三十二章 帝王と呼ばれた男
「お体は大丈夫ですか?」
「ああ、心配ない。調理場から食べられそうなものを拝借、なかなかスリルがあって楽しめたよ」
緊迫した環境下に置かれながら、とてもマイペースというべきか、肝が据わっているというべきか、とにかく器が広く底知れぬものを持っている人のようだ。
「余が暢気そうに見えるかね? どんなときもその状況を楽しまなくては、人生などつまらないものだと思わないかい? で、彼女は無事脱出したんだね?」
「はい。それはもちろんですわ。教えてくださった井戸の抜け道から逃がしましたわ」
「そうか。では追っ手に追いつかれることはないだろう。港に来るという味方は?」
「それも大丈夫です。信じていただいて大丈夫です。ただ、帝王におかれましては、カルミラの者など信用できないと思いますが」
「タリアよ、それをいうなら、カルミラの生き残りが余の救出に動いてくれるという方が奇跡というものだよ」
それは確かに……とタリアが頷く。
「それで、これから余はどうすればよいのだ?」
「マリアンヌ様の蘇生が済みましたら、クラウディア様たちを追いかけ海上で合流の予定です」
「蘇生とは、なにやらあやしい儀式でもするのかね?」
「まあ、帝王ともあろうお方が、ずいぶんとファンタジー的なことをおっしゃるのですね」
「意外だったかね?」
「まあ、そうですわね。でも、夢がありますわ」
「ふっ……余とて、好きで恐怖の帝王のような仮面をしているわけではない」
「ご理解申し上げております。マリアンヌ様の蘇生はできれば自然がよいと医師から言われておりますが、時間がかかるようでしたら蘇生用の薬を使用するようにと預かっております。無理に目覚めさせる代わりになにが起きるかは未知数らしいのです」
「であれば、できれば自然に……と思うのだな? しかし、そうゆっくりはしていられないであろうな。あの男の野心はつかみ所がない。てっきりマリアンヌを独占したいがため……と思っていたのだが」
愛した女が死んだにしては別れがサバサバしていると感じたようだ。
「愛した女性ではないと思います。あのような、もう死んでいるのと同じような状態で閉じこめておくなど」
「余は彼女がどのような仕打ちの中で閉じこめられていたかは想像ができない。だが、そういう愛の形もあるのだよ。かなり屈折しているがね」
「ご自身にも身に覚えがおありのような言い方ですわ」
「そのように聞こえたのであれば、そうなのであろうな。今度こそ余は彼女の願う幸せを叶えてやらねばならない。そのためなら」
「……薬での蘇生を試みると?」
「……うむ。やってくれ」
「わかりましたわ」
悩むことなく帝王の意思に従うタリアの中にも、時間を惜しみたい感情があった。
だからといって、自分から危険な賭を進言することはできない。
なぜなら、このような事態になってしまったことを悔いているのは帝王自身であると思うからだ。
※※※
蘇生の薬を投与してからどれくらいの時間が経っただろうか。
薄暗い霊安室にいると時間の感覚がわからなくなる。
その分、物音には敏感になっていく。
そしてまた、近くにいる人物の雰囲気も感じやすくなるのだ。
「焦っても仕方がないのではないか? こういうことはなるようにしかならぬ」
タリアの焦りを察した帝王が宥める。
「わかっております。ですが……」
「信頼できる医者に頼んだのであろう? ならば己の判断を信じよ」
「……はい」
それは言われなくてもわかっている。
そう思いながらもあえて帝王をたてた返答をした時だった。
ふたり以外の気配がする。
その気配はゆっくりと体を動かし、大きく息をする。
この場にもうひとりといえばひとりしかいない。
「……マリアンヌ様……」
タリアが呟くようにその名を口にすると、もうひとりの気配の視線が向けられたような気がした。
棺に駆け寄れたい、早く確かめたいと思うタリアを止めたのは帝王だった。
「余が確認してくる。そなたはそこで待て」
「ダメです。帝王がそのようなことを」
「余の使命は、ここからふたりを脱出させることであろう? そのために余の束縛を解いたのであろう? ならば、ここをでるまでは余が矢面になるのは必然」
あの男が棺になにも仕掛けをしていないことは、蘇生の薬を投与する時に確認している。
そういった面での危険はない。
しかし、帝王は油断をするなという。
蘇生したマリアンヌがしっかりと自身を保ち記憶が正しくあるか、もしあの男がなにかでマリアンヌを作り替えていたとしたら……奪還されることを踏まえ、マリアンヌが奪われないよう、記憶を書き換えているかもしれない。
結果、タリアに牙をむく可能性もゼロではない。
「……わかりました。お気をつけください」
本来であれば帝王を危険にさらすことはしない。
しかし今は、帝王もいっているようにここから脱出することが大事、そしてマリアンヌをクラウディアに会わせることも大事である。
タリアの出番は今ではないことを彼女は十分に理解していた。
「ああ、心配ない。調理場から食べられそうなものを拝借、なかなかスリルがあって楽しめたよ」
緊迫した環境下に置かれながら、とてもマイペースというべきか、肝が据わっているというべきか、とにかく器が広く底知れぬものを持っている人のようだ。
「余が暢気そうに見えるかね? どんなときもその状況を楽しまなくては、人生などつまらないものだと思わないかい? で、彼女は無事脱出したんだね?」
「はい。それはもちろんですわ。教えてくださった井戸の抜け道から逃がしましたわ」
「そうか。では追っ手に追いつかれることはないだろう。港に来るという味方は?」
「それも大丈夫です。信じていただいて大丈夫です。ただ、帝王におかれましては、カルミラの者など信用できないと思いますが」
「タリアよ、それをいうなら、カルミラの生き残りが余の救出に動いてくれるという方が奇跡というものだよ」
それは確かに……とタリアが頷く。
「それで、これから余はどうすればよいのだ?」
「マリアンヌ様の蘇生が済みましたら、クラウディア様たちを追いかけ海上で合流の予定です」
「蘇生とは、なにやらあやしい儀式でもするのかね?」
「まあ、帝王ともあろうお方が、ずいぶんとファンタジー的なことをおっしゃるのですね」
「意外だったかね?」
「まあ、そうですわね。でも、夢がありますわ」
「ふっ……余とて、好きで恐怖の帝王のような仮面をしているわけではない」
「ご理解申し上げております。マリアンヌ様の蘇生はできれば自然がよいと医師から言われておりますが、時間がかかるようでしたら蘇生用の薬を使用するようにと預かっております。無理に目覚めさせる代わりになにが起きるかは未知数らしいのです」
「であれば、できれば自然に……と思うのだな? しかし、そうゆっくりはしていられないであろうな。あの男の野心はつかみ所がない。てっきりマリアンヌを独占したいがため……と思っていたのだが」
愛した女が死んだにしては別れがサバサバしていると感じたようだ。
「愛した女性ではないと思います。あのような、もう死んでいるのと同じような状態で閉じこめておくなど」
「余は彼女がどのような仕打ちの中で閉じこめられていたかは想像ができない。だが、そういう愛の形もあるのだよ。かなり屈折しているがね」
「ご自身にも身に覚えがおありのような言い方ですわ」
「そのように聞こえたのであれば、そうなのであろうな。今度こそ余は彼女の願う幸せを叶えてやらねばならない。そのためなら」
「……薬での蘇生を試みると?」
「……うむ。やってくれ」
「わかりましたわ」
悩むことなく帝王の意思に従うタリアの中にも、時間を惜しみたい感情があった。
だからといって、自分から危険な賭を進言することはできない。
なぜなら、このような事態になってしまったことを悔いているのは帝王自身であると思うからだ。
※※※
蘇生の薬を投与してからどれくらいの時間が経っただろうか。
薄暗い霊安室にいると時間の感覚がわからなくなる。
その分、物音には敏感になっていく。
そしてまた、近くにいる人物の雰囲気も感じやすくなるのだ。
「焦っても仕方がないのではないか? こういうことはなるようにしかならぬ」
タリアの焦りを察した帝王が宥める。
「わかっております。ですが……」
「信頼できる医者に頼んだのであろう? ならば己の判断を信じよ」
「……はい」
それは言われなくてもわかっている。
そう思いながらもあえて帝王をたてた返答をした時だった。
ふたり以外の気配がする。
その気配はゆっくりと体を動かし、大きく息をする。
この場にもうひとりといえばひとりしかいない。
「……マリアンヌ様……」
タリアが呟くようにその名を口にすると、もうひとりの気配の視線が向けられたような気がした。
棺に駆け寄れたい、早く確かめたいと思うタリアを止めたのは帝王だった。
「余が確認してくる。そなたはそこで待て」
「ダメです。帝王がそのようなことを」
「余の使命は、ここからふたりを脱出させることであろう? そのために余の束縛を解いたのであろう? ならば、ここをでるまでは余が矢面になるのは必然」
あの男が棺になにも仕掛けをしていないことは、蘇生の薬を投与する時に確認している。
そういった面での危険はない。
しかし、帝王は油断をするなという。
蘇生したマリアンヌがしっかりと自身を保ち記憶が正しくあるか、もしあの男がなにかでマリアンヌを作り替えていたとしたら……奪還されることを踏まえ、マリアンヌが奪われないよう、記憶を書き換えているかもしれない。
結果、タリアに牙をむく可能性もゼロではない。
「……わかりました。お気をつけください」
本来であれば帝王を危険にさらすことはしない。
しかし今は、帝王もいっているようにここから脱出することが大事、そしてマリアンヌをクラウディアに会わせることも大事である。
タリアの出番は今ではないことを彼女は十分に理解していた。
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