10話 ライラックの提案
衛兵テッラシーナが部屋を出て行くと、僕は自分の体がこわばっていることに気づいた。
不意に力が抜け、バタンと仰向けになる。
そして、ふぅと色んなものの混ざったため息をついた。
もう後には戻れない。
「グロム、大丈夫なの?」
ティノ・カルネヴァルが枕元に歩み寄って尋ねる。
同時にベッドサイドテーブル上のホタルブクロを一瞥するのを僕の目は捉えた。
裏切者が気安く心配するな。
お前の罪の証拠は、お前が僕に贈ったベルフラワーの真下にあるのだ。この白痴め。
しかし、ここで突き放すのは不自然極まりないから快く答えてやらなければならない。
「ああ、大丈――」
「こいつが大丈夫なわけないだろう? 今のグロムは異常だ!」
答えようとする僕をジョルノ・フェッドが遮る。
友人よ、なんてことを言うのだ。
「あの衛兵さんが正しければ、グロムは6時にはすでに起きていたらしいじゃないか。このスロースターターが最大の特徴であるグロムが早起きしていたっていうことだぞ!」
「それは昨日かなり早い時間に寝たからだよ」
確かに僕は立ち上がりが遅いが、最大の特徴ではないだろう。
僕は本当のことを伝えた。
「そうなのか? だとしても、あの神経質なグロムが早朝にやって来た衛兵に快く応じるなんてありえない! 普通のお前なら居留守を使うか、『うるせぇ!』と叱りつけてシャットアウトするはずだ。いったいお前の身に何があったっていうんだ?」
ひどい言いようだが彼の言う通りだ。
たとえ12時間睡眠をとったとしても、寝起きの僕は例外なく機嫌が悪い。
機嫌が良かったのは今日以外過去にも未来にもないだろう。
「それは……、最近精神が安定してきているからだよ。ほら、最近の僕は以前よりもずっと機嫌がいいだろう?」
僕は言い終わってから目を細めた。
脳内で文を完成させないうちに言ってしまった。
幼いころからずっと一緒にいると些細な変化や嘘にも簡単に気づいてしまう。
フェッドがこんな苦し紛れの釈明で納得するはずがない。
僕は恐ろしいものを見るように片目でフェッドを見た。
「……確かに」
納得するのか。
僕は拍子抜けした。
「だが、それでもお前はおかしい! 昨日また神経症状が悪化したんだろう? その原因をお前は把握しているか?」
「ファーリーとホーフェルトが図書館で勉強の邪魔をしてきたからだと思うけど」
「そんなことで今朝倒れるようなことがあるか?」
僕の背中にじとっと汗がにじむ。
やはり鋭い。痛いところを突いてくる。
まさか、フェッドはすでに真実を知っているのか?
「今お前は安定と不安定の二か所を行きつ戻りつしている。まるで双極性障害のようにな。そして、その状態には確実に原因が存在する」
僕はフェッドが躁うつ病とは言わずに双極性障害と表したことに彼らしさを感じた。
普段はフランクに見えても、差別的な発言は絶対にしないよう意識しているのがフェッドという男だ。
「じゃあ、その“双極性症状”の原因はいったい何だっていうんだ?」
恐る恐る、かつ気楽を装って核心に踏み込む。
「それはもちろんこの都市ベッグだよ」
一瞬僕の中で時間が止まった。
何だって? 都市ベッグだって?
よかった。さすがにフェッドも僕が殺人犯だと思っていなかった。
しかし、この都市ベッグが僕の病因とはどういうことだ?
立ったまま話を聞いているカルネヴァルを僕は一瞥する。
彼女は納得した顔でうなずいていた。
「どういうこと?」
「わからないのか? ベッグは別名霧の都市だ。ほぼ毎日数歩先は真っ白で何も見えないし、果実をテーブルの上に置いておけば一週間もしないうちに腐ってハエがたかる。そんなじめじめとした気候のもとにいるせいで、お前の精神は狂わされたんだよ」
なるほど。
フェッドの推察を聞いて妙に納得する。
実際に都市ベッグ特有の気候が僕の精神に影響を及ぼしてはいないが、彼の言うことにはあたかも教師のような説得力がある。
「でも、それじゃあどうしようもないな。この都市の天気を変えるだなんて神様か超能力者にしかできないんだから」
「この都市の天気を変えられないなら、一旦この都市を出ればいい!」
僕は声を出して驚いた。
「何を言っているんだ? 元気ではあるけど、僕は一応病人だぞ。長時間歩けばかえって体調を崩してしまう」
「おいおい、誰が歩いて移動するって言ったんだ?」
そう言ってフェッドがプレゼントを渡そうとする恋人のような笑みを浮かべてカルネヴァルを見上げる。
まさか――。
「馬車なら用意できるわ!」
嬉々としてカウネヴァルが声を上げた。
「待ってくれ! わざわざティノに大金を出させるわけにはいかない!」
それ以前に彼女の助けを借りるのはこちらから願い下げだ。
僕は反対の抗議を続ける。
「第一、このフォギスターン地方は盆地になっていてどこもかしこも霧に沈んでいるじゃないか」
「君はこの地方で唯一霧を被っていない地域をよく知っているじゃないか」
フェッドが得意そうに言う。
確かに知っている。
だけど、あそこには――。
「帰ろう、僕らの故郷であるスマル村へ」
不意に力が抜け、バタンと仰向けになる。
そして、ふぅと色んなものの混ざったため息をついた。
もう後には戻れない。
「グロム、大丈夫なの?」
ティノ・カルネヴァルが枕元に歩み寄って尋ねる。
同時にベッドサイドテーブル上のホタルブクロを一瞥するのを僕の目は捉えた。
裏切者が気安く心配するな。
お前の罪の証拠は、お前が僕に贈ったベルフラワーの真下にあるのだ。この白痴め。
しかし、ここで突き放すのは不自然極まりないから快く答えてやらなければならない。
「ああ、大丈――」
「こいつが大丈夫なわけないだろう? 今のグロムは異常だ!」
答えようとする僕をジョルノ・フェッドが遮る。
友人よ、なんてことを言うのだ。
「あの衛兵さんが正しければ、グロムは6時にはすでに起きていたらしいじゃないか。このスロースターターが最大の特徴であるグロムが早起きしていたっていうことだぞ!」
「それは昨日かなり早い時間に寝たからだよ」
確かに僕は立ち上がりが遅いが、最大の特徴ではないだろう。
僕は本当のことを伝えた。
「そうなのか? だとしても、あの神経質なグロムが早朝にやって来た衛兵に快く応じるなんてありえない! 普通のお前なら居留守を使うか、『うるせぇ!』と叱りつけてシャットアウトするはずだ。いったいお前の身に何があったっていうんだ?」
ひどい言いようだが彼の言う通りだ。
たとえ12時間睡眠をとったとしても、寝起きの僕は例外なく機嫌が悪い。
機嫌が良かったのは今日以外過去にも未来にもないだろう。
「それは……、最近精神が安定してきているからだよ。ほら、最近の僕は以前よりもずっと機嫌がいいだろう?」
僕は言い終わってから目を細めた。
脳内で文を完成させないうちに言ってしまった。
幼いころからずっと一緒にいると些細な変化や嘘にも簡単に気づいてしまう。
フェッドがこんな苦し紛れの釈明で納得するはずがない。
僕は恐ろしいものを見るように片目でフェッドを見た。
「……確かに」
納得するのか。
僕は拍子抜けした。
「だが、それでもお前はおかしい! 昨日また神経症状が悪化したんだろう? その原因をお前は把握しているか?」
「ファーリーとホーフェルトが図書館で勉強の邪魔をしてきたからだと思うけど」
「そんなことで今朝倒れるようなことがあるか?」
僕の背中にじとっと汗がにじむ。
やはり鋭い。痛いところを突いてくる。
まさか、フェッドはすでに真実を知っているのか?
「今お前は安定と不安定の二か所を行きつ戻りつしている。まるで双極性障害のようにな。そして、その状態には確実に原因が存在する」
僕はフェッドが躁うつ病とは言わずに双極性障害と表したことに彼らしさを感じた。
普段はフランクに見えても、差別的な発言は絶対にしないよう意識しているのがフェッドという男だ。
「じゃあ、その“双極性症状”の原因はいったい何だっていうんだ?」
恐る恐る、かつ気楽を装って核心に踏み込む。
「それはもちろんこの都市ベッグだよ」
一瞬僕の中で時間が止まった。
何だって? 都市ベッグだって?
よかった。さすがにフェッドも僕が殺人犯だと思っていなかった。
しかし、この都市ベッグが僕の病因とはどういうことだ?
立ったまま話を聞いているカルネヴァルを僕は一瞥する。
彼女は納得した顔でうなずいていた。
「どういうこと?」
「わからないのか? ベッグは別名霧の都市だ。ほぼ毎日数歩先は真っ白で何も見えないし、果実をテーブルの上に置いておけば一週間もしないうちに腐ってハエがたかる。そんなじめじめとした気候のもとにいるせいで、お前の精神は狂わされたんだよ」
なるほど。
フェッドの推察を聞いて妙に納得する。
実際に都市ベッグ特有の気候が僕の精神に影響を及ぼしてはいないが、彼の言うことにはあたかも教師のような説得力がある。
「でも、それじゃあどうしようもないな。この都市の天気を変えるだなんて神様か超能力者にしかできないんだから」
「この都市の天気を変えられないなら、一旦この都市を出ればいい!」
僕は声を出して驚いた。
「何を言っているんだ? 元気ではあるけど、僕は一応病人だぞ。長時間歩けばかえって体調を崩してしまう」
「おいおい、誰が歩いて移動するって言ったんだ?」
そう言ってフェッドがプレゼントを渡そうとする恋人のような笑みを浮かべてカルネヴァルを見上げる。
まさか――。
「馬車なら用意できるわ!」
嬉々としてカウネヴァルが声を上げた。
「待ってくれ! わざわざティノに大金を出させるわけにはいかない!」
それ以前に彼女の助けを借りるのはこちらから願い下げだ。
僕は反対の抗議を続ける。
「第一、このフォギスターン地方は盆地になっていてどこもかしこも霧に沈んでいるじゃないか」
「君はこの地方で唯一霧を被っていない地域をよく知っているじゃないか」
フェッドが得意そうに言う。
確かに知っている。
だけど、あそこには――。
「帰ろう、僕らの故郷であるスマル村へ」
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