序章 NEW DAYS
ジョーカーこと、雨宮蓮の日常は大きな変化を遂げていた。怪盗団『ザ・ファントム』としての日々は終わりを迎え、保護観察も解かれたのだ。
『更正した』というよりも、自分の正しさが認められた結果ではあった。仲間たちの尽力の結果によって。
大きく価値観の変わる一年間であった。長かったような、終わってみればあっという間の出来事だったような……。
すっかりと第二の故郷となった東京……佐倉惣治郎経営の喫茶ルブランの屋根裏―――思い返せば、マンガか映画のような部屋であったが、一生涯忘れることの出来ない場所になった。
ヒトの罪深さと。
ヒトの優しさと。
ヒトの弱さと。
ヒトの強さ。
……そういったものに触れることの出来た一年間だった。そんなことを考えながら、雨宮蓮は引っ越しの後片付けを済ませていた……。
『ニャハハ!どうしたんだ、珍しく物思いに耽るような顔をして』
尻尾と手足が白い黒猫が、長い尻尾を振りながら足下にやって来る。蓮は、その尻尾を見つめて、撫でてみたい衝動に駆られるが……今は止めておくことにした。
『……まあ、色々と慌ただしい一年間だったが、これから我が輩たちの新たな日々もスタートする。今日は、引っ越しの荷物を解くので疲れただろう。そろそろ、眠ってはどうだ?もう遅い時間だぞ?』
モルガナにそう言われた蓮は、スマホで時刻を確認する。
「……っ!?」
もう夜の2時半を回っていた。深夜であることを自覚すると、急に疲れが出始める。
「……こんな時間だったのか」
『ああ。お前らが、スマホ経由で話しまくっていたからな、時間が経つのも忘れていたのだろう。幸か不幸か、父上殿も母上殿も、海外出張……しばらくぶりの親子団らんとは、いかなかったな。さみしいか、蓮?』
「……いいや。オレには、モルガナもいてくれるからな」
そう言いながら、蓮はやさしげな手つきでモルガナのアゴの下をナデナデしてみる。モルガナは、ただの猫のように目を細めて、ゴロゴロゴロとノドを鳴らした。
最近は、すっかりと猫化が進んでいる。一年前、初対面の頃は、猫であると言われると、一々、強く否定したものだが……。
その正体は、何だか得体の知れない存在のままだ。謎の生物であることには変わりはないし、心を通わせ、モルガナが喋る声を聞けるし……たとえ、モルガナの声が聞こえなくても、言いたいことは分かるようになったつもりだ。
『……な、なあ。気持ちいいんだが……あまり長くナデナデしないでくれないか?癖になってしまうかもしれない』
「……癖になると、困るのか?」
『え?……別に、困るようなことじゃないが……なんか、男同士でベタベタするのも、イヤだろう?』
「別に?」
『むむ!?……い、いや。そーいうのも、あるところにはあるだろうし、好きにすればいいんだが……って、わーらーうなー!!』
からかわれたと感じたのか、モルガナがシャーっと大きく口を開けながら叫んでいた。
機嫌を損ねたのだろうか、モルガナは蓮に尻尾を向けて部屋を歩き、ソファーの上に置かれた自分用の新たなベッドであるモコモコとしたクッションに跳び乗っていた。
「そっちで寝るのか?」
『そーだ。母上殿から買っていただいた、新たなモコモコ・クッションは、我が輩の猫的ボディーにしっくりと来るのだ…………だからといって、猫ではないぞ』
「ああ。モナは、モナだ。モルガナだ」
『うむ。我が輩は、モルガナであり、モルガナ以外の何者でもなく、モナと呼ばれてもいる……そういった、素敵な生き物なのだ。ニャハハハハ!』
「……ああ、じゃあ、お休み」
『ああ。明日に備えようじゃないか。お前の新しい日々がスタートする。また転校というのも、面白いがな。高校生活で、三つの学校を楽しめるんだ。お得だぞ』
そんな風に考えられるのは、自由なモルガナらしい。そんなことを考えつつも、蓮はその考え方に同意してみることにした。
たくさんのことを学ぶ機会であるし、自分を磨くことにもつながる。
新しい日々……怪盗団として過ごした一年間は、それこそ人生の『お宝』として永遠に輝くだろうが、それで人生は終わりではない。
多くのことを学び、多くの人々と出会うのだ。別れもあるが……それでも、命は死ぬまで終わらない。
自室の明かりを消した。
暗がりが訪れる。
まだ春先だから寒いから、モナをカイロの代わりに抱いて寝ようと考えていたのだが……まあ、毛布に包まって眠れば、風邪を引くことはないだろう。
この一年間で、自分は肉体的にも精神的にも、それなりにタフなのだと理解することが出来た。
公安の連中に拷問を受けても、心も体も屈することがなかった……何だか、自分が大物になった気がするが―――まあ、そんなことはどうでもいい。今は、たっぷりと休むとしよう。
ベッドに入り、毛布に包まる。その内、モルガナがやって来ることを、心のどこかで期待しながら、雨宮蓮はあくびをしながら眼鏡を外して、瞳を閉じた。
「……お休み」
『ああ。お休み、蓮……よく眠れ』
……東京よりはずっと暗い。窓から漏れるわずかな光は、眠りの邪魔にはならないだろう。雨宮蓮は、慣れしたしんだ実家の部屋で、ゆっくりと眠ることになる……。
ベルベット・ルームからの呼び声は、聞こえないだろう―――しばらくのあいだは、きっと……そんな確信を抱きつつ、彼の精神は眠りの奥へと転がり落ちていた。
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