ACT011 『白い施設の支配者』
「目隠しに、なれている……ですか?」
「そうだ。アイツも、アイツの秘書であるお前も知らないだろうがな。私は……あの施設で、網膜と視神経に変な薬を注射されている。『見えるハズもないものを、見えるようにするために』……バカげたモルモットだ」
「……ヒトは、貴方がたに希望を見ていたのですよ」
「違うな。ああいうのは、そんな言葉が相応しいものじゃない。あそこを支配していたものは……たんなる、邪悪に過ぎない」
あの施設の……思い出したくないが、そうだ。オーガスタ。オーガスタ研究所の支配者どもは、ゲスどもだった。
「ニュータイプの素養があるかもしれない子供たちを集めて、ヤツらは何をしたと思っているんだ?……薬物や手術、インプラントを埋め込んでの肉体の強化や、脳波の観測。脳を弄くり回して、大脳皮質の谷底にニュータイプの根拠を探していた」
「……それは、残酷なことですね」
「子供たちは純粋だったよ。愚かなほどに。私だって、最初はヤツらに騙されていた。健気に応えてやろうとしていた。肉体を改造され、生きたまま解剖される……あの戦争犯罪者どもの期待に対して、応えるべきだと努力までしていた」
ああ。
頭が痛い。開頭手術はされていないはずだ。されたのは、私じゃなかったから。私とミシェルじゃなかったからな。本物の『奇跡の子供たち』は……彼女だって、バラしてしまったんだから……。
それなのに。
切られていないはずの頭が、痛みやがるんだ……っ。
「頭痛がなさいますか?」
「頭痛以外にも、色々とあるがな」
「薬は……お嫌いですか」
「嫌いだな。それとも、何でも売ってるルオ商会さんには、どんな痛みも快楽で消し去ってくれる、素敵な痛み止めもあるってのか?」
「……ありますが。ジュナ・バシュタ少尉の健康のためには、お勧めしかねます」
真顔でたしなめられていた。ジュナはこの堅物は、それなりの職業倫理を持っている人物なのだと予想する。
「アイツは大事にされているわけだ―――」
―――ルウ商会の連中に、自分が本物の『奇跡の子供たち』だと、ニュータイプの資質を持つ者だと信じ込ませた結果か。大切な宝物だから、金持ちのパパに色々といいスタッフをつけてもらえたわけか。
ニュータイプを欲しがる、大富豪。世界の半分ぐらいを支配しているような金持ちの欲望も、ニュータイプってものに向かっているのか。この仕事は、そいつの野心のためなのか……?
だとすれば。
誰もが、自由ではいられていないのかもしれない。私たちは、本当にオーガスタから脱出しているのか……?
それとも、これは脳に電極でも突き刺されて、見せられている夢に過ぎないんじゃないだろうな。
そんな妄想が心に浮かび、ジュナは背筋に強い寒気を感じ、その若い体をブルリと震わせていた。眼鏡の優男は、心配そうな顔で見つめて来る。観察しているのか?私を?それとも、アイツのことを常時か……。
「なにか?もしかして、空調が冷たすぎましたか?」
「……いいや。大丈夫だ。気にするな」
「かしこまりました」
マジメな男だ。便利そうでいいが、どこかお節介な気もするな。あの気の強くて、悪知恵の働く女には、いいパートナーか。
「それと……さっきのは、冗談だ。麻薬なんていらない。そんなもので罪の重さから逃れられたとしても……自己嫌悪で壊れる。罪ってのは、消せないもんだからな」
「その方がいい。薬物に溺れて壊れてしまった人物なんて、私は山ほどニューホンコンで見て来ましたから」
「ジオンに攻撃されなかった美しい街並みも、フタを開ければそんなものか」
「統計的に見れば、それほど多くの麻薬中毒者がいるわけではありません。しかし、社会の歪みというのは、どの街にだって起きます。私たちの街も、例外ではなかっただけのことでしょう」
「……そうか。どこも、苦しさから薬に逃げるヤツってのは大勢いるってことだ」
「ええ。残念なことに」
世界ってのは不完全なものだ。だから、ヒトは神さまや、『奇跡の子供たち』とか、ニュータイプなんぞに頼るのか?
どうしようもないほど、腐って、汚れて、濁りきっている人類社会を―――どうにかマトモに導いて欲しくて、大きな力を求めるのだろうか……。
「……なあ、あの女の秘書」
「なんでしょうか、ジュナ・バシュタ少尉?」
「名前ぐらいは教えてもらっても構わないだろ。私は……もうこの車に乗っちまったんだよ。罠だとも考えているけど……アイツに、期待してもいる……ああ!もう、何て言えばいい分からないが。私は……逃げないぞ」
「良い言葉です。私の名前は、ブリック・テクラート。ミシェルさまの秘書です」
「ブリック・テクラートね……分かった。覚えておくよ」
ジュナ・バシュタの態度に対して、ブリック・テクラートは何か思うことがあったのだろう。カラフルかつアジアテイストな蝶と花と川を表示していたルームミラーから、まやかしの美しさを消し去った。
地元ではないが、ジュナの故郷であるオーストラリアの乾いた荒野が窓の外に見える。ジュナは翡翠色の瞳でその風景を見つめたまま、繊細な気遣いを心がけるミシェルの秘書に訊いていた。
「飴と鞭を使い分けて、ミシェルを調教していたのか?」
「私はそんなことをしません」
「お前じゃなくて……ルオ商会のヤツらは」
「……鞭は、それほど振るわれてはいなかったのではないかと、考えています」
「……そうか。そうだとするのなら…………」
許してやれるほど、自分の心はやさしくない。ジュナの瞳は荒野を見つめる。荒廃した地球の大地を見つめながら、ジュナはただ沈黙を選んでいた。
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