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白鶴報恩奇譚

原作: ジョジョの奇妙な冒険 作者: ロコモコ
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久羽

「……似合いますか?」

 翌日、男は若者のその姿を見て思わず持っていた筆を落とした。
 最初こそ着替えに遠慮を見せていたが、丈を確認したいから、と男が頼めば、照れ臭そうに頬を掻いた若者はその場で着物に袖を通した。
 新しく設えた美しい着物は、元々彼の身体の一部だったのではないかと言っても過言ではない程、本当によく似合っている。男物の衣装で真っ白なままでは如何か、という祖父の助言も受けて、差し色に袖と裾に黒を染め入れて貰ったのだが、その凛とした立ち姿は、まるであの湖に住まう美しい鶴そのものだ。

「……綺麗だ」
「ほ、本当ですか? でも、何だか恥ずかしいな……」

 自分で織り上げた生地故か、彼自身よりも着物を誉めると若者はやたら照れた。もちろん男は若者も彼が織った白布も素晴らしいのだと伝えたが、それでも、女が丹精込めて手入れした髪を愛でられて喜ぶように、彼は自分の技術を認められる事の方が嬉しそうだった。

「ただ、その腰帯は頂けねぇな。他に無かったのかよ」
「すみません、これが一番柔らかくて結びやすかったんです」

 男が幼少期に使っていた、子供用の腰帯。捨てたと思っていた筈の物が一体何に『紛れ込まされていたのか』は知らないが、純白に中々似合わない深緑のふわふわした帯が異様に目を引いている。どうやら本人は気に入っている様子なのでそれ以上は言わないが、早い内にでも、この生地に合う帯を買ってやろうと男は心に思った。
 すらっとした長い身丈で嬉しそうにくるくると回る姿に、男はふと、母が実家で大事に取ってある一つの衣装を思い出す。

「……まるで婚礼の白無垢だな」
「しろむく?」
「聞いた事あるだろ、花嫁が着る衣装の事だ」
「花嫁、ですか。……ん? 嫁?」
「ちょうど良いじゃあねぇか。そのまま祝言でも挙げようぜ」

 意地悪く笑ってみせる男に、若者は眉間に皺を寄せて袖で赤い顔を隠す。忙しなく変わる表情も、照れ隠しに出る拒絶の言葉も、男は彼を心から愛らしく思った。
 日が暮れた後も男と若者はいつも通りの日常を過ごし、若者が作った夕食を並んで平らげ、二人一緒に風呂にも入った。湯浴みをしながら何度も身体を重ね、風呂を出た後ですらも、若者が動けなくなるまで男は彼を求め続けた。
 数時間後、月も高くなった夜更けに、寝落ちていた若者が不意に目を覚ます。

「……承太郎?」
「ん、起こしちまったか」

 下火になった囲炉裏の側で、簡素な行燈の灯りが部屋の隅を照らしている。揺れる火が絵筆を動かす男の手を映し、若者は吸い寄せられるように、身体を包む毛皮を引き摺って男の側まで這いながら移動した。
 横から近付いてきた彼に男は苦笑し、やれやれ、と頭を掻く。

「寝てていいぜ。まだ夜明けは遠い」
「……何、書いてるんですか?」
「明日、街へ持っていく分の仕上げだ。期日は先だが、仕事は早く片付けておくに限るからな」

 毛皮以外を纏わない若者は毛布を引き寄せながら、身体を起こして男の手元を覗き込む。紙の上に広がる風景を見た彼は目を見開き、感動した様子で小さく笑った。

「……すごい。まるで、この中に湖があるみたいだ」

 まだ色の乗っていない空の箇所に触れ、若者が「綺麗だ」と呟く。そんな彼を男は隣に呼び寄せ後ろから抱き寄せた時、若者はその風景の中で美しく翼を広げる一羽の鶴を指し、男に問い掛けた。

「鶴が、お好きなんですか?」

 一瞬、男は言葉を詰まらせる。

「……そういう訳じゃあねぇが、まぁ、似たようなモンだ」
「でも、承太郎の絵は何だか哀しいですね」
「……そうか?」
「素人目ですけどね。僕はそう感じます」

 男の胸に寄り掛かってくる細い背中が、冷えた男の身体に温かく感じる。

「……興味深いな。どんな風に哀しく見える?」
「言ったじゃないですか、素人目にそう映るだけですよ」
「ほう」
「……でも、これだけは答えられる。承太郎は優しくて、思慮深くて、愛のある人間だ」

 若者の掌が、筆を持つ男の手に触れる。華奢で細く、白い手指が男の冷えた皮膚を温めゆっくりと熱を分けていく。
 次の瞬間、耳元で囁かれた優しい言葉に男は思わず息を呑んだ。

「君自身が自分の書く絵を嫌っていても、僕は大好きですよ。君が描く絵も……承太郎、君の事も」

 振り向き、見上げてくる夕暮れ色の瞳は、『あの日』見た光景を男の脳裏に映して焼き付ける。美しいその少年は男を愛おしむ様にそっとその頬に擦り寄り、筆を持ったままの男に体重を預けてそっと目を閉じた。

「急ぐ物でないのなら、今日はもう寝ませんか?……独りで寝るには、少々寒いもので」
「……やれやれだぜ」

 男は筆を洗い、硯の傍に置く。
 行燈の火を消し、腕の中で既に寝息を立てている若者を抱き上げると、敷布代わりの毛皮の上へ彼を連れて移った。囲炉裏の火が消えても、外では雪が散らついても、腕に抱いた若者の温かさが男を凍えさせる事はなかった。
 それからと言うもの、男と若者は幸せな日々を共に送った。男は連れ合いの為に一層仕事に力を入れ、若者も懸命に働きながら美しい生地を幾つも織り上げていく。若者が織った反物は男が驚く程の高値で引き取られていったが、男の祖父が訊いても、男が問い質しても、その生地の不思議な美しさは若者だけが知る秘密であった。

「機密業務、ってヤツですよ。作業を人に見られるのが苦手なんです」
「……気持ちは分かるが、その『怪我』は……」
「お願いします承太郎。……信じてますからね」

 ただ、覗くな、と。
 若者はその言葉だけを残して、何の説明も無く今日も隣の部屋へ入っていく。機織りの音が聞こえる限りは中に彼が居る事は間違い無いのだが、それよりも、男は生地が仕上がる度に増えていく若者の身体の傷が不安で堪らなかった。




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