ACT002 『ジュナ・バシュタの栄転』
『奇跡の子供たち』。その単語を打ち消すために、ジュナ・バシュタは沈黙を破る。大佐が黙り込むことを、彼女は許さなかったのだ。
「私は、今の任務が嫌いではありません」
模範的な軍人の言葉を使う。大佐は、目を細めながら、大きな団子っ鼻を鳴らした。
「ふん。冴えん任務だろ?」
「いいえ。地球連邦軍の任務です。治安を守るための」
「バカを言えよ。宇宙からのモビルスーツ降下に備えて、海戦仕様のジェガンで哨戒任務をしているが……そいつは、あまりにも前時代的だろうよ?……大航海時代の海賊対策よりも、非効率的だ……」
マストのてっぺんから、海原を見渡すよりも効率は悪い。モビルスーツは、帆船と違い、海中深くに潜ることだって出来る。
20メートルも潜られて、機能を停止させられたら?……見つけられるものか。身を隠すことに関しちゃ、モビルスーツってのは、特別に優れている。
ミノフスキー粒子が無くても、レーダーを弾くフォルムに、偽装された電波や音波を反響させられたらお手上げだ。そもそも……両軍で同じメーカーの、同じ開発者が機材を作っている。
お互いの手の内は、すっかりとバレている。そうなれば、悪意ある者の方が勝つ。攻撃は勝ち、守備は負ける……だから、宇宙からのモビルスーツ運搬を根絶することは不可能だ。
「それでも、任務です。軍事的な作戦が実行されていることこそが、抑止力につながっていくと……自分は、考えています」
「そう。正論だ」
「……はい。正論だと、思います」
「……だが、問題はあるんだよ。政治的な混沌に付き合わされて、ピエロを演じている兵隊サンなんて有史以来、五万といただろうが……今は、人手不足の時期でね」
「ならば、私をここに―――」
「―――ここには、お前さんみたいな、中の上サマのモビルスーツ・パイロットを飼っておくのは、どうにも勿体ないんだよ」
「……私の仕事結果に、ご不満がありますか?」
「ない。逆だ。お前は、並みより上だ。だからこそ、こんな地味な基地にいる理由もない……」
「……もっと、訓練の成績が悪かったら、ここにいられますか?」
自分でもバカな言葉を使ったと感じたが……世渡りが下手な自分らしいと、ジュナ・バシュタは感じた。
「呆れた言葉だ」
「……申し訳ありません。忘れて下さい」
「……ジュナ・バシュタ軍曹。お前にオファーが来ている」
「私に、オファー?」
「そうだ。お前、モビルスーツでの宇宙戦闘の経験はあるか?」
「……いえ。そもそも、モビルスーツ同士での戦闘経験さえ、ありません。模擬戦と、訓練ばかりで……」
「だろうな。哨戒任務においても、お前は怪しい船舶を威嚇射撃で停止させているし、バルカン砲でエンジン部だけ撃ち抜くなんざ、10人に3人のパイロットがやれそうな技術を見せた。才能はあるよ」
「……ですが……どうして、宇宙戦闘の経験はあるかと?」
「腕のいいパイロットってのは、重宝されがちでな。特殊部隊なんぞに選ばれちまうと、地上でも宇宙でも働かされることになる」
「……それが、私と何の関係が?」
「……そんな特殊部隊の一つから、実戦経験も無く、そこそこの腕前しかないお前さんごときに……オファーが来ているんだよ」
「……どういうことですか?」
「分からん。ワシのほうが訊きたいぐらいだ。ジュナよ……お前さん、何か軍の上層部に特別なコネでもあるのか……?」
大佐に問い詰められるような視線を向けられたが、ジュナは首を横に振るのみだった。顔色一つ変わらない。
いつものことだが……それが、どこか演技臭く見えるのも、いつものことだと大佐は感じていた。彼女は平常運転だ。相変わらず、何かを隠しているように直感させる……。
しかし。
彼にはジュナを追い詰めるつもりはなかったらしい。
彼が部下をいじめている姿を、ジュナは知らない。せいぜい、軽めな口調が災いして、許容範囲内のセクハラ発言やらパワハラ発言を耳にするぐらいだった。彼は、善良な人物だと、ジュナには認識されていた。
そして、その認識は間違いなどではなかった。
「―――だろうな。お前さんみたいな、無愛想な女に……そんなコネを見つけてこれるような器用さはない」
「はい。私には、そんなコネはありません」
……そうだ。
私には、そんなコネはない。ないのだ。そう信じさせなくてはならない。何かを勘づかれている。顔色を変えるな、呼吸を乱すな。小さく静かに、深く長く呼吸をするんだ。
いつもの顔を作ればいい。偽装しろ。私は、北米生まれの平凡な戦災孤児で、ベースボールが好きな25才の女兵士だ。
『奇跡の子供たち』など、私には関係ない。
「……まあ、何だっていい。どんな事情があるのかは知らんが……ジュナ・バシュタ軍曹よ。お前さんは、出世させられる」
「え?」
「出世して、少尉になるんだ」
「なんで、いきなり?」
「少尉以上のパイロットには、宇宙戦闘に関しての、より高度な訓練も解禁されるし……給料も上がる。そして、背負わされる義務も増える」
「……背負わされる、義務」
「今よりも多くの部下を指揮することになるかもしれない。将来的には、まあ、確実にそうなって行くだろう。お前さんは……これからオーストラリアの基地に転属することになる。そこで、より専門的な訓練を行うようだな。拒否権は、ない。軍を辞めるというのなら、ハナシは別だが」
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