12話 ホシノヒトミの分岐
1963年10月13日13時、ベッグ駐屯地の光差し込む殺人課にて、衛兵ナイト・テッラシーナは落ち着いた色調のデスクに数枚のメモを広げ、真剣な表情を浮かべていた。
「……偶然なのだろうか」
規則的に配置された紙片に視線を落としながら顎をなでていると、後ろから肩に誰かが手を置いた。
「何を考え込んでいるんだ?」
後ろにいたのは同僚のレノウエ・ユングクラス。
彼はテッラシーナの注視していたものを発見すると、何に則ってメモが並んでいるかをすぐに理解した。
「参考人の住んでいる住居の配置か」
テッラシーナは「そうだ」とうなずいた。
聴取中にとったメモは、対象者の住居に対応して、十の字を枠取りしたような形をとっている。
「だけど、なんでわざわざこんなことをしているんだ? 被害者がここで殺されたことは自明じゃないか。引きずられた痕跡もないんだからさ」
金髪の衛兵が十字の中央を指す。
「ああ、だが、一人の青年の証言が妙に感じてな」
そう言ってテッラシーナは一枚の紙片を手に取った。
「……それの何に引っかかる?」
ユングクラスは数秒そのメモに視線を注いだ後に尋ねる。
「ほかの証言に比べると、なぜか曖昧だったり、逆に詳細だったりするんだ」
もう片方の手で、犯行現場から最も近くのメモを拾い上げる。
「この青年は犯行予想時刻に外から『嘘だ!』という叫び声を耳にしたと証言している。だが、現場に一番近い場所に住んでいる者は、叫び声は聞こえたが、何を言っているかはうまく聞き取れなかったと述べている」
「つまり、青年の証言は変に具体的だと言いたいのか」
ユングクラスが同僚の疑問を要約する。
テッラシーナはそれを肯定した。
「確かに妙な部分ではあるが、偶然青年の聴力が優れていたとも考えられるだろう?」
「俺も最初はそう思っていたが、それだけじゃない。犯行現場側の住人は、叫び声に次いで『そんなことはありえない!』という声を聞いたそうだ。しかし、青年のほうは初めの叫び声の後には何も聞こえなかったと証言している」
金髪の衛兵が顎に手を置いて考え込む。
「……確かに、パーツが合わないもどかしさがあるな」
それから二人は沈黙し、思考の海に潜った。
ゆえに、潜水者たちは背後に立つ男の気配を感じ取る能力を失っていた。
「ずいぶんと有意義に頭を使っているようだな、エメルダ班の優等生は」
不意に釣り上げられたテッラシーナたちは素早い動きで振り向く。
音もなく近づいていたのは、石のような顔面をもつクレイグヘッド班班長、ハリー・クレイグヘッドだった。
「どうしたんです、クレイグヘッドさん? まさか嫌みだけを言いに来たわけじゃありませんよね」
ユングクラスは片目を細めて問いかける。
「ああ、反社会組織関連の殺人を取り締まっている私の班に、単なる一般の殺人事件しか取り扱えないエメルダ班が関わってきた不満を撒き散らしに来たわけではない」
クレイグヘッドは薄ら笑いを浮かべて言った。
どうやら彼の副目的は十分に果たされたようだ。
「それで、何をしに来たんです?」
テッラシーナが淡々とした調子で尋ねる。
「ああ、私がこの事件から手を引くことになったと伝えに来たのだ」
テッラシーナとユングクラスは意味のわからないギャグを聞いたかのような顔で見つめ合う。
そして、背の低いほうがクレイグヘッドに顔を向けた。
「反社会組織が事件に絡んでいる可能性は消えた、ということですか」
「いいや、その線を考慮した捜査は一応続けられる。ただ私のみが外れるのだよ」
二人は説明されても目を細めたままだった。
今度は体格の良いほうが問いかける。
「有給、ですか」
ユングクラスの顔は困惑の色に染められていた。
都市ベッグの治安組織に高い忠誠を誓っているクレイグヘッドが、事件の解決を差し置いて休みをとるなど、天と地がひっくり返ってもありえないということは、殺人課に属する誰もが知っていることだった。
「そんなわけがあるはずないだろう。単に別の件で駆り出されることになっただけだ」
石顔の返答にユングクラスは、戸惑いのから安堵の顔に変化させた。
テッラシーナも腑に落ちた様子だ。
「しかしそうなれば、誰がそちらを統率するのです?」
「それが困ったものでな……」
クレイグヘッドがガリガリと後ろ髪を掻く。
「運の悪いことに、私の部下の内で指揮能力をもつ者といえば、新人――すなわちお前たちの同期しかいなかったのだよ」
「……あー! そりゃお気の毒に」
ぴんときたユングクラスは、心の底から同情を込めて言った。
テッラシーナも遅れてその人物に思い当たった。
「その上、業務を引き継ごうと思っているのに、あいつはまた勝手にどこかをほっつき歩いているようだ。あるいは、お前たちよりも問題児かもしれない」
鼻で笑ってしまうのをこらえながらユングクラスは同意する。
「まあ、しばらく爆弾たちと会わないでいられるのはありがたいことだがな」
そう忠誠の囚われ人は言って、去って行った。
「……偶然なのだろうか」
規則的に配置された紙片に視線を落としながら顎をなでていると、後ろから肩に誰かが手を置いた。
「何を考え込んでいるんだ?」
後ろにいたのは同僚のレノウエ・ユングクラス。
彼はテッラシーナの注視していたものを発見すると、何に則ってメモが並んでいるかをすぐに理解した。
「参考人の住んでいる住居の配置か」
テッラシーナは「そうだ」とうなずいた。
聴取中にとったメモは、対象者の住居に対応して、十の字を枠取りしたような形をとっている。
「だけど、なんでわざわざこんなことをしているんだ? 被害者がここで殺されたことは自明じゃないか。引きずられた痕跡もないんだからさ」
金髪の衛兵が十字の中央を指す。
「ああ、だが、一人の青年の証言が妙に感じてな」
そう言ってテッラシーナは一枚の紙片を手に取った。
「……それの何に引っかかる?」
ユングクラスは数秒そのメモに視線を注いだ後に尋ねる。
「ほかの証言に比べると、なぜか曖昧だったり、逆に詳細だったりするんだ」
もう片方の手で、犯行現場から最も近くのメモを拾い上げる。
「この青年は犯行予想時刻に外から『嘘だ!』という叫び声を耳にしたと証言している。だが、現場に一番近い場所に住んでいる者は、叫び声は聞こえたが、何を言っているかはうまく聞き取れなかったと述べている」
「つまり、青年の証言は変に具体的だと言いたいのか」
ユングクラスが同僚の疑問を要約する。
テッラシーナはそれを肯定した。
「確かに妙な部分ではあるが、偶然青年の聴力が優れていたとも考えられるだろう?」
「俺も最初はそう思っていたが、それだけじゃない。犯行現場側の住人は、叫び声に次いで『そんなことはありえない!』という声を聞いたそうだ。しかし、青年のほうは初めの叫び声の後には何も聞こえなかったと証言している」
金髪の衛兵が顎に手を置いて考え込む。
「……確かに、パーツが合わないもどかしさがあるな」
それから二人は沈黙し、思考の海に潜った。
ゆえに、潜水者たちは背後に立つ男の気配を感じ取る能力を失っていた。
「ずいぶんと有意義に頭を使っているようだな、エメルダ班の優等生は」
不意に釣り上げられたテッラシーナたちは素早い動きで振り向く。
音もなく近づいていたのは、石のような顔面をもつクレイグヘッド班班長、ハリー・クレイグヘッドだった。
「どうしたんです、クレイグヘッドさん? まさか嫌みだけを言いに来たわけじゃありませんよね」
ユングクラスは片目を細めて問いかける。
「ああ、反社会組織関連の殺人を取り締まっている私の班に、単なる一般の殺人事件しか取り扱えないエメルダ班が関わってきた不満を撒き散らしに来たわけではない」
クレイグヘッドは薄ら笑いを浮かべて言った。
どうやら彼の副目的は十分に果たされたようだ。
「それで、何をしに来たんです?」
テッラシーナが淡々とした調子で尋ねる。
「ああ、私がこの事件から手を引くことになったと伝えに来たのだ」
テッラシーナとユングクラスは意味のわからないギャグを聞いたかのような顔で見つめ合う。
そして、背の低いほうがクレイグヘッドに顔を向けた。
「反社会組織が事件に絡んでいる可能性は消えた、ということですか」
「いいや、その線を考慮した捜査は一応続けられる。ただ私のみが外れるのだよ」
二人は説明されても目を細めたままだった。
今度は体格の良いほうが問いかける。
「有給、ですか」
ユングクラスの顔は困惑の色に染められていた。
都市ベッグの治安組織に高い忠誠を誓っているクレイグヘッドが、事件の解決を差し置いて休みをとるなど、天と地がひっくり返ってもありえないということは、殺人課に属する誰もが知っていることだった。
「そんなわけがあるはずないだろう。単に別の件で駆り出されることになっただけだ」
石顔の返答にユングクラスは、戸惑いのから安堵の顔に変化させた。
テッラシーナも腑に落ちた様子だ。
「しかしそうなれば、誰がそちらを統率するのです?」
「それが困ったものでな……」
クレイグヘッドがガリガリと後ろ髪を掻く。
「運の悪いことに、私の部下の内で指揮能力をもつ者といえば、新人――すなわちお前たちの同期しかいなかったのだよ」
「……あー! そりゃお気の毒に」
ぴんときたユングクラスは、心の底から同情を込めて言った。
テッラシーナも遅れてその人物に思い当たった。
「その上、業務を引き継ごうと思っているのに、あいつはまた勝手にどこかをほっつき歩いているようだ。あるいは、お前たちよりも問題児かもしれない」
鼻で笑ってしまうのをこらえながらユングクラスは同意する。
「まあ、しばらく爆弾たちと会わないでいられるのはありがたいことだがな」
そう忠誠の囚われ人は言って、去って行った。
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