第拾参話
「そっか」
ヒルダは軽やかに頷く。話の重さに反したその明るい反応に、ジークフリードが瞠目したのが横目で見て取れた。それが何だか昔の……名実共にシグルスであった時の彼を彷彿とさせて、ヒルダの顔が綻ぶ。
「ちゃんと話してくれてありがとう」
そう言ったヒルダは、清々しい気持ちで一杯だった。
拒絶されなかった。全てを打ち明けてくれた。絶望しながらも、無意識のうちにヒルダに救いを求めて、抱え込んでいた苦痛を吐き出してくれた。
それはまだ、心のどこかでジークフリードが自分のことを信頼してくれている証だった。まだ、頼れる仲間だと信じてもらえているのだと。助けてほしいと言ってもらえているのだと。
「私達、ずっと仲間じゃない」
曇りなくそう言い切れる。今まで不安で仕方なかった事実を、他でもないジークフリードの言葉で裏付けることができた。
心の中の霞が霧散するのを感じた。
「英雄とか、不老不死とかそんなの関係ない。無事に私達のところに帰ってきてくれた、それだけで十分よ」
「俺を受け入れてくれるのか?」
ヒルダは力強く頷いた。
「おかえりなさい」
ジークフリードは一瞬目を見開いて、それから泣き笑いのような表情を浮かべる。くしゃりと歪んだ少年のような表情は英雄ジークフリードではなく、間違いなくシグルスの表情だった。
シグルスはここにいる。彼女の世界から消えてなどいなかった。境界線など存在しなかった。これが真にヒルダが願った世界だ。
自棄になって槍を振り回していた数分前までの自分が嘘のように、ヒルダは今とてつもなく安堵していた。
「ヒルダ」
何かを告げようとジークフリードがヒルダに顔を向ける。少し気恥ずかしい気がして逡巡するが、ヒルダも恐る恐るジークフリードと視線を繋いだ。
どちらからともなく口を開きかけたその瞬間、すぐ傍らの大樹が音もなく根元からひび割れ、勢いをつけて二人に向かって倒れてきた。
二人は同時に反応した。その場から飛び退き、油断なく得物を構える。圧し潰すべき対象を失った大樹は土埃と轟音を巻き上げて二人の視界を遮った。
「っ」
土埃に視覚を奪われまいと目を細めたヒルダだったが、頬を掠めた痛みに思わず声を漏らす。飛んできた小石で切ったかと頬の傷口を手の甲で拭うが、血とは異なる柔くむず痒い感覚を捉えてぞっと背筋が冷えた。
おそるおそる手の甲を確認すれば、そこには禍々しい色をした毒虫の幼虫が大量にこびりつきもがいていた。鎖骨あたりにも無数の幼虫がボロボロと転がり落ちていく。頬の傷口から幼虫が大量に湧いている。そう認識したヒルダはあまりのおぞましさに声を上げた。
「幻影だ!」
ジークフリードの鋭い呼びかけで我に返る。倒木を飛び越えて走り寄ってきたジークフリードが、困惑するヒルダの瞳を片手で覆う。薄い光が視界を包みこんだ後、ジークフリードが片手をどけた。
もう一度頬を触ると、幼虫はおろか傷すらできていない。魔術で幻影を消してくれたのだろう、ジークフリードが安堵したような表情で肩の力を抜いた。
「ピクシーだ。気をしっかり持て」
「今のが、幻影……?」
あまりのリアリティにぞっとした。完全に幻影に囚われていた。ジークフリードがいなければあのまま術中に嵌まり食い殺されていたかもしれない。
礼を言う暇もなく、二人は無言で武器を構えた。神経を研ぎ澄ませれば、森の暗闇の奥にいくつも影がうごめいている。それはこちらの動向を探りながらも、徐々に距離を詰めてきているようだった。
「……」
ジークフリードは黙ったまま、その影を見つめていた。次にジークフリードが口を開いた時、もう影はすぐそこまで迫っているというのに、なぜか彼は構えた剣の鞘を取り払わない。以前のように魔術を使う気配もなく、ヒルダに焦りが募る。
「何してるの! もうすぐそこまで来てるよ!」
「ヒルダ」
落ち着いた呼びかけに、いっそ焦りを増すヒルダ。身をもってその魔術を体感した今、ピクシーの脅威は生々しく鬼気迫るものとして彼女を脅かす。
しかし、彼の言葉は、気張るヒルダの思考を一瞬停止させた。
「一緒に戦ってくれるか?」
ヒルダは思わず視線を敵から逸らしジークフリードへ向けた。
あの日から数年間。自分はただこの一言を求めていたのかもしれない、と彼女はボンヤリ思った。あの日と同じ、ジークフリードとの絆を確信できる言葉。
自分は今でも、これからもずっと、彼の仲間なのだと。
「当たり前でしょう」
涙声の混じったヒルダの呟きに、ジークフリードは嬉しそうに笑う。そこでようやく剣をずらりと鞘から引き抜いて、向かってくるピクシーに対して刃を向けた。
ヒルダは軽やかに頷く。話の重さに反したその明るい反応に、ジークフリードが瞠目したのが横目で見て取れた。それが何だか昔の……名実共にシグルスであった時の彼を彷彿とさせて、ヒルダの顔が綻ぶ。
「ちゃんと話してくれてありがとう」
そう言ったヒルダは、清々しい気持ちで一杯だった。
拒絶されなかった。全てを打ち明けてくれた。絶望しながらも、無意識のうちにヒルダに救いを求めて、抱え込んでいた苦痛を吐き出してくれた。
それはまだ、心のどこかでジークフリードが自分のことを信頼してくれている証だった。まだ、頼れる仲間だと信じてもらえているのだと。助けてほしいと言ってもらえているのだと。
「私達、ずっと仲間じゃない」
曇りなくそう言い切れる。今まで不安で仕方なかった事実を、他でもないジークフリードの言葉で裏付けることができた。
心の中の霞が霧散するのを感じた。
「英雄とか、不老不死とかそんなの関係ない。無事に私達のところに帰ってきてくれた、それだけで十分よ」
「俺を受け入れてくれるのか?」
ヒルダは力強く頷いた。
「おかえりなさい」
ジークフリードは一瞬目を見開いて、それから泣き笑いのような表情を浮かべる。くしゃりと歪んだ少年のような表情は英雄ジークフリードではなく、間違いなくシグルスの表情だった。
シグルスはここにいる。彼女の世界から消えてなどいなかった。境界線など存在しなかった。これが真にヒルダが願った世界だ。
自棄になって槍を振り回していた数分前までの自分が嘘のように、ヒルダは今とてつもなく安堵していた。
「ヒルダ」
何かを告げようとジークフリードがヒルダに顔を向ける。少し気恥ずかしい気がして逡巡するが、ヒルダも恐る恐るジークフリードと視線を繋いだ。
どちらからともなく口を開きかけたその瞬間、すぐ傍らの大樹が音もなく根元からひび割れ、勢いをつけて二人に向かって倒れてきた。
二人は同時に反応した。その場から飛び退き、油断なく得物を構える。圧し潰すべき対象を失った大樹は土埃と轟音を巻き上げて二人の視界を遮った。
「っ」
土埃に視覚を奪われまいと目を細めたヒルダだったが、頬を掠めた痛みに思わず声を漏らす。飛んできた小石で切ったかと頬の傷口を手の甲で拭うが、血とは異なる柔くむず痒い感覚を捉えてぞっと背筋が冷えた。
おそるおそる手の甲を確認すれば、そこには禍々しい色をした毒虫の幼虫が大量にこびりつきもがいていた。鎖骨あたりにも無数の幼虫がボロボロと転がり落ちていく。頬の傷口から幼虫が大量に湧いている。そう認識したヒルダはあまりのおぞましさに声を上げた。
「幻影だ!」
ジークフリードの鋭い呼びかけで我に返る。倒木を飛び越えて走り寄ってきたジークフリードが、困惑するヒルダの瞳を片手で覆う。薄い光が視界を包みこんだ後、ジークフリードが片手をどけた。
もう一度頬を触ると、幼虫はおろか傷すらできていない。魔術で幻影を消してくれたのだろう、ジークフリードが安堵したような表情で肩の力を抜いた。
「ピクシーだ。気をしっかり持て」
「今のが、幻影……?」
あまりのリアリティにぞっとした。完全に幻影に囚われていた。ジークフリードがいなければあのまま術中に嵌まり食い殺されていたかもしれない。
礼を言う暇もなく、二人は無言で武器を構えた。神経を研ぎ澄ませれば、森の暗闇の奥にいくつも影がうごめいている。それはこちらの動向を探りながらも、徐々に距離を詰めてきているようだった。
「……」
ジークフリードは黙ったまま、その影を見つめていた。次にジークフリードが口を開いた時、もう影はすぐそこまで迫っているというのに、なぜか彼は構えた剣の鞘を取り払わない。以前のように魔術を使う気配もなく、ヒルダに焦りが募る。
「何してるの! もうすぐそこまで来てるよ!」
「ヒルダ」
落ち着いた呼びかけに、いっそ焦りを増すヒルダ。身をもってその魔術を体感した今、ピクシーの脅威は生々しく鬼気迫るものとして彼女を脅かす。
しかし、彼の言葉は、気張るヒルダの思考を一瞬停止させた。
「一緒に戦ってくれるか?」
ヒルダは思わず視線を敵から逸らしジークフリードへ向けた。
あの日から数年間。自分はただこの一言を求めていたのかもしれない、と彼女はボンヤリ思った。あの日と同じ、ジークフリードとの絆を確信できる言葉。
自分は今でも、これからもずっと、彼の仲間なのだと。
「当たり前でしょう」
涙声の混じったヒルダの呟きに、ジークフリードは嬉しそうに笑う。そこでようやく剣をずらりと鞘から引き抜いて、向かってくるピクシーに対して刃を向けた。
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