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あなたの呼び名

原作: その他 (原作:鬼滅の刃) 作者: アユーラ
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あなたの呼び名

(あーあ……)
 甘露寺邸の広い庭に蜜璃の長いため息が響く。手にしていた便箋をそっと閉じると、隊服の胸元にしまった。
 今日の午前中、いつものように柔軟を終えた後、伊黒からの手紙が届いていたので、大好きなお茶を淹れて、庭の椅子で一人でゆっくり読んだ。流れるような筆の跡を目で追いかける。
(…伊黒さん、いつもながら優しい言葉で、語りかけるように手紙を書いてくれるわ)
 文才のある伊黒の一言一言が胸にしみわたる。それが嬉しくて、伊黒からの手紙を読むのが日々の楽しみになっていた。
(伊黒さんと文通を始めてみてからしばらく経ったけど…、よく考えるといつもいつも同じような内容ばかりになってしまうのよね)
 伊黒はいつも蜜璃に美味しいお団子屋さんや、蜜璃が作ったパンケーキの感想などを送ってくれる。それが嬉しくて、また同じような内容を返す。そんなやりとりだけが、ここしばらくは続いていた。
(ちゃんと毎回返してくれるのが嬉しいからって、私も似たようなことばかり返しちゃって……、あーん、これじゃ伊黒さんに進歩が無いって思われてしまうわ!)
 いつか呆れられるのではないかと不安になり、最近は便箋を前に止まってしまう時間が増えた。それが緊張を呼び、余計に上手く手紙を綴れない。
 この日も昼過ぎから書いては紙を捨て、書いてはため息を吐き…そんなことを繰り返していた。するとその時、
「蜜璃さん、こんにちは」
 門の方から涼やかな声が聞こえてきた。
「この前の巣蜜、またもらっても……」
「あああ、しのぶちゃん!こっちこっちー!」
「え?」
「ちょうどよかった!聞いてもらいたい話があるのー!」
 ぐいぐいと腕を引っ張り、同じように庭の椅子に座らせる。肩を押さえると、後ろから先ほどまで書いていた便箋を見せた。
「何ですか、これ?」
「い、伊黒さんに出す手紙なんだけどね。あの、実はね……」
 先ほどの悩みを告げると、しのぶは大きな瞳を軽く見張った。しかしすぐに、ふっといつもの笑みを浮かべる。
「そうでしたか。けれど思い悩む必要は無いと思いますよ」
「え?」
「伊黒さんでしたら、きっと蜜璃さんからのどんな手紙にも喜ぶはずですから」
「…でも…、いつも同じようなことばかりなの。嫌がられたり呆れられたりしない?」
「呆れられはしないでしょうけど…飽きると言えば飽きますね」
「ええええっ!それは困るわ!?」
 飽きる、の一言に慌ててしまう。そんな蜜璃を宥めるようにしのぶが微笑んだ。
「それでしたら、趣旨を変えてお返事してみるといいと思いますよ」
「趣旨…?」
「ええ、それも結構わかりやすく。中途半端に変えても、男性は気づかない場合も多いんです」
「そ、そうなの?」
「ええ、ええ」
 にこにこと笑うしのぶに、必死で縋りついて教授を受ける。言われた通りに文字を綴ると、普段とだいぶ様相の違う手紙が出来上がった。
「しのぶちゃんっ、ほ、ほ、本当にこれでいいの!?」
「素晴らしい出来じゃないですか。自信を持って下さい」
 ぽんと明るく肩を叩かれ、困惑しながらも便箋をそっと撫でてから折りたたんだ。
(…っ本当に、これで伊黒さんは喜んでくれるのかしら?でも、しのぶちゃんを信じるしかないわ!?)
 自信は持てないが、しのぶの言うことを信じてみることにした。いつもより何倍もドキドキしながら蜜璃は手紙を投函に行った。


……………


(ん?甘露寺からか?)
 伊黒邸に蜜璃からの手紙が届いた日、いつものように素っ気なく封じ目を破る。が、伊黒の胸は速い鼓動を打っていた。
 日々何気ないことを綴った手紙を文通するようになってから幾日経っただろう。
 手紙の内容は然もないことばかりだ。内容はそこまで重視していない。それより続けることに意義がある、と伊黒は思っていた。
(…あいつは何だか放っておけない。愛想が良いから塵のような男共がわんさか寄ってくるし、柱の中でもずば抜けてとっつきやすいから鬼殺隊員の連中が節操なく話しかけてくるからな)
 動向を見張ると言っては大袈裟だが、それに近い気持ちで文通を始めた。
 きっと今回も前回と同じような内容だろう。しかし、蜜璃からの手紙ならどんなものであっても心が和む。
 浮きたつ気持ちで便箋を開く。けれど便箋を開いた途端、穏やかな気持ちは一気に消し飛んだ。

小芭内さん、こんにちは。
あの、今日から手紙では「小芭内さん」と呼ぼうかと思っています。
普段会う時は、伊黒さんと呼ぶけど…
手紙は二人しか読まないものだから、二人の秘密として、小芭内さんと呼んでもいいですか?
そして、私のことも「蜜璃」と呼んで頂けたら…と思います。
お返事待ってますね。

「…………っ」
 見た途端くらりと眩暈がしてふらついてしまい、首に巻いた蛇が驚いている。膝に手をついて体勢を整えるが、バクバクと心臓が音を立てて鳴った。
(なっ、なっ?何故急に名前なんて……)
 蜜璃はいつも全く予想のつかないことをしでかしてくる。その度に心臓に負担をかけていたが、今回は強烈な一撃だった。
 名前で呼ばれることもそうだが、書いてあることもいちいち意味深で顔が熱くなる。
(…これにどう返事をしろと言うんだ……)
 ここに居ない蜜璃につい苦情を言ってしまう。しばらく甘露寺邸には伊黒からの返事が来なくなり、蜜璃がやきもきすることになるのだった。
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