第三十二話 ホットケーキ・バイ・ルブラン
「さてと……」
ホットケーキミックスの買い置きはあるな。あとは冷蔵庫を確認。卵もあるし、牛乳もある。カッテージチーズもあるし、ヨーグルトもマヨネーズもある……。
ホットケーキミックスとフツーの材料だけでも、十分に美味しく仕上がるが。チーズやヨーグルト、マヨネーズを入れてもフワフワに仕上がる。
今日は、ヨーグルトと、マヨネーズを混ぜることにしてみようか。
コツは牛乳を大目に入れて、粉と混ぜる前に卵とあらかじめよくかき混ぜておくこと。これにヨーグルトもマヨネーズも入れておくのだ。それらを、しっかりとかき混ぜて、粉を入れるまでに、ちょっと時間を置く。
コーヒーを仕掛けるためにだ。サイフォンに豆をセットして火をかけて……フライパンを熱して……濡れたふきんに、置いて冷ます。その作業が終われば、牛乳たちをもう一度しっかりとかき混ぜて、ホットケーキミックスを入れてかき混ぜるのだ。
ホットケーキミックスは、粉がきめ細かい。あまりにもかき混ぜ過ぎてしまうと、食物繊維が他の材料になじみ過ぎてしまうのだろう。膨らみが弱くなるのだ。
サラサラということは、繊維が弱いということで、繊維を解きすぎると、ホットケーキが膨らむための支持基盤が無くなるのだろう―――蓮はそんな風に認識している。
だから、あまりホットケーキミックスを強くかき混ぜることはしない。牛乳ベースの液に対して、馴染ませるように軽くかき混ぜるだけで十分なのだ。
それが終われば、後は簡単だった。冷ましていたフライパンを再び火にかけて、オリーブオイルをしいて、ホットケーキミックスを流し込む。
うむ。ホットケーキミックスがだらしなく広がり過ぎることはない。牛乳を大目に入れているというのに、平べったく広がっていくことはなかった。
上手に焼くことが出来そうだった。
フライパンの上で、それらはこんがりキツネ色に仕上がっていく。この焦げる手前に焼き上げるのも、ルブランで習ったコダワリでもあった。ヨーグルトやマヨネーズ、あるいはクリームの酸味……それらとわずかな焦げが放つ、焦げの苦味に至る直前のコク。
それが合うんだよと、コーヒーに哲学を持つ惣治郎は語ってくれたものだ。酸味は苦味のためにある。コーヒーを愛する者の哲学として、それは蓮にしっくりと響いた。焦がすのではない。焦げに至る直前を見極め、風味を残すのだ。
蓮の目が鋭く輝き、怪盗の指が卓越した技巧を振るう。蓮は、狙い通りの焼き加減をホットケーキに与えていた。焦げてはいないが、こんがりとした狐色だ。そのなかに、焦げに似た苦味を持つ風味を残している。
酸味に強められたそのコクが、甘みを強めることに繋がっていくのだ。
そのホットケーキたちに、蓮は蜂蜜とバターを選ぶ……シンプルだが、これが一番美味いような気がする。
バターのやさしげなコクと、蜂蜜の濃密な甘さ……ホットケーキを二つの味覚で楽しむことが出来る。これ以上の贅沢は、舌がついて行かないと考えていた。
それらを皿に載せると、蓮はリビングでモルガナと共にホットケーキを焼いた香りに幸せ顔を晒している城ヶ崎シャーロットに届けてやるのだ。
「ほら。城ヶ崎、オヤツだぞ」
「わーい!!やったー、レンレン料理長サマー!!」
レンレン料理長サマは、城ヶ崎シャーロットの前に、三枚重ねにしたホットケーキを置いてやる。
「わあああ!!上手!!こんがりキツネ色に、なんだか、フワフワしてるのが、見た目だけでも分かるようっ!!レンレン、これが、喫茶店のテクニックなのっ!?」
「そういうことだ」
『……うむ。たしかに、店に出せるレベルだよな。ルブランでの修行の成果が、たしかに現れている。じゃあ……さっそく食べようぜ!?なんだか、我が輩もお腹が減ってしまっているぞ』
「そうだな。コーヒーを持ってくる。モルガナはカフェオーレにして……城ヶ崎はどうする?」
「じゃあ、私もカフェオーレをお願いいたします、レンレン料理長サマ!」
「わかった。砂糖は?」
「甘めでお願いいたします」
「了解だ」
蓮は自分用のブラックコーヒーと、二人分のカフェオーレを作り、リビングに帰還する。
そして、ティータイムがスタートした。
「いただきまーすっ!!」
『いただきまーすッ!!』
「……ああ、召し上がれ」
フワフワのホットケーキに、城ヶ崎シャーロットの操るナイフとフォークが襲いかかる!!
あっという間に切り分けてみせた。溶けたバターと蜂蜜で、キラキラと甘い輝きと甘い風味を漂わせているそのホットケーキの切れ端を、乙女の唇はパクリと頬張る。
「もぐもぐもぐ!……お、美味しい。た、たまらなく、美味しいよう……っ」
『もぐもぐもぐ!……うむ。腕を上げたな。柔らかさと、厚み、そして、やさしげな風味のなかにも、酸味とコクを感じる。複雑な味のデザインだが、見事においしく調和しているぞっ!!』
「……よろこんでもらえて何よりだ」
惣治郎から伝えられたテクニックを披露することが出来て、蓮は満足げな微笑みを浮かべる。この技を錆び付かせないためにも、日々、喫茶店のメニューを作って行く必要はありそうだ。
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