第28話
彼女は笑う。
特に景色もよくない海岸沿いを、見ず知らずの男と並んで歩いているだけなのに。
……なにが楽しいのだろう?
「ねえねえ、それより、お兄さんは海が好きなんですか?」
ニコニコしながら、彼女がたずねてきた。
「いや。特には」
「え? そうなんですか?」
彼女とわたしが歩き始めてから、海岸沿いの道から砂浜におりるための階段や下り坂はけっこうあった。だが、それらをまったく見むきもせずに、わたしはやりすごしている。
「海岸沿いの道は、楽なんだ」
「楽?」
彼女はふしぎそうだ。
「道を選ばなくていい」
海岸沿いの道は、まず間違いなく堤防沿いにある。直線。仮に蛇行していても一本道。住宅街のように、住宅の並ぶ区画の切れ目ごとに、十字路が顔を出すような複雑な道ではない。
「線路沿いを歩くのでもいいんだがな。いっそ、もう電車などまず通らないだろうから線路自体を歩くのもいいかもな」
「へえー…………」
彼女は変な声をだした。
感心しているような、驚いているような。
やっと彼女は、わたしの本質に気づきつつあるようだった。
「……うまくいえませんけど……お兄さんって、そういうタイプなんですね」
「ああ。そうだ。それでも、これまではうまくやってこれた」
終末以前には、無数のルールが機能し、大量のレールが用意されていた。進学から遊びのプランまで。誰かが立てた計画に従うだけでよかった。
が。
それも終わった。
いまでは法律というルールさえ機能していない。
「だからせめて、自分で決めたことは〝続けたい〟と思ったんだ」
海岸沿いの道を歩きながら、数珠のついた手でロザリオをさわる。
そんなわたしを見て、彼女は、初めて心から同意するように、本当の親しみのこもった笑顔を向けてきた。距離がそっと縮まる。
「わたしも同じです。決めたこと、続けたいです――だって」
彼女は、砂をまいたような白い空をまぶしそうに見あげながら、
「最後だから」
途中でわたしと彼女は、公園で休んだ。海岸沿いの道が一時的に途切れていたので住宅街におり、そこで彼女は、
「適当な民家の寝室を借りましょうよ」
と主張したが、わたしはかたくなに拒否した。
結果、あいだをとって、彼女が購入した布団を使って、公園で寝ることにした。布団屋があったので、彼女はそこで代金を置いてわたしの分も買ってきてくれたのだ。店の者はいなかったので、彼女がしてくれたこととはいえ、わたし的にはグレーゾーン。
彼女はわたしのかたくなさにあきれつつも、つきあってくれた。笑顔を浮かべて。
そんなこんなで、一夜を明かした。
特に甘い出来事などもなかった。
彼女はフレンドリーな雰囲気とは対照的に、操は固いらしい。さらにいえば、わたしは宗教家――わたしが思うに宗教家とはえてして快楽に対しては否定的でなければならない――なので、同じ布団で寝るようなこともなかった。
久々の布団の柔らかさに、わたしはあっというまに眠りに落ちた。
彼女もおそらく久しぶりに会った人間とずいぶんしゃべったりして気苦労が多かったのだろう。彼女の寝息は、わたしが眠りに落ちる寸前に聞こえてきた。
翌日のお昼前、事件があった。
事件が起きたというよりは、起こった後というべきだろう。
その異変を最初に感じとったのは、わたしではなく、彼女のほう。わたしは、ただ機械的に足を動かすだけ。瞳は常に前を向いているが、実際のところ、景色などろくすっぽ見ていなかったからだ。
「あれ! お兄さん、あれ!」
あれ、あれ、とうるさく叫び、わたしの袖をつかむ少女。
わたしも前方に目をこらした。
彼女が、それを明確に表現する言葉を口にできないでいる理由も、理解できた。
それは文字で表現するなら、
惨殺死体
とでも表現すればたりる。
だが、現実には、その四文字ではいい表せない。暴力的なまでの圧力がある。それはその死体が受けた暴力をまざまざと連想させるためかもしれない。言葉がとっさに浮かばなくなるほどの強い衝撃。
大型犬でもなんでもいい、大きなほ乳類の死体を見てしまった人なら、この衝撃の強さが想像できるだろう。死ぬのだ、と、わたしたちと同じほ乳類の死体を見て、人間も死ぬのだ、と、まざまざと実感する衝撃。
わたしと彼女は、その死体をうかいすることにした。
遠目でも、それが青年の死体だとわかった。たぶんわたしよりは年が上。二十代後半といったところだろう。
まるで争ったかのように、その服はぼろぼろで、体も切り刻まれている。
「いいんですか?」
彼女の声には、やや非難するような響きがある。
とはいえ、わたしが死体の相当手前にあった砂浜におりるための階段に向かうと、彼女もついて来る。
「いいもなにも……」
そう、いいもなにもない。
だいたいどうしろというのだ? 死体を穴に埋める? 救急車を呼ぶ? 葬式をあげる? どれもこれも、心理的もしくは物理的に不可能なことばかり。そもそもそんなことになんの意味がある?
特に景色もよくない海岸沿いを、見ず知らずの男と並んで歩いているだけなのに。
……なにが楽しいのだろう?
「ねえねえ、それより、お兄さんは海が好きなんですか?」
ニコニコしながら、彼女がたずねてきた。
「いや。特には」
「え? そうなんですか?」
彼女とわたしが歩き始めてから、海岸沿いの道から砂浜におりるための階段や下り坂はけっこうあった。だが、それらをまったく見むきもせずに、わたしはやりすごしている。
「海岸沿いの道は、楽なんだ」
「楽?」
彼女はふしぎそうだ。
「道を選ばなくていい」
海岸沿いの道は、まず間違いなく堤防沿いにある。直線。仮に蛇行していても一本道。住宅街のように、住宅の並ぶ区画の切れ目ごとに、十字路が顔を出すような複雑な道ではない。
「線路沿いを歩くのでもいいんだがな。いっそ、もう電車などまず通らないだろうから線路自体を歩くのもいいかもな」
「へえー…………」
彼女は変な声をだした。
感心しているような、驚いているような。
やっと彼女は、わたしの本質に気づきつつあるようだった。
「……うまくいえませんけど……お兄さんって、そういうタイプなんですね」
「ああ。そうだ。それでも、これまではうまくやってこれた」
終末以前には、無数のルールが機能し、大量のレールが用意されていた。進学から遊びのプランまで。誰かが立てた計画に従うだけでよかった。
が。
それも終わった。
いまでは法律というルールさえ機能していない。
「だからせめて、自分で決めたことは〝続けたい〟と思ったんだ」
海岸沿いの道を歩きながら、数珠のついた手でロザリオをさわる。
そんなわたしを見て、彼女は、初めて心から同意するように、本当の親しみのこもった笑顔を向けてきた。距離がそっと縮まる。
「わたしも同じです。決めたこと、続けたいです――だって」
彼女は、砂をまいたような白い空をまぶしそうに見あげながら、
「最後だから」
途中でわたしと彼女は、公園で休んだ。海岸沿いの道が一時的に途切れていたので住宅街におり、そこで彼女は、
「適当な民家の寝室を借りましょうよ」
と主張したが、わたしはかたくなに拒否した。
結果、あいだをとって、彼女が購入した布団を使って、公園で寝ることにした。布団屋があったので、彼女はそこで代金を置いてわたしの分も買ってきてくれたのだ。店の者はいなかったので、彼女がしてくれたこととはいえ、わたし的にはグレーゾーン。
彼女はわたしのかたくなさにあきれつつも、つきあってくれた。笑顔を浮かべて。
そんなこんなで、一夜を明かした。
特に甘い出来事などもなかった。
彼女はフレンドリーな雰囲気とは対照的に、操は固いらしい。さらにいえば、わたしは宗教家――わたしが思うに宗教家とはえてして快楽に対しては否定的でなければならない――なので、同じ布団で寝るようなこともなかった。
久々の布団の柔らかさに、わたしはあっというまに眠りに落ちた。
彼女もおそらく久しぶりに会った人間とずいぶんしゃべったりして気苦労が多かったのだろう。彼女の寝息は、わたしが眠りに落ちる寸前に聞こえてきた。
翌日のお昼前、事件があった。
事件が起きたというよりは、起こった後というべきだろう。
その異変を最初に感じとったのは、わたしではなく、彼女のほう。わたしは、ただ機械的に足を動かすだけ。瞳は常に前を向いているが、実際のところ、景色などろくすっぽ見ていなかったからだ。
「あれ! お兄さん、あれ!」
あれ、あれ、とうるさく叫び、わたしの袖をつかむ少女。
わたしも前方に目をこらした。
彼女が、それを明確に表現する言葉を口にできないでいる理由も、理解できた。
それは文字で表現するなら、
惨殺死体
とでも表現すればたりる。
だが、現実には、その四文字ではいい表せない。暴力的なまでの圧力がある。それはその死体が受けた暴力をまざまざと連想させるためかもしれない。言葉がとっさに浮かばなくなるほどの強い衝撃。
大型犬でもなんでもいい、大きなほ乳類の死体を見てしまった人なら、この衝撃の強さが想像できるだろう。死ぬのだ、と、わたしたちと同じほ乳類の死体を見て、人間も死ぬのだ、と、まざまざと実感する衝撃。
わたしと彼女は、その死体をうかいすることにした。
遠目でも、それが青年の死体だとわかった。たぶんわたしよりは年が上。二十代後半といったところだろう。
まるで争ったかのように、その服はぼろぼろで、体も切り刻まれている。
「いいんですか?」
彼女の声には、やや非難するような響きがある。
とはいえ、わたしが死体の相当手前にあった砂浜におりるための階段に向かうと、彼女もついて来る。
「いいもなにも……」
そう、いいもなにもない。
だいたいどうしろというのだ? 死体を穴に埋める? 救急車を呼ぶ? 葬式をあげる? どれもこれも、心理的もしくは物理的に不可能なことばかり。そもそもそんなことになんの意味がある?
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