第3話
ランドセルは小学生にとっては慣れたもので、しゃれたバッグなどと違い両手が自由になるし、さりげにけっこうたくさんの物が入り、重い荷物も比較的持ち運びしやすい構造になっている。
少女はかわいい巾着袋を取りだすと、中から細くて短い物と、薄い手帳のような物と、カードを一枚出すと、それらをおれにさしだした。
実印と思われる物と通帳とキャッシュカード。
あまりにもランドセルを背負う少女とアンバランスなため、すぐにはなにかわからなかったほどだ。
「お兄さん、わたしに雇われて頂けませんか? 時給一万円で。内容は、わたしとこの犬を守ってほしいんです。地球滅亡まで」
時給一万円?
おれはいぶかしく思いながらも通帳をめくる。一、十、百、千、万……。三百万? と思ったが、コンマの位置に違和感。もう一度ゼロの数を数え直すと、――三千万!!
少女はさらに学生証を見せた。写真入りの学生証に、相澤マナという名前。
そして通帳も「アイザワマナ」となっている。
正真正銘どうやら、この通帳は彼女の物らしい。
さらに別の巾着袋から紙の束――しばらくして本物の札束だと気づいた――を取りだした。
「二百万円、とりあえず前払いしますから」
おれはうなずいた。
札束を手渡される。
断る理由などない。いくら金の価値が暴落しているとはいえ大金には違いない。
人類滅亡まで残り十六日。
そんなどん詰まりになって、とんでもない好条件のバイトにありつけたらしい。平日時給八〇〇円、土日祝日時給八五〇円のバイトから、一気に時給一万円にランクアップ!
しかも若者がよく口にする〝やりがい〟とやらに満ちあふれている。危険になった町中で、幼い少女を守るバイト。
おれは声に出して了承した。
「わかった。その仕事、受けるよ」
時給一万円。いきなり高給取りとなったおれの初仕事は、少女を自宅に案内することだった。
少女には、さびた鉄製の外階段がいまにも朽ち果てそうにぶらさがっている二階建てのアパートが、いたくめずらしいようだった。エントランスもオートロックもない建物に入るのは初めてなのかも。
かんかんかん、と高そうな赤い靴で階段をのぼりながら聞いてくる。
「お兄さんはひとり暮らしなのですか?」
「ああ、そうだよ」
おれは無気力に返す。いつも省エネの人生。
少女とおれはしばし無言。
部屋のドアに鍵をさしこみ、そのドアをちょっと右斜め上に持ちあげるようにして、引っぱると、がこっという音とともに、ドアが外れるかのように開いた。
「ちょっと建てつけが悪いんだ」
びっくりした顔の少女を見下ろしていう。
「そういえば自己紹介がまだだったけど、おれは波佐間真一」
「あ。わたしは相澤マナと申します」
少女が開いたドアの横で丁寧にお辞儀する。
「ああ。んじゃ入って」
おれは少女を招きいれる。
おれは少女に背を向けて、通路がキッチンになっているせまい廊下を抜けて、ベッドとテレビと机でほぼいっぱいの部屋に入った。
彼女に背中を見せて歩く数秒間、脳裏にいろいろな雑念が目まぐるしく浮かんだ。
白昼堂々の強盗! 武装した少年少女たち数人に襲われたフリーター! などなど。そういった事件はたくさん聞いている。犯罪の低年齢化どころの騒ぎではなく、警察がまともに機能していないし、病院も開店休業状態(中にはきちんと医者がいるところもあるが長蛇の列)なので、いま――背後にいる彼女がポケットからナイフを取りだして、おれの背中を刺したら、わりとヤバイ――そしてそういうことは、いまの世界ではごくあたりまえに起こりえるのだ。理由なんてなんでもいい。たとえばお腹がすいていて、目の前にいる三十手前の男が食料の入った袋を持っていたからなどでも。
だが、彼女はおれを刺すこともなく普通についてきた。
ちょっと心配になる。
「そんなホイホイ、知らない人についていったら危ないんじゃないか?」
「もういまの終末を迎えた世界では、知っている人でも危ないと思いますよ? 幼い子供と無理心中をする父親や母親はあとを絶ちませんし、昨日までは仲のよかったお隣さんにわけもなく暴行を受けた人の話もありました。他には、職場で受けたこれまでの鬱憤を晴らすため、上司や同僚の自宅をゴルフクラブを持ってお礼参りにまわったサラリーマンなど」
「……確かに」
おれはうなずく。
もういまの世界、どのような肩書きも信用がおけないし、どのような関係も信頼する理由たりえない。あと半月程度で死ぬとなれば、誰もがまともでなくなる。
「じゃあ、きみはどうしておれに声をかけたんだ?」
「お兄さん、気づいてました? 自分が日常を、まだ、この非日常の中で生きていることを」
「ん?」
いまいち意味がわからない。
「お兄さんは、ごくあたりまえのようにコンビニで買い物をしました。盗むのがあたりまえになっている現状で、ほとんど暇つぶしというか、ロープレのつもりで店番まがいのことをしている店長さんにお金を払ってました。でもって、あたりまえのように赤信号で立ち止まって、青に変わったら歩いてました」
少女はかわいい巾着袋を取りだすと、中から細くて短い物と、薄い手帳のような物と、カードを一枚出すと、それらをおれにさしだした。
実印と思われる物と通帳とキャッシュカード。
あまりにもランドセルを背負う少女とアンバランスなため、すぐにはなにかわからなかったほどだ。
「お兄さん、わたしに雇われて頂けませんか? 時給一万円で。内容は、わたしとこの犬を守ってほしいんです。地球滅亡まで」
時給一万円?
おれはいぶかしく思いながらも通帳をめくる。一、十、百、千、万……。三百万? と思ったが、コンマの位置に違和感。もう一度ゼロの数を数え直すと、――三千万!!
少女はさらに学生証を見せた。写真入りの学生証に、相澤マナという名前。
そして通帳も「アイザワマナ」となっている。
正真正銘どうやら、この通帳は彼女の物らしい。
さらに別の巾着袋から紙の束――しばらくして本物の札束だと気づいた――を取りだした。
「二百万円、とりあえず前払いしますから」
おれはうなずいた。
札束を手渡される。
断る理由などない。いくら金の価値が暴落しているとはいえ大金には違いない。
人類滅亡まで残り十六日。
そんなどん詰まりになって、とんでもない好条件のバイトにありつけたらしい。平日時給八〇〇円、土日祝日時給八五〇円のバイトから、一気に時給一万円にランクアップ!
しかも若者がよく口にする〝やりがい〟とやらに満ちあふれている。危険になった町中で、幼い少女を守るバイト。
おれは声に出して了承した。
「わかった。その仕事、受けるよ」
時給一万円。いきなり高給取りとなったおれの初仕事は、少女を自宅に案内することだった。
少女には、さびた鉄製の外階段がいまにも朽ち果てそうにぶらさがっている二階建てのアパートが、いたくめずらしいようだった。エントランスもオートロックもない建物に入るのは初めてなのかも。
かんかんかん、と高そうな赤い靴で階段をのぼりながら聞いてくる。
「お兄さんはひとり暮らしなのですか?」
「ああ、そうだよ」
おれは無気力に返す。いつも省エネの人生。
少女とおれはしばし無言。
部屋のドアに鍵をさしこみ、そのドアをちょっと右斜め上に持ちあげるようにして、引っぱると、がこっという音とともに、ドアが外れるかのように開いた。
「ちょっと建てつけが悪いんだ」
びっくりした顔の少女を見下ろしていう。
「そういえば自己紹介がまだだったけど、おれは波佐間真一」
「あ。わたしは相澤マナと申します」
少女が開いたドアの横で丁寧にお辞儀する。
「ああ。んじゃ入って」
おれは少女を招きいれる。
おれは少女に背を向けて、通路がキッチンになっているせまい廊下を抜けて、ベッドとテレビと机でほぼいっぱいの部屋に入った。
彼女に背中を見せて歩く数秒間、脳裏にいろいろな雑念が目まぐるしく浮かんだ。
白昼堂々の強盗! 武装した少年少女たち数人に襲われたフリーター! などなど。そういった事件はたくさん聞いている。犯罪の低年齢化どころの騒ぎではなく、警察がまともに機能していないし、病院も開店休業状態(中にはきちんと医者がいるところもあるが長蛇の列)なので、いま――背後にいる彼女がポケットからナイフを取りだして、おれの背中を刺したら、わりとヤバイ――そしてそういうことは、いまの世界ではごくあたりまえに起こりえるのだ。理由なんてなんでもいい。たとえばお腹がすいていて、目の前にいる三十手前の男が食料の入った袋を持っていたからなどでも。
だが、彼女はおれを刺すこともなく普通についてきた。
ちょっと心配になる。
「そんなホイホイ、知らない人についていったら危ないんじゃないか?」
「もういまの終末を迎えた世界では、知っている人でも危ないと思いますよ? 幼い子供と無理心中をする父親や母親はあとを絶ちませんし、昨日までは仲のよかったお隣さんにわけもなく暴行を受けた人の話もありました。他には、職場で受けたこれまでの鬱憤を晴らすため、上司や同僚の自宅をゴルフクラブを持ってお礼参りにまわったサラリーマンなど」
「……確かに」
おれはうなずく。
もういまの世界、どのような肩書きも信用がおけないし、どのような関係も信頼する理由たりえない。あと半月程度で死ぬとなれば、誰もがまともでなくなる。
「じゃあ、きみはどうしておれに声をかけたんだ?」
「お兄さん、気づいてました? 自分が日常を、まだ、この非日常の中で生きていることを」
「ん?」
いまいち意味がわからない。
「お兄さんは、ごくあたりまえのようにコンビニで買い物をしました。盗むのがあたりまえになっている現状で、ほとんど暇つぶしというか、ロープレのつもりで店番まがいのことをしている店長さんにお金を払ってました。でもって、あたりまえのように赤信号で立ち止まって、青に変わったら歩いてました」
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