どんな思いだっていつか風化していく
昨日はほとんど眠れなかった。断片的な夢が、何度も何度も繰り返し自分の欲望むき出しに迫ってきて、慌てて飛び起きるのを繰り返してばかりだった。夢の中の自分にいっそのこと、流されてしまえと叫んでしまいたくなるほど、濡れたYシャツは凶悪だったし、しかも自分好みに夢補正が施されていて、実に心臓に悪い。
「ふぁあ、ぁ」
ランチの中弛みと重なって、眠気が襲ってくる。あと、30分くらいすればこの辺りのオフィス街の遅い休憩組がやってくる。ぼんやりランチサラダの在庫を数えていたときだった。
「よぉ」
顔馴染みの客とはまた違った、フランクな声と今となってはうすらぼんやりとしか思い出せない顔がのぞきこんできた。
「久しぶり」
今はもう、距離がある二人の関係をいっきに縮めたような思い出したくもない、柔らかな口調が懐かしかった。それと同時に、ぎゅっと締め付ける苦しい記憶。ため息しかでない自分にとっくに覚めた恋心を思い知った。
「なにしに来たの?あんた珍しいね」
突然やってきた、歓迎できない客を突き放すこともできず、ただうつむいたまま、声のした方向とは反対に顔を向けた。用もないのにカウンターに置いていたフキンの回収をはじめて忙しさをアピールしてみせる。まぁ、伝わるようなやつじゃないだろうけど。
「あは。相変わらずだね。そんなんじゃ客は逃げちゃうよ」
あんたに逃げてほしいんですけど?
「ステキなお客様にならもう少しは態度改めるけど?なに?」
メニュー表をちらつかせると、ホッとしたのかランチメニューをたのみやがった。デザートまで食うんかい。
「離婚決まった。」
あ?そういや確か、オレとのことが奥さんにばれて揉めてたって話聞いたけど。本当だったんどな。それとも後またやらかしたんだっけ?まぁ、数回あっただけでも奥さんにとっちゃすごい裏切りではあるよな。ましてや、カラダの関係ともなりゃ。どこか上の空でしっかり届いた言葉に、まるで他人の話を盗み聞きしているくらいの雑音にしかならない自分のそっけなさに驚いた。あのときは忘れられない恋をしたとときめいていたし、あきらめきれない自分によってもいた。ほんと、バカだったオレ。傷付くのはオレだけで充分だったはずなのに。なにも悪くない奥さんを、深くふかく傷付けた。
「圭?」
あの頃のような呼び方に一瞬、ヤツのペースに引きずられそうになる。いっきに過去の出来事が、現在にまでタイムスリップしてきたみたいだ。
「……。そんな報告興味ないか」
2年以上。もっとかもしれない。
「忘れたよ。はいお待たせ」
プレートには、オムライスとコンソメ。そして、プリン。
「相変わらずのお子さまメニューな」
どっかのだれかを思い出すな。ため息混じりに苦笑がこみあげてきた。
「知らないだろ?圭のメニュー、オムライスが絶品なんだよな。他はまぁ、ハズレ」
ったく。軽口だけはうまいな。
「あんたの知らないメニューも増えたよ」
「通は必ず、コレ」
笑った顔が少年みたいで、あの頃のままだ。
「今日はさ。報告と宣告」
のんきな笑顔が急に引き締まって、大人びた不思議ないろが揺れていた。
「俺の近況とあの頃のやり直し、ね」
すっと撫でられた背中に悪寒が走る。甘くしびれていたのが嘘みたいだった。
「きもっ。何年前のはなししてんだよ」
あの頃の可愛いオレはいないんだよ。
「っなんてな。ま、久しぶりに顔見れてよったよ」
またな。昔からの古い友人かのような懐かしくさせる笑顔と声が空々しく響いて、自分自身をゾッとさせる。だから、恋なんかするんじゃなかった。もしアノとき、友だちのままを選択すればこんな感情じゃなくもっと、人間らしい思いやりの念を抱いてやれたのに。
「はぁ」
ため息ばかりがやけに深く、やけに大きく耳元で聞こえた。
「はっきり言わなきゃ」
えっ?
「お前には興味ないってさ?」
お、おま、いつから。声にならない言葉は口のかたちと慌てふためく表情で、伝わったようだった。
「さいしょっから。つか、俺来てもスルーするからでしょうが」
ニヤニヤがとまらないといった表情でこちらをみている。
「今日は休み、じゃ?」
だから、思いっきり気を抜いていた。自分でも怖いことになんとなく塾のコマ割りがわかっている。ヤバいな、オレ。
「グイグイいっくって言ったでしょ。つか、話割り込まなかっただけ誉めてよ。あやうく俺のとんなっていちゃうところだったでしょ」
誰が。お前のなんだよ。だけど、ざわついていた感情がすっと落ち着きを取り戻すのを感じた。
「ね。今日はさ、デートのお誘い。ランチのみの日だったよね。」
「な、あのな。今日は買い出しの日なんだよ。オレ的にはやすみじゃねぇよ。ったく」
「えーっ?手伝うよ、荷物持ち。なんでも、さ」
清々しいまでの変わり身の早さで、あっという間に予定を塗り替えていく。
「決まり。買い物デート、ね」
「勝手にデートにすんじゃねぇ。お前なんかパシリたパシリ。こきつかってやる」
確かに、こんな日は一人じゃなくて良かったかもな。悔しいけど。今はまだ、ただこの気持ちに名前をつけたくないだけだ。
つづく
「ふぁあ、ぁ」
ランチの中弛みと重なって、眠気が襲ってくる。あと、30分くらいすればこの辺りのオフィス街の遅い休憩組がやってくる。ぼんやりランチサラダの在庫を数えていたときだった。
「よぉ」
顔馴染みの客とはまた違った、フランクな声と今となってはうすらぼんやりとしか思い出せない顔がのぞきこんできた。
「久しぶり」
今はもう、距離がある二人の関係をいっきに縮めたような思い出したくもない、柔らかな口調が懐かしかった。それと同時に、ぎゅっと締め付ける苦しい記憶。ため息しかでない自分にとっくに覚めた恋心を思い知った。
「なにしに来たの?あんた珍しいね」
突然やってきた、歓迎できない客を突き放すこともできず、ただうつむいたまま、声のした方向とは反対に顔を向けた。用もないのにカウンターに置いていたフキンの回収をはじめて忙しさをアピールしてみせる。まぁ、伝わるようなやつじゃないだろうけど。
「あは。相変わらずだね。そんなんじゃ客は逃げちゃうよ」
あんたに逃げてほしいんですけど?
「ステキなお客様にならもう少しは態度改めるけど?なに?」
メニュー表をちらつかせると、ホッとしたのかランチメニューをたのみやがった。デザートまで食うんかい。
「離婚決まった。」
あ?そういや確か、オレとのことが奥さんにばれて揉めてたって話聞いたけど。本当だったんどな。それとも後またやらかしたんだっけ?まぁ、数回あっただけでも奥さんにとっちゃすごい裏切りではあるよな。ましてや、カラダの関係ともなりゃ。どこか上の空でしっかり届いた言葉に、まるで他人の話を盗み聞きしているくらいの雑音にしかならない自分のそっけなさに驚いた。あのときは忘れられない恋をしたとときめいていたし、あきらめきれない自分によってもいた。ほんと、バカだったオレ。傷付くのはオレだけで充分だったはずなのに。なにも悪くない奥さんを、深くふかく傷付けた。
「圭?」
あの頃のような呼び方に一瞬、ヤツのペースに引きずられそうになる。いっきに過去の出来事が、現在にまでタイムスリップしてきたみたいだ。
「……。そんな報告興味ないか」
2年以上。もっとかもしれない。
「忘れたよ。はいお待たせ」
プレートには、オムライスとコンソメ。そして、プリン。
「相変わらずのお子さまメニューな」
どっかのだれかを思い出すな。ため息混じりに苦笑がこみあげてきた。
「知らないだろ?圭のメニュー、オムライスが絶品なんだよな。他はまぁ、ハズレ」
ったく。軽口だけはうまいな。
「あんたの知らないメニューも増えたよ」
「通は必ず、コレ」
笑った顔が少年みたいで、あの頃のままだ。
「今日はさ。報告と宣告」
のんきな笑顔が急に引き締まって、大人びた不思議ないろが揺れていた。
「俺の近況とあの頃のやり直し、ね」
すっと撫でられた背中に悪寒が走る。甘くしびれていたのが嘘みたいだった。
「きもっ。何年前のはなししてんだよ」
あの頃の可愛いオレはいないんだよ。
「っなんてな。ま、久しぶりに顔見れてよったよ」
またな。昔からの古い友人かのような懐かしくさせる笑顔と声が空々しく響いて、自分自身をゾッとさせる。だから、恋なんかするんじゃなかった。もしアノとき、友だちのままを選択すればこんな感情じゃなくもっと、人間らしい思いやりの念を抱いてやれたのに。
「はぁ」
ため息ばかりがやけに深く、やけに大きく耳元で聞こえた。
「はっきり言わなきゃ」
えっ?
「お前には興味ないってさ?」
お、おま、いつから。声にならない言葉は口のかたちと慌てふためく表情で、伝わったようだった。
「さいしょっから。つか、俺来てもスルーするからでしょうが」
ニヤニヤがとまらないといった表情でこちらをみている。
「今日は休み、じゃ?」
だから、思いっきり気を抜いていた。自分でも怖いことになんとなく塾のコマ割りがわかっている。ヤバいな、オレ。
「グイグイいっくって言ったでしょ。つか、話割り込まなかっただけ誉めてよ。あやうく俺のとんなっていちゃうところだったでしょ」
誰が。お前のなんだよ。だけど、ざわついていた感情がすっと落ち着きを取り戻すのを感じた。
「ね。今日はさ、デートのお誘い。ランチのみの日だったよね。」
「な、あのな。今日は買い出しの日なんだよ。オレ的にはやすみじゃねぇよ。ったく」
「えーっ?手伝うよ、荷物持ち。なんでも、さ」
清々しいまでの変わり身の早さで、あっという間に予定を塗り替えていく。
「決まり。買い物デート、ね」
「勝手にデートにすんじゃねぇ。お前なんかパシリたパシリ。こきつかってやる」
確かに、こんな日は一人じゃなくて良かったかもな。悔しいけど。今はまだ、ただこの気持ちに名前をつけたくないだけだ。
つづく
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