前編
「真由ちゃんは踊りが上手で可愛いねえ。
「お祭りの法被が良く似合うよ。」
「流石は坂田家の血を引く良い孫だ。」
私は幼い頃、共働きの両親の代わりの祖父と祖母に育てられた。
NHKの教育番組が大好きで特に「おかあさんといっしょ」のお祭りの歌に合わせて法被を着て無邪気に踊って歌う、この姿を祖父と祖母は喜んで見てくれていた。
薄っすらとだが、この時の記憶は心の中に刻まれている。
しかし、私は小学生になった頃からお祭りが嫌いになってしまっていた。
祖父が町内の自治会長をしていたり、お祭りの実行委員長を務めていたので友達と一緒にお祭りへ行くと、「あー!真由ちゃんのお爺ちゃんがマイクで喋ってる!」「見て見て、真由ちゃんのお爺ちゃんがテントに居るよ。」と言われ友達に悪気は無い事は分かっていたけれど、なんだか無性に恥ずかしい気持ちになってしまって嫌だったからだ。
盆踊りもそうだった。
色んな屋台が出て花火も打ち上げられる。子供にとっては楽しい行事の筈なのに、祖父が審査員になっていてテントの前を通る度にお祭りでも言われた様な事を友達に言われて私は盆踊りが嫌いになっていた。
決して祖父の事が嫌いな訳ではなかった。
小さい頃に私をお風呂に入れてくれていたのはお爺ちゃんだった。
子供ながら「いつの日かお爺ちゃんは死んじゃうんだ」と考えると自然と涙が出てしまい泣いていた。この事は家族は誰も知らなかっただろう。
お爺ちゃんはお婆ちゃんと結婚する際、坂田家にお婿さんにきた。
お婆ちゃんは気が強い人で物の言い方もきつい人。自分の思う様に物事が進まないと直ぐに感情的になる様な人間だ。
私の事も孫扱いをして凄く可愛がってくれたと思ったら、未だ小学生の子供の私にお義母さんの愚痴を言ってきたりもした。
愚痴を直接的に言わないでわざと聞こえる様に言う……今思えば自我が成長していく子供にとっては良い家庭環境とは言えない家庭だった。
お母さんへの悪口は「夏子は生意気だ、嫁のクセに。」「仕事だかなんだか知らないけど私は飯炊き婆さんじゃないんだよ。」等と言っていた。
そして、お母さんも「お義母さんは大袈裟だ。ご飯の支度だって仕事から帰ってちゃんとやっているのに。」「お義母さんはわざと私の悪口を聞こえる様に言っている。」と言い、私は嫁姑の間に板挟みにされていつの間にか大人の顔色を窺がいながら過ごす、子供らしくない子供になっていた。
この事はお父さんにもお爺ちゃんにも話せなかった。
「私が我慢すれば良い」無意識の中でそう考えていたのだろう。
お婆ちゃんから聞かされる悪口はお母さんへのものだけではない。
お爺ちゃんの悪口も聞いた。「爺ちゃんはね、お婿にきたんだよ。だから、顔を立ててやる為に坂田家の家も爺ちゃん名義にしてやったんだ。」「爺ちゃんは生まれた家が良くないから教養が無いんだよ。」私はお爺ちゃんが大好きだったから、お祭りや盆踊りは嫌いになっても悪口を言われているのが凄く悲しくて独りで泣く事もあった。
今思えばお爺ちゃんが自治会長や町に貢献する事に積極的に取り組んでいたのは坂田家の名前の為、或いは自分が婿だという劣等感があるからこそ一生懸命に取り組んでいたのだと思う。
「お祭りの法被が良く似合うよ。」
「流石は坂田家の血を引く良い孫だ。」
私は幼い頃、共働きの両親の代わりの祖父と祖母に育てられた。
NHKの教育番組が大好きで特に「おかあさんといっしょ」のお祭りの歌に合わせて法被を着て無邪気に踊って歌う、この姿を祖父と祖母は喜んで見てくれていた。
薄っすらとだが、この時の記憶は心の中に刻まれている。
しかし、私は小学生になった頃からお祭りが嫌いになってしまっていた。
祖父が町内の自治会長をしていたり、お祭りの実行委員長を務めていたので友達と一緒にお祭りへ行くと、「あー!真由ちゃんのお爺ちゃんがマイクで喋ってる!」「見て見て、真由ちゃんのお爺ちゃんがテントに居るよ。」と言われ友達に悪気は無い事は分かっていたけれど、なんだか無性に恥ずかしい気持ちになってしまって嫌だったからだ。
盆踊りもそうだった。
色んな屋台が出て花火も打ち上げられる。子供にとっては楽しい行事の筈なのに、祖父が審査員になっていてテントの前を通る度にお祭りでも言われた様な事を友達に言われて私は盆踊りが嫌いになっていた。
決して祖父の事が嫌いな訳ではなかった。
小さい頃に私をお風呂に入れてくれていたのはお爺ちゃんだった。
子供ながら「いつの日かお爺ちゃんは死んじゃうんだ」と考えると自然と涙が出てしまい泣いていた。この事は家族は誰も知らなかっただろう。
お爺ちゃんはお婆ちゃんと結婚する際、坂田家にお婿さんにきた。
お婆ちゃんは気が強い人で物の言い方もきつい人。自分の思う様に物事が進まないと直ぐに感情的になる様な人間だ。
私の事も孫扱いをして凄く可愛がってくれたと思ったら、未だ小学生の子供の私にお義母さんの愚痴を言ってきたりもした。
愚痴を直接的に言わないでわざと聞こえる様に言う……今思えば自我が成長していく子供にとっては良い家庭環境とは言えない家庭だった。
お母さんへの悪口は「夏子は生意気だ、嫁のクセに。」「仕事だかなんだか知らないけど私は飯炊き婆さんじゃないんだよ。」等と言っていた。
そして、お母さんも「お義母さんは大袈裟だ。ご飯の支度だって仕事から帰ってちゃんとやっているのに。」「お義母さんはわざと私の悪口を聞こえる様に言っている。」と言い、私は嫁姑の間に板挟みにされていつの間にか大人の顔色を窺がいながら過ごす、子供らしくない子供になっていた。
この事はお父さんにもお爺ちゃんにも話せなかった。
「私が我慢すれば良い」無意識の中でそう考えていたのだろう。
お婆ちゃんから聞かされる悪口はお母さんへのものだけではない。
お爺ちゃんの悪口も聞いた。「爺ちゃんはね、お婿にきたんだよ。だから、顔を立ててやる為に坂田家の家も爺ちゃん名義にしてやったんだ。」「爺ちゃんは生まれた家が良くないから教養が無いんだよ。」私はお爺ちゃんが大好きだったから、お祭りや盆踊りは嫌いになっても悪口を言われているのが凄く悲しくて独りで泣く事もあった。
今思えばお爺ちゃんが自治会長や町に貢献する事に積極的に取り組んでいたのは坂田家の名前の為、或いは自分が婿だという劣等感があるからこそ一生懸命に取り組んでいたのだと思う。
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