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復讐の王女の伝説

ジャンル: ハイ・ファンタジー 作者: そばかす
目次

第31話

 カヤはこの波紋を広げようと思った。
 どこまでも、どこまでも……。
 カヤには風の音が聞こえていた。
 甲高く細い悲鳴のような風の音だ。
 心の中で風が吹き荒れていた。
 それはますます強くなっていく。
 カヤの表情は平静だ。
 しかし、その内に吹き荒れる風は、現実の嵐よりももっと激しく凄惨だ。
 カヤには屍の山が見えた。
 そこにはヴァールもヌイもルグウ族もその他の流浪の民も王国の民も転がっていた。
 復讐。
 何に対する復讐かも分からなくなっていた。
 しかし、その屍の山をカヤは見たいと思った。
 風が呼んでいた。
 黒い風だ。
 上空を埋め尽くす雨雲と、下を埋め尽くす黒い廃墟と死体を孕んだ風だ。
 殺せ!
 みんなみんな!
 そう風は甲高く叫んでいる。
 復讐は何も生まない?
 ――それは嘘だ。
 復讐は産み落とした。
 カヤという名の復讐の申し子を。

 サーカスが始まっていた。
 流浪の民も王国の民も野獣と化していた。
 似合わない服や宝石をまとった野獣たち。獣使い不在のサーカス。
 観客はカヤ――ただひとりだけのようだった。
 カヤが想定していた通りに、流浪の民たちはおおよそ動いた。
 三つ巴の争い。
 しかし、カヤが想像もしなかったのは、流浪の民が王国の貴族や富豪たちを重用したことだ。そのため予想より争いが少ない。流浪の民の支配後の方が、地位が向上した王国の人間さえいる。
 また、王国の民も、昨日まで獣よ、野獣よと蔑んでいた流浪の民たちに媚びへつらい揉み手をしている。
 信じられないことだ。
 カヤは誇りとか精神といったものには、もっと絶対的なものがあると思っていた。それがわずかな期間で激変している。また適応しようとする人間の数も想像以上だった。
 すべての価値観は入れ替わりつつある。
 王国の兵士たちは力を失い、街では犯罪が溢れ出している。
 弱い者が虐げられ、強い者が肥え太る構造はもともとあったが、ここまで露骨になるとは思いもよらなかった。
 とはいえ、カヤの境遇も楽ではない。
 カヤには護衛と称するちょっとした軍隊がついている。ヴァール派、ヌイ派、竜派から各十名ずつ送られてきた集団だ。監禁・監視こそが目的だろう。
 カヤの人権などまったく考慮されなかった。カヤをエーヴィヒ王国の極めて貴重な宝石とでも思ったのか金庫にしまうように監禁された。
 シャルロットに会えない。
 それが辛い。
 シャルロットの憎悪が強くなっていくだろうと容易に想像できた。
 背中を刺したシャル。
 その憎悪の眼差し。
 カヤの脳裏にはシャルばかりが浮かんだ。
 笑顔は浮かばない。想像もできない。アンネローゼの笑顔もヒルデの笑顔もだ。
 皆、カヤに向かって、憎悪の表情で呪詛を吐きかけている。
 その呪詛に精神を蝕まれ、カヤはやつれていった。
 外にも出られず、ときおり人目を忍んで現れる各派閥の人間に巧みに情報を流し、互いに噛み合うように仕向ける。それだけが生き甲斐だった。
 ずっと甲高い風の音が頭に響いている。
 寝ているときも起きているときも止むことはない。
 ふいに甲高い音の正体が、
「早く! 早く!」
 そう急き立てる女の声だと気づいた。
 あのときのシャルの声、目の前にいるすべての流浪の民を殺してと叫んだあのときの声だ。
 カヤは服にも食事にも、すべてに興味を失っていた。
 心の中で荒れ狂う風の声――シャルロットの声だけを聞いていた。

 ヌイやヴァールといった族長クラスの人間は、単独でカヤに会いに来ることがなくなった。おそらく互いに牽制した結果そうなったのだろう。
 カヤは現れる各派閥の使者に、もしシャルロットに会わせてくれるなら、できる限り力を貸そうともちかけた。
 シャルロットに会う許可を与えたのは、竜派だった。
 竜の使いの使者は現れると、カヤをシャルロットのもとに案内した。
 地下牢に案内されて、カヤは震えが止まらなかった。
「まさか……ここに?」
「さようで御座います、カヤ様」
「信じられない……どうして、こんな、ひどい……」
「ひどいと仰せですが……」歩みをゆるめず竜の使いは言う。「街のようすはご存じで?」
「口伝えでは」
「さようで。……地下牢なのは半分はシャルロットの安全を考えてのことです。それに地上の力なき民の現状を思えば、地下牢での暮らしはかなりマシなものです」
「マシなものですか!」
「……たしかにかつての王族としての暮らしを思えば少々部屋は手狭かもしれませんね」
 狭い牢屋に放り込まれていたのは灰色の丸太。
 灰色の丸太ではなく、灰色の毛布にくるまったシャルロットだと気づくと、カヤは声をかけることもできずに立ち尽くした。
「ひどい……」
 シャルロットは粗末なベッドに寝かされていた。
「彼女は怪我人なのよ!」
「自業自得です、カヤ様」
 カヤは力なく首を振った。
「シャル?」
 カヤは声をかけた。
 シャルロットはぴくりとも動かない。返事もしない。
 死んでいるように動かない。
 カヤは鍵を開けさせ、勇気を振り絞り、牢に入った。
 金色の髪は薄汚れてくすんでいた。
 シャルロットの寝顔は憎悪に醜く歪んでいた。
 カヤはシャルロットの頬に触れた。
 冷たい。
 脈をとる。
 止まっていた。
「…………そんな……」
 カヤは泣くこともできず立ち尽くした。
 シャルロットは死んでいた。

 カヤはシャルロットの死を知ったあと、亡骸のようになった。
 風は止んだ。
 ただ止んだように思えるだけなのかもしれない。
 深夜、突然カヤの前に見知らぬ男が現れた。金髪碧眼だ。
 カヤは目を開けたまま昼も夜もなく横になっていた。
 目の前に見知らぬ男の顔がぬっと近づいてもカヤは驚きもしなかった。
 ただ見つめていた。
 男は言った。
「シャルロット様は殺されたのだ」と。
 カヤの目に光が宿る。
 憎悪の光。
 男は続けた。
「シャルロット様が殺されたのは、ヴァール派、ヌイ派、竜派の一致した見解の結果だ」と。
 カヤは各派閥の人間が、敵対する派閥が殺したというふうに吹聴してきたことを思い出した。が、無論信じなかった。証拠もなく、矛盾だらけの言葉が、同時期に聞かされたのだ。
 だが、目の前の男はとくとくと三者が揃った会議での席上の話を語って聞かせた。それは実にリアリティーがあった。まるで見てきたようだ。
 カヤが冷静ならこの話はおかしいと思っただろう。リアル過ぎるのだ。目の前の男は金髪碧眼で、明らかに流浪の民の顔立ちではない。族長ではなく、流浪の民でさえない男が、そんな場に招かれるはずはない。つまり、作り話なのだ。
 だが、カヤはその作り話を信じた。
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