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あなたかわたし

ジャンル: コメディー 作者: さえもん
目次

あなたかわたし

 業績の悪化に伴い、近いうちに非正規社員が減らされるという噂は、総務部所属の派遣社員である私と、契約社員である吉村美知さんの耳にも入っていた。
 この噂が流れ始めた頃、私と美知さんはトイレで歯磨きをしながらこの話をした。
「私は辞めてもいいわ」
 美知さんはあっさり言った。
「ここも飽きたし。でも津田さんは、残って正社員登用を目指しなさいよ。なりたいって言ってたじゃない」
「まあ昔は。私だってこんなワンマン会社はもういいって気分ですよお」
「でも、二人とも辞めるのは難しいでしょう」
 美知さんとはそう笑い合ったが、私の心中は穏やかではなかった。
 このところ、全体の仕事量が減っていた。美知さんが言う通り、恐らく総務部は一人減らすことになるだろう。
 私か、美知さんのどちらかを。
 気が利く美知さんと、のんびりした私とでは、差は歴然としていた。いずれ進退について聞かれるのは私の方に違いなく、二人のうち私だけ減らされるのは、気分が悪かった。
 私は総務部の部屋で得意先への年賀状を書きながら、社員の藤村さんに愚痴をこぼした。
「ねえ藤村さん。社長から何か聞いていませんか。私、もうすぐさよならかも。この頃社員さんたちの視線も痛くて」
「俺が知るか。そんなことよりも、急げ」
 古参の社員である藤村さんは、年賀状をせっせと書いていた。この会社では、社員は毎年総出で年賀状に手書きの挨拶を書くのが恒例だった。古式ゆかしいやり方だが、この年末は去年よりも広い範囲に出すよう社長から指示が出ていた。
「戻りました。年賀状は間に合いそうですか」
 美知さんが社用の外出から戻ってきた。
「おお、お帰り。早く、吉村さんも書いてくれ」
「ええ」
「あと一時間で郵便局が閉まるぞ。津田さんはどうだ」
「ええと。先ほど渡された分はあと一枚で終わります」
「そろそろ各部も終わる頃だろう。社内を回って取りまとめてくれるか」
「はーい」
 私が席を立とうとすると、美知さんが私を制した。
「私が行く。津田さんはこれ、続きを書いていて」
「えっと、そうですか。分かりました」
 私の返事が終わるのを待たず、滑るように部屋から出て行く美知さんを見送り、私は頭を掻きながら受け取った年賀状を机に置いた。
「藤村さん。美知さんはこの頃、以前にも増して素早いんですよ。やっぱり美知さんも、心配なんですよね」
「何が」
「ほら、派遣や契約社員をばっさり切るっていう……」
「ああ。あんたがさっきみたいに、さよならですなんて騒ぐせいだろ。手を止めるな」
「はあい」
 私は年賀状に向き直り、筆ペンを手に取った。書くのは遅いが、字の上手さだけは美知さんに勝っている自信があった。
「あのう、藤村さんは、どっちが残ればいいと思ってるんですか。私と、美知さんと」
「俺は使える方が残ればそれでいい」
「あ、ひっどーい」
「おしゃべりはやめて早く書け」
 藤村さんはそれ以上は何も語らず年賀状を書き続け、私も仕方なく、それに倣った。
 字が少しくらい上手だからといって、どれほど有利なのだろうか。
 ため息をついていると、ほどなく美知さんが回収した年賀状の束を手に戻ってきた。
「集めてきたわ。全部あるか点検しなくちゃ。名簿はどこかしら」
「ここにあります。私も一緒に点検しましょうか」
 美知さんは無言で私から名簿を取り上げ、分厚い年賀状の束を抱え込んで確認を始めた。
 私は内心ふて腐れ、残った年賀状を書き続けた。
「五枚足りないわ。津田さん。年賀状はあなたが買ったのよね。どうして」
「ありませんか。あの、買いに行きます」
 私があたふたと立ち上がると、美知さんも立ち上がった。
「いいわ。大丈夫。私が何とかするから」
「いえ。買ったのは私です。私に責任があります」
 私は珍しく強い口調と共に身支度を始め、目の端で美知さんの表情が少し険しくなるのが分かった。
「待て」
 藤村さんの鋭い声が私達の動きを止めた。私たちは振り向いた。
 藤村さんも、ゆっくりと顔を上げた。
「年賀状が五枚足りないのは、今朝牧田さんが隣町の倉庫に持って行ったからだ。入荷待ちをしながら書くと言って」
 美知さんが、間髪を入れず返事をした。
「ああ、二番倉庫ね。取りに行くわ」
「美知さん。私が行きます」
 美知さんは微笑し、私の肩をやんわりと押さえた。
「いいのよ。私が行くから。あなたは、書いて」
 勢いを削がれた私は諦めて座り、美知さんは出て行った。
「負けたあ。消えるのは、きっと私なんですよう」
 頭を抱えた私を尻目に、藤村さんは疲れた表情で椅子の背にもたれかかった。
「牧田さんは、昼頃には仕上げて持って来たんだ。だからその五枚は、俺の机の中」
 窓から、美知さんの車が社員駐車場を勢いよく飛び出して行くのが見えた。
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