ACT008 『オーストラリアに向かう』
輸送機はゆっくりと離陸し始めていた。感情的になりながら、大佐からの宿題をこなすことに集中していたジュナは、輸送機が加速したことで、ようやくその事実に気がついていた。
集中し過ぎ。
悪く言えば、警戒が疎か。
大佐が見ていたら、後者だとバカにするだろう。自分は、本当にマヌケなところがある。
こういう甘さが、中の上止まりの原因なのかもしれない……そう思うと、情けなくもなった。
だが……集中して情報に触れたおかげで、今まで故意に遠ざけて来た情報を把握することが出来た。しかも、これは……間違いなく、機密事項として管理されるべき情報であることは明白だ。
輸送機の中で見なければならなかったのだ。もしも、大佐の権限の及ばない、オーストラリアの基地に到着した際に、こんなものなど持っていたら?……どうなったことか。自分だけではなく、何よりも大佐が罰せられる事態となっただろう。
ジュナにはすべきことが分かっていた。情報を見終わった今、これらをどうすればいいのか?……明白なことだった。輸送機の窓から、海を見る。よく晴れ渡った青空から、太平洋に青は境目までも曖昧なままに青は続いていた。
「……この窓を開けて、捨てられたら手っ取り早いのにね」
だが、現実はそれを許さない。高高度を高速で移動する輸送機の窓なんて開けたら?そこからヒトは吸い出されてしまう。ムチャが効く軍用機だからといって、乱暴なことはすべきじゃない。
すべきことは、ただの上書きでいい。
膨大な情報であろうとも、記憶媒体の情報というものを排除する方法は幾つもあるのだから。完全に上書きして、情報を消し去る。地球連邦軍の制式装備じゃなく、違法な改造品で良かった。上書きした後で、内部の記憶領域を発熱で焼き壊すのだ。ここまですれば、どうやっても情報を回収することは出来ない。
自分がレズビアンであることを誰にでも証明出来る個人撮影の動画と一緒に、大佐からもらった情報も消去することが出来るからだ。全ての情報を消す。レズ動画も、ニュータイプに対して貪欲な研究意志を発揮していた者たちが書き上げた論文たちも。
そんな作業をするのは、実に簡単なことであり……あとは、その端末を物理的にも破壊しておくことにした。
軍用機の色気のない座席……目の前にある座席の、金属が剥き出しの部分の背もたれに狙いをつけて、端末を振り落とし、破壊してしまう。
大きな音がしたが……誰も来なかった。大佐が何かを言い含めてくれているのかもしれない。私が何をしていても、知らないフリをしろ。そんなカンジに。
大佐は人望があるし、兵士たちは彼に絶対的な服従を誓っている。彼は部下に不利益が及ぶような命令をすることはないだろう……。
ジュナは、その壊れた端末を持って、輸送機の操縦室へと向かう。
「ちょっといいかしら?」
「何ですか、軍曹……じゃなくて、バシュタ少尉?」
無線越しに何度も聞いてきた声がして、操縦室へのドアは開いた。ジュナはその中に入り、二人いる操縦士の片割れに、壊れた端末を差し出した。
「どこかで処分しておいてくれる?危ないモノは、消去済みなんだけど」
「……それって、ムチャクチャにエロいヤツっすか?」
「男って、そんなことしか考えられないの?」
「まあ、仕事のことだって考えてますけどね」
「とにかく、頼んだ。大佐の不利益になることも、入っていたからね。念には念を押しておくことにしたいの」
「了解。オレが、あっちに着くまでに分解して、燃えないゴミで出しておきますよ」
「……器用なことが出来るんだ」
「輸送機のパイロットなんて、ヒマなもんっすからね。基本的には、オートで飛んでますから」
操縦士は操縦桿から手を離して見せる。操縦桿は自動で動いている。彼らは、基本的に万が一のトラブルや攻撃に備えて、ここに乗っているだけだ。
「……マジメに仕事しないのね、男ってクズばかり」
「ハハハ!少尉の声を無線で聞けなくなるのは、何だか残念っすわ」
「変態ね」
「いやー。ホント、そうかもっすね。でも……マジで、こんなことまで気を使わないといけない任務だってのなら……気をつけて下さいよ?」
「大佐にも言われた。地球連邦軍なんて、信じるなってね」
「そうっすよ。顔見知りぐらいだけにして下さいね。信じるヤツは……」
「……顔見知りなんて、数えるほどしかいない。オハケアぐらいにしかね……あとは……せいぜい、二人だけ」
「少尉は……戦災孤児でしたか」
「……空襲とか色々あったでしょ?」
「ええ。コロニーまで落ちて来た場所もありますよね……オーストラリアは、シドニーが消滅しちまって……」
「そう。初めて行くから、知らなかったわ」
「……マジっすか?有名っすよ?」
「……知っているわよ。バカにしないで。少尉にまで出世した女よ、私はね」
「あはは。そりゃ、そうっすよね……」
「……落ちて来たのは、コロニーだけじゃないわ。モビルスーツも、戦艦も、そいつらが吐き出す砲弾やら、爆弾の雨もね……」
「……酷い時代だったすね……」
「そうね。でも……きっと……」
また、そんな時代がやって来るのよ―――社交性が、その言葉を口にすることを防いでいた。ジュナ・バシュタはそのことを喜ぶことにした。
悲しい言葉を、戦友たちに残したくはない。防水処理が甘かったせいで、左脚が動かなくなって無様に浅瀬で立ち往生していたジェガンを回収してくれたのは、このパイロットたちだったことを、彼女は覚えていたから。
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