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終末の16日間と日記と旅

ジャンル: その他 作者: そばかす
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第21話

 わたしは、あんななにもない空にのぼって、いったいなにをしようというのだろう? 考えてみれば妻が別れるといいだしたときも胸が痛まなかった。いや、むしろ、わたしは今回のコロニーの入管の選抜を妻がいないことで乗りきれたと思って喜んでさえいた。マナにとってはたったひとりの母親である彼女が、この惑星の滅亡と人生をともにすることになんの感慨も起きなかったのだ。
「……おい。最後の命令を与える」
 わたしはエージェントふたりのほうを向いた。
 こんな世界になってもドライに仕事を進められる本物の超一流のエージェントたち。
「……マナの遺言ともいえる、この日記を届けるという役目――それをおまえ達ふたりに任せる。ヘリを使ってもらっても構わない」
「ですが、あなた様が空港に向かわれるのにヘリが必要なのでは?」
 黒服のひとりが疑問を口にしたが、わたしは笑った。きっと壮絶な笑みだったことだろう。裂けたひたいから流れる血が、顔をまだらに覆っている。
「必要ない」
 わたしは、腰にあった護身用の拳銃を抜きとる。弾は小さいが至近距離からならば十分な威力がある。
 銃口を口にくわえようとして手を止め、わたしはもう一度黒服ふたりに念を押した。
「これは、おまえ達を長年雇ってきたわたしの最後の願い、いうなれば一生のお願いだ。きっと届けてくれよ? ……頼んだぞ」
 銃口を口にくわえて、脳の方向に向け、引き金を――――。



   幕間

「どうする?」
「どうする、とは?」
 まるで双子のようによく似たサングラスの大男ふたりが話し合っていた。
 海岸沿いのこの路上では、潮の香よりも、血の臭いと硝煙のかおりのほうが強く漂っている。目をこらせば、さきほど発射されたばかりの銃にただよう煙が見えそうなほど。
 折り重なるように倒れた親子。
 父と娘。
 娘は手足をへし折られ、父親は後頭部に穴が空いている。
 ふたりとも完全に死亡していた。

 その父親の手には、大事そうににぎられた日記。

「どうするもこうするも、決まってるだろ?」
「ああ。決まってるな」
 黒服のエージェントたちは、互いの言葉にうなずきあう。
「クライアントは死亡した。依頼人が死んだのなら、仕事は終わり。規約にもある」
「そういうことだな。――だが、一生のお願い、だそうだよ?」
 そのウェットな情に訴えるような台詞を口にした男も、それを聞いた男も、酷薄なドライな笑みを浮かべている。その瞳はまぶたのない昆虫のように乾ききっている。
「繰り返すが、クライアントは死亡した。それに……」
「それに?」
 どこか楽しげに、もうひとりの黒服がたずねる。
「郵便は管轄外だ」
 親子の死体も、青年と娘と父の願いである日記も捨ておいて、黒服たちはヘリがとまっている海水浴場の駐車場に向かって歩き始めた。

 ふいに、ひとりが足を止めた。ちらりと親子の死体――いや、日記のほうを見るようにして口を開いた。
「あの青年――名前はなんといったか忘れたが、なかなか味のあるいい方をしてたな。人間はマクロで見てもミクロで見ても〝繰り返す〟というようなことを」
「失敗を、だろ?」
「そうだ。……おれたちもそうだな。ドライに仕事をこなすことを繰り返す」
「ほう、それなら――」
 愉快そうに唇の端だけで笑い、続けた。
「おれたちがこういう行動を取るのは、失敗だ、とおまえはいいたいのか?」
「……さあな。……失敗かあやまちかミスか……そういったものに含まれる行動かどうかはわからない。……ただ常識的ではないだろうな」
「たとえば常識的ならどんな対応をする?」
「あのクライアントを盾にしてコロニーに乗りこむとか」
「得策じゃないな」
「じゃあこれまでに稼いだ大金を使ったうえで、やつらのうしろ暗い取り引きをばらすと脅して、コロニーへの移住権を獲得するとか」
「それは得策だ――まあ、五分五分ってところだろう。成功したかもな。事ここにいたっては荒事も争いも、移住者たちは避けたがっているだろうし」
「ほうらみろ。……だとしたら、われわれは相当おかしなことをしているぞ」
「そうか?」
 片方がもう片方を責めるような内容と、彼らの表情は遠くへただっている。薄く笑みをはりつけた顔には、後悔も懺悔も、そして自らの命に対する執着さえ――ない。
「自分の命を大切にするのが、生き物としての本能だ。だが。おれたちはまったくそういったことに興味がない」
「まったくないわけじゃない。ちゃんと襲ってきた連中を倒しただろう」
「あの海パン男どもな。あれは虫を払っただけだ。労力的にも、意味的にも」
「なるほど。確かに蚊を叩きつぶすのは、生物としての本能というよりも生活習慣みたいなもんだな」
 エージェントのひとりがふいに真顔になった。
「だがな。おまえも感じてると思うが、おれはこの仕事に誇りを持ってるぜ。むしろ地球が滅亡するという、このうえない閉店理由に向けて、きっちりと仕事をこなせることが嬉しくてしかたない」
「いかれてるな、おまえ」
「そんなおまえもいかれてるぜ、相棒」
 やがて黒服たちはヘリに乗りこみ、ヘリは飛びたっていった。
 ヘリの起こすダウンバーストによって、日記の表紙がひらひらと揺れた。乾いた血で指としっかりと癒着していたため、どこかに飛んでいくようなことはなかった。
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