族もたまに発言をするが、ほとんど発言力がない。
カヤは顔をあげて会議の席上の人間を観察した。
こうして流浪の民の一族が一堂に会しているのはとても珍しいことだった。もしかしたら初めてかもしれない。
それでもなんとなく主導権を握る人間ができ、それぞれ賛同する相手を決めつつある。……とはいっても、このまま放って置けば、なし崩し的にある程度団結してしまうかもしれない。
カヤは発言の許可を求め、単刀直入に言った。
「五つの勢力を上手く動かす必要があります」
「五つ?」
カヤのその言葉に、さすがにヴァールもヌイも不思議そうな顔をした。他の族長も同じだ。
「はい」
「エーヴィヒと流浪の民、二つの間違いではないのかね?」ヌイが言う。
「いいえ。五つです。ヴァール派、ヌイ派、竜派、カヤ派、エーヴィヒ王国派――言い換えればシャルロット派です」
皆、黙り込んだ。
この会議の席上で等分に発言をしていたヴァールとヌイが見つめ合う。睨み合いには至らない。けれど、疑念が浮かんだのがわかる。
疑い。
嫉妬。
憎悪。
より強い憎しみの対象であるエーヴィヒに、ほとんどの憎しみが向いている今はまだそれほどではない。けれど……。
「カヤ派といっても、私はいずれ他の派閥に取り込まれることになるでしょう。女ですし、若すぎる。王国の法に照らしても流浪の民の習慣に照らしても『王』になる資格はない。王の妻になるのがせいぜいです」
できるだけさりげなく、自分は無害だと主張する。
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