ACT010 『目隠しには慣れている』
スーツの男は基地の端に止めてある高級車を一瞥する。男の部下が運転席にいたのだろう、車はスムーズにこの場にやって来て、二人の前に停車した。
男は、流麗な作法を帯びた動作でリムジンのドアを開けて、ジュナを招き寄せる。なんだかお姫さま扱いされているようで、くすぐったい気持ちになる。
地球連邦軍のモビルスーツ乗りの女なんかに、するべき態度ではない気がするぞと、ジュナは自虐をした。自分にはお姫さま扱いされる要素などないのだ。
「では、こちらへ」
「ああ…………しかし」
「なんでしょうか?」
「……あの女は、何をして荒稼ぎをした」
「……正当な行為と、努力。ご自身の才能と運を、仕事に対して注ぎ込む姿しか、私は知りません」
「正当な行為だって?」
「……多少の嘘は、有りますが。この世界を生き抜くには、嘘だって必要なことは、ジュナ・バシュタ少尉。貴方が誰よりも分かっていることではありませんか?」
「……っ」
反論するための言葉をすぐに作れない。そこらが、自分の頭の出来の限界なのかもしれない。いつだって、あの女に口論で勝ててことはなかった。
賢くはある。そして、だからこそズルさが、致命的な結果を招くことになるのだ……。
ジュナはそんなことを考えながらも、男の開けたドアからリムジンへと乗り込んでいく。
内装は……とても広い。モビルスーツのパイロット・ルームよりは、はるかに広々としていた。手足も自由に伸ばせてしまうほどに、この空間は快適だった。嗅いだことも無かった、良い香りに充ちている……。
腹が立つ。自分たちを裏切ったあのクソ女は……一人で、こんないい暮らしをしているのか?……罪悪感?……笑わせる。
何をして、穴埋めをしてくれるというのだろう。『拾い上げてくれる』?……あんな嘘までついて、今まで放置して来たくせに。
イライラを隠しきれないまま、ジュナはリムジンのシートに腰を下ろしていた。せめて悪態をついてやるために、脚を組む。
だが、横柄な態度を取る女に慣れてしまっているのか、優男は涼やかな表情を崩すことはなかった。
「おくつろぎ下さい」
「……フン」
「では、出発します」
リムジンのドアは閉まり、静かなエンジン音と共に車は走り始めていた。ジュナは背骨と骨盤に安楽な安らぎをもたらすシートに身を預けながらも、顔色は緩めたりはしなかった。
あの女の提供してくれる、心地良さに屈する気にはならない。子供じみた抵抗をしていることは、自覚することが出来たけれど、だからといって止めることを選べやしなかった。
沈黙が生まれる。
数分のあいだ、男はジュナを好きにさせていてくれた。無言のまま、イヤそうな顔を浮かべ続けていた。しかし、ジュナとて知りたいことはある。この状況は、あまりにも謎が多い。
十年ぶりになるのか?……約束など、忘れていたのだろうと考えていたが。
……いや。ヤツはそんな玉じゃないか。執念深くて、いつまでも根に持つようなしつこさがあるヤツだろう……。
「……状況を説明させてくれますか?」
「……私を拉致したことへの謝罪か?」
「まさか。拉致はしていません。貴方は、ご自分の判断でこの車に乗られたじゃありまあせんか?」
「私が、拒絶していたら?」
「……しないと予想されていました。彼女の予想です。そして、私は、それを疑っていませでした」
「……ふん。幼なじみのことが、よく分かっているみたいだな」
「ええ。彼女は、貴方のことを、ずっとお探しになられていましたから」
「……何のために?」
「……その理由をお伝えする権限を、私は与えられてはおりません」
「……アンタは、アイツの何なんだ?」
「秘書です。分かりやすく言えば」
「秘書ね。ずいぶん出世して、楽な暮らしをしているようだ」
「……生活そのものは、豊かでしょうね。手に入らないモノは、極めて少ないお立場でしょう」
「それを聞かされても、嬉しくはなれない。私は、歪んでいるのだろうか」
「しかたがありません。貴方がたには、かなり複雑な事情がありますから」
「アンタ、女を愚痴を聞くのに慣れてやがるな?……アイツも、相当、愚痴をこぼして、アンタを『調教』しているんだろ?」
「フフフ。そうかもしれませんね」
「……そうやって笑えば、美形な面のおかげで何でも許されて来たのか?」
「いいえ。そんなことはありません。笑顔だけで渡れるほど、ニューホンコンは楽な土地ではないですよ」
「ニューホンコンね。ヤツも、ルオ商会でそれなりに苦労したってか」
「そうですね。かなりの苦労です。常人には、マネすることは出来ないでしょう。貴方は……昔の彼女によく似ています。同じような苦しみを、抱えているからでしょうか」
「……罪悪感か」
「ええ。彼女もまた、苦しんでいる」
「……当然だ。私よりも、ヤツは罪深いはずだぞ」
「……事情は、存じています」
……どこまで、この男に話しているのか。アイツに信頼されているんだろうな、この眼鏡の銀髪の男は。ニューホンコンで、このパートナーを見つけたか。
「…………それで。アイツはどこにいる?」
「今は、ニューホンコンにいます」
「……オーストラリアには来ないのか」
「今のところは。彼女は、とても多忙なのです。それに……貴方のためにも、すべきことがありますから」
「……私のためにだと?」
イヤな予感がするが、黙っておくことにする。この秘書の優男は、あまりにも女の愚痴をマジメに聞きすぎる。ミシェルめ……楽な男を飼ってやがるな……金持ちってのは、全くもって便利なものじゃないか。
「……で。この車はどこに向かっている?……コロニー落としで露骨に荒廃した、私の故郷に対して気遣いでもしてくれているのか?……外が一切、見えないぞ」
「今のところ、ジュナ・バシュタ少尉とは、正式な契約を結んでいませんから。先ほども申し上げましたが、これから向かう場所は機密に包まれた場所。公には存在していない場所です」
「存在するだけで、法に触れるか。どこの商売人にもらわれていったのか知らないが……ニュータイプの研究を、今度は自分がし始めたのか?」
「……彼女には、そんなことは出来ませんよ。それは、ジュナ・バシュタ少尉。貴方のほうが、私よりも断言できることなのではありませんか?」
「…………施設を見せろ。納得出来ない仕事をさせられるのなら、断る……私は、あの女のことを信じてはいない」
「……ええ。まずは、納得して下さい。このプロジェクトは……お嬢さまとジュナ・バシュタ少尉。双方の利益であり……お二人が共通して抱いているはずの『願い』。それを、叶えるためのプロジェクトです」
「良いこと尽くめだな」
「信じてもらえませんか?……ならば、貴方への敬意の証に、契約前ではありますが故郷の風景が見られるように―――」
「―――いらん。目隠しされるのには、慣れているんだよ」
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