入学編7
「あ、あの人」
少し恥ずかしそうに去って行く上級生。その後ろ姿を観察していたエリカが、突然素っ頓狂な声をあげる。
「知り合いなのか?」
「ううん。こっちが知ってるだけ。壬生沙耶香よ。剣道の中学生全国大会二位の」
「ん?っていうことはよ。あの、壬生先輩の目的って」
レオのつぶやきをさえぎるように、エリカが後をつなぐ。
「多分部活への勧誘でしょうね。不思議じゃないわ。全くノーマークだった新入生に、早めにツバをつけたかったんでしょ」
「でも、それってルール違反なんじゃ……。勧誘期間はまあ先のはずですし」
美月が不安そうな顔になる。確かに、厳密には校則に違反している。魔法科高校の部活動は、当然ながら生徒の自主的選択によって決めることができるという建前だ。うわべだけは。
その実態は、結果を出してより有利な条件を勝ち取るために新入生という名の資源を奪い合う、第三世界の戦場に等しい。
ただの言い争いや喧嘩で済むなら良いものの、何しろ全員が魔法師という特殊な環境。密かに魔法の打ち合いが行われるような事実としての勧誘合戦が、この学び舎の風物詩だった。
そんな有様だから、無論制限が課せられる。部活への勧誘は期間を区切って行われ、その間は風紀委員が違反行為を厳に取り締まることになっていた。
それにも関わらず、白昼堂々剣道部のエースが噂の下級生と話そうとしているのだから、美月の心配は一面から見れば正しい。しかし達也は肩をすくめて、その恐れ
を否定した。
「それはあくまで部活としてのルールだ。あの壬生先輩が個人的に話し合いたいと言って、夜科がそれを受け入れたのなら、風紀委員も口出しはできない。そうでなければ部活が決まるまで2,3年は新入生と喋ることもできなくなる」
「ま、第一、名前の知られた選手なんてとっくに先輩方から青田刈りされてるもんねー。あくまで建前よ、建前。美月ったら真面目なんだからー。うりうり」
「わ、私、そんなこと……」
「エリカ。あまり美月をいじめてやるな」
美月をつっつくエリカを、達也が止める。のんびりした登校風景だったが、達也たちが他人事を眺めていられたのはここまでだった。
この後のフットワークの軽い生徒会長が持ってきた厄介ごとのおかげで、達也はしばらく胃の痛い日々をすごすことになる。
喫茶コーナーで飲み物を頼む、二人の少女。騒いでいるわけではないが、周囲の視線の密度が、そのあたりだけ有意に高かった。
理由はその二人の容姿しかないだろう。雲が動き、窓に少し影が差すだけで、絵画のようになる存在感だった。
注目の的になっているのを知ってか知らずか、沙耶香は甘めのジュースを、紫はクリームを盛りに盛った紅茶飲料を黙ってすする。
沙耶香は口火を切ろうとするが、クリームの塊に集中する紫の幸せそうな顔が邪魔をする。普段の無表情はどこへやら、元より小柄な体格もあって、小動物そのものの雰囲気だった。自分なりに深刻に考えたことを共有しようとしていたのに、毒気を抜かれた形だ。
紫は口の周りについた泡をなめとって、初めて対面の剣道少女に気づいたように口を開く。
「それで、何の用でここに?」
「あ、ええ。夜科さんって、剣術をたしなんでいるのかしら?」
それは疑問というより確認作業に近い。状況証拠かもしれないが、彼女なりの信ずるに足る理由があるのだろう。
いかさま、紫は頷いた。
「似たようなのは、少し。習いましたけど」
「やっぱり。剣道のものではないけど、脚運びがしっかりしてたから」
剣術というのは、魔法と剣をを用いて行う戦闘法の総称で、無論有名な流派はあるが、剣道ほど統一されていない。全国クラスの選手である沙耶香にも覚えのない、しかし訓練された動き。そこから剣術につなげるのは難しくない。
沙耶香は決然とした表情で、深く頭を下げた。
「お願い夜科さん!剣道部に入ってもらえないかしら」
「……どういうこと?」
紫の敬語が少し崩れる。距離感が掴めていない様子だった。
「無茶なお願いなのは承知の上よ。でも今の魔法系競技の優遇をくつがえすためには、優秀な選手が必要なの。二科生であっても、あなたの実力なら剣術部上位に食い込めることは分かってる。むしろ実戦色の強い剣術の方があなたに向いているのかもしれない。それでも」
沙耶香自身、新入生を無理に引っ張り、本来の土俵ではない場所で戦わせる行為には、忸怩たる思いがあるのだろう。剣士としての矜持と、部のエースとしての責務の板挟みだった。
だが紫はそういう世界の住人ではない。
「見学はあるんですよね?」
「え?」
「見学。いきなり入部ってわけには」
「あ、うん。もちろん!もうすぐ勧誘週間だから、ぜひ来てちょうだい。歓迎するわ」
「わかりました。細かい所は後でいいので。アドレス交換を」
あまりに軽く許諾されて、喜ぶ間もなく話が進む。結局夜科紫は、部活の勧誘で真っ先に剣道部へと向かうことになった。
少し恥ずかしそうに去って行く上級生。その後ろ姿を観察していたエリカが、突然素っ頓狂な声をあげる。
「知り合いなのか?」
「ううん。こっちが知ってるだけ。壬生沙耶香よ。剣道の中学生全国大会二位の」
「ん?っていうことはよ。あの、壬生先輩の目的って」
レオのつぶやきをさえぎるように、エリカが後をつなぐ。
「多分部活への勧誘でしょうね。不思議じゃないわ。全くノーマークだった新入生に、早めにツバをつけたかったんでしょ」
「でも、それってルール違反なんじゃ……。勧誘期間はまあ先のはずですし」
美月が不安そうな顔になる。確かに、厳密には校則に違反している。魔法科高校の部活動は、当然ながら生徒の自主的選択によって決めることができるという建前だ。うわべだけは。
その実態は、結果を出してより有利な条件を勝ち取るために新入生という名の資源を奪い合う、第三世界の戦場に等しい。
ただの言い争いや喧嘩で済むなら良いものの、何しろ全員が魔法師という特殊な環境。密かに魔法の打ち合いが行われるような事実としての勧誘合戦が、この学び舎の風物詩だった。
そんな有様だから、無論制限が課せられる。部活への勧誘は期間を区切って行われ、その間は風紀委員が違反行為を厳に取り締まることになっていた。
それにも関わらず、白昼堂々剣道部のエースが噂の下級生と話そうとしているのだから、美月の心配は一面から見れば正しい。しかし達也は肩をすくめて、その恐れ
を否定した。
「それはあくまで部活としてのルールだ。あの壬生先輩が個人的に話し合いたいと言って、夜科がそれを受け入れたのなら、風紀委員も口出しはできない。そうでなければ部活が決まるまで2,3年は新入生と喋ることもできなくなる」
「ま、第一、名前の知られた選手なんてとっくに先輩方から青田刈りされてるもんねー。あくまで建前よ、建前。美月ったら真面目なんだからー。うりうり」
「わ、私、そんなこと……」
「エリカ。あまり美月をいじめてやるな」
美月をつっつくエリカを、達也が止める。のんびりした登校風景だったが、達也たちが他人事を眺めていられたのはここまでだった。
この後のフットワークの軽い生徒会長が持ってきた厄介ごとのおかげで、達也はしばらく胃の痛い日々をすごすことになる。
喫茶コーナーで飲み物を頼む、二人の少女。騒いでいるわけではないが、周囲の視線の密度が、そのあたりだけ有意に高かった。
理由はその二人の容姿しかないだろう。雲が動き、窓に少し影が差すだけで、絵画のようになる存在感だった。
注目の的になっているのを知ってか知らずか、沙耶香は甘めのジュースを、紫はクリームを盛りに盛った紅茶飲料を黙ってすする。
沙耶香は口火を切ろうとするが、クリームの塊に集中する紫の幸せそうな顔が邪魔をする。普段の無表情はどこへやら、元より小柄な体格もあって、小動物そのものの雰囲気だった。自分なりに深刻に考えたことを共有しようとしていたのに、毒気を抜かれた形だ。
紫は口の周りについた泡をなめとって、初めて対面の剣道少女に気づいたように口を開く。
「それで、何の用でここに?」
「あ、ええ。夜科さんって、剣術をたしなんでいるのかしら?」
それは疑問というより確認作業に近い。状況証拠かもしれないが、彼女なりの信ずるに足る理由があるのだろう。
いかさま、紫は頷いた。
「似たようなのは、少し。習いましたけど」
「やっぱり。剣道のものではないけど、脚運びがしっかりしてたから」
剣術というのは、魔法と剣をを用いて行う戦闘法の総称で、無論有名な流派はあるが、剣道ほど統一されていない。全国クラスの選手である沙耶香にも覚えのない、しかし訓練された動き。そこから剣術につなげるのは難しくない。
沙耶香は決然とした表情で、深く頭を下げた。
「お願い夜科さん!剣道部に入ってもらえないかしら」
「……どういうこと?」
紫の敬語が少し崩れる。距離感が掴めていない様子だった。
「無茶なお願いなのは承知の上よ。でも今の魔法系競技の優遇をくつがえすためには、優秀な選手が必要なの。二科生であっても、あなたの実力なら剣術部上位に食い込めることは分かってる。むしろ実戦色の強い剣術の方があなたに向いているのかもしれない。それでも」
沙耶香自身、新入生を無理に引っ張り、本来の土俵ではない場所で戦わせる行為には、忸怩たる思いがあるのだろう。剣士としての矜持と、部のエースとしての責務の板挟みだった。
だが紫はそういう世界の住人ではない。
「見学はあるんですよね?」
「え?」
「見学。いきなり入部ってわけには」
「あ、うん。もちろん!もうすぐ勧誘週間だから、ぜひ来てちょうだい。歓迎するわ」
「わかりました。細かい所は後でいいので。アドレス交換を」
あまりに軽く許諾されて、喜ぶ間もなく話が進む。結局夜科紫は、部活の勧誘で真っ先に剣道部へと向かうことになった。
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