第28話
「……」
「五十年といえば、この王都が繁栄した期間に相当する。ずっとでなくてよいのです。ただ私が統治する五十年の間、平和が続けば」
「勝手よ!」
「勝手でなかった王族にも貴族にも――いえ王都の市民にも、私はお目に掛かったことはありませんね」
アンネローゼの顔が浮かんだ。命辛々逃げた後、小高い丘の上から流浪の民を見つめたときも侮蔑しきった表情をしていた。
「だからって、でも……それでも……」
カヤは言葉にできない。
あんなにも自分が真理に近いと思っていたのに。……何も、何もわからなくなっていた。
縋らなくては……縋らなくてはいけない。自分ひとりではこの状況下、シャルロットの命を守れない。
「カヤ様。あなたは聡明な方だ。だがしかし賢くはない。世の中は支配する側と支配される側――明確にして厳然な仕切りがあるのです。あなたは本来なら支配する側、力を扱える側にいた。にもかかわらず、エーヴィヒ王国の人間になったりした」
「それがなによ!」
「あなたは父恋しさに行動したのかもしれない」
カヤの顔が赤くなった。
「それとも母親であるクララ様の遺言に従ったのかもしれない」
母がローレンツ二世を心から愛していたのを思い出した。
「そういった行動が、今回の結果を招いたのです、カヤ様」
「どういう意味……?」
「こういうことです。こちらにいるヴァールの軍や、我々の仲間が扱える竜――これらはまだエーヴィヒ王国の軍事力すべてに比べると劣るのですが、それでも作戦を決行しなくてはならなかった。……どうしてだかお分かりですか?」
「まさか…………」
「そうです。あなたが、エーヴィヒの王女になったせいです。あなたのせいなのです」
シャルロットの目を思い出した。
シャルロットも無言で「あなたのせいよ!」と叫んでいた。
この荒廃した王都も。アンネローゼやヒルデが死んだ理由も。すべて、すべて……。
「すべて、私が、悪いの……?」
カヤは自分に問いかけた。
風は答えてくれない。
立て続けに起きた事件。事故。すべて自分が悪いのだろうか。……考えてみれば、すべて自分の周囲で起きていた気もする。つまり、それは自分が悪いということなのだろうか……?
「シャルロット様はなんと言いますかな?」
カヤの心に亀裂が走る。
「シャルロット様は、誰が悪い、とおっしゃいますかな?」
カヤの心の亀裂が広がる。
十三歳の、ほとんど世間を知らないカヤ。
母と二人だけで静かに暮らしていたカヤ。
カヤの聡明だが、無垢すぎた心が何かに染まりつつあった。
カヤの心は亀裂を生み、軋みを上げ、崩壊寸前だった。
その一歩手前で、ヌイの優しい声が聞こえた。
「カヤ様。けど、それもこれもすべてエーヴィヒが悪いのです」
カヤは顔を上げた。ヌイを見つめる。その目は熱にうなされている病人の目だ。
「エーヴィヒの民が悪い。エーヴィヒの支配者が悪い。そういうことなのです」
ヌイは力強く言い切った。
「エーヴィヒの民が、我々から搾取し、略奪し、……そして信じられない事に全く罪の意識にかられずにのうのうと生きてきた歴史。もちろん罪の意識を感じる者も、千人いれば一人くらいはいたでしょう。けど、大多数の者たちは国王を盲信し、従い、当たり前のように我々を虐げてきました。次は我々の番なのです。当然の摂理なのです。我々はエーヴィヒの民のように盲信したりしないし、させません。きちんと各有力部族から有力者を選び、話し合いで国家を運営します。まあ、その議会の管理を王とでもいうべき支配者が行うのは当然ですがね。しかし、エーヴィヒの民のようにただ王を頂いて、なんの疑問も抱かず、家畜のように生きることはさせません。エーヴィヒの民は家畜のように生きることに慣れきっています。そのくせ我々を家畜同然に扱おうとする。そうでしょう?」
カヤは頭が混乱していた。
何もわからない。
何も考えられない。
つらかった。
ただつらかった。
涙が流れた。
悲しみの涙。
これほど悲しい涙をカヤは知らなかった。
ヌイはもう一度、先程の言葉を繰り返した。悪いのはカヤではなく、エーヴィヒの者たちだと。
カヤはヌイの言葉の半分も頭には入っていない。矛盾しているとかそんなことを批判的に考えることもできない。
ただヌイの声は優しい。
ただヌイの声はしっかりしている。
ヌイの周囲にいる者たちはヴァールを除いてみな頷いている。
大人たちが頷いているのだ。
とても説得力がある。
その声に縋れば安らぎが訪れるような気がした。
王宮の奥深くに風など吹かない。
風は黙して語らず、カヤはただ黙って、ヌイを見つめていた。
頷いてしまいそうになる。
頷いて、従いたくなる。
従えば楽になる。
カヤの明晰な頭脳はそのことをしっかりと理解していた。
従えば、たくさんの軋轢から解放されることができるのだ。
流浪の民であり、王族であり、侵略者であり、被害者であり、そんなさまざまなことから。
「五十年といえば、この王都が繁栄した期間に相当する。ずっとでなくてよいのです。ただ私が統治する五十年の間、平和が続けば」
「勝手よ!」
「勝手でなかった王族にも貴族にも――いえ王都の市民にも、私はお目に掛かったことはありませんね」
アンネローゼの顔が浮かんだ。命辛々逃げた後、小高い丘の上から流浪の民を見つめたときも侮蔑しきった表情をしていた。
「だからって、でも……それでも……」
カヤは言葉にできない。
あんなにも自分が真理に近いと思っていたのに。……何も、何もわからなくなっていた。
縋らなくては……縋らなくてはいけない。自分ひとりではこの状況下、シャルロットの命を守れない。
「カヤ様。あなたは聡明な方だ。だがしかし賢くはない。世の中は支配する側と支配される側――明確にして厳然な仕切りがあるのです。あなたは本来なら支配する側、力を扱える側にいた。にもかかわらず、エーヴィヒ王国の人間になったりした」
「それがなによ!」
「あなたは父恋しさに行動したのかもしれない」
カヤの顔が赤くなった。
「それとも母親であるクララ様の遺言に従ったのかもしれない」
母がローレンツ二世を心から愛していたのを思い出した。
「そういった行動が、今回の結果を招いたのです、カヤ様」
「どういう意味……?」
「こういうことです。こちらにいるヴァールの軍や、我々の仲間が扱える竜――これらはまだエーヴィヒ王国の軍事力すべてに比べると劣るのですが、それでも作戦を決行しなくてはならなかった。……どうしてだかお分かりですか?」
「まさか…………」
「そうです。あなたが、エーヴィヒの王女になったせいです。あなたのせいなのです」
シャルロットの目を思い出した。
シャルロットも無言で「あなたのせいよ!」と叫んでいた。
この荒廃した王都も。アンネローゼやヒルデが死んだ理由も。すべて、すべて……。
「すべて、私が、悪いの……?」
カヤは自分に問いかけた。
風は答えてくれない。
立て続けに起きた事件。事故。すべて自分が悪いのだろうか。……考えてみれば、すべて自分の周囲で起きていた気もする。つまり、それは自分が悪いということなのだろうか……?
「シャルロット様はなんと言いますかな?」
カヤの心に亀裂が走る。
「シャルロット様は、誰が悪い、とおっしゃいますかな?」
カヤの心の亀裂が広がる。
十三歳の、ほとんど世間を知らないカヤ。
母と二人だけで静かに暮らしていたカヤ。
カヤの聡明だが、無垢すぎた心が何かに染まりつつあった。
カヤの心は亀裂を生み、軋みを上げ、崩壊寸前だった。
その一歩手前で、ヌイの優しい声が聞こえた。
「カヤ様。けど、それもこれもすべてエーヴィヒが悪いのです」
カヤは顔を上げた。ヌイを見つめる。その目は熱にうなされている病人の目だ。
「エーヴィヒの民が悪い。エーヴィヒの支配者が悪い。そういうことなのです」
ヌイは力強く言い切った。
「エーヴィヒの民が、我々から搾取し、略奪し、……そして信じられない事に全く罪の意識にかられずにのうのうと生きてきた歴史。もちろん罪の意識を感じる者も、千人いれば一人くらいはいたでしょう。けど、大多数の者たちは国王を盲信し、従い、当たり前のように我々を虐げてきました。次は我々の番なのです。当然の摂理なのです。我々はエーヴィヒの民のように盲信したりしないし、させません。きちんと各有力部族から有力者を選び、話し合いで国家を運営します。まあ、その議会の管理を王とでもいうべき支配者が行うのは当然ですがね。しかし、エーヴィヒの民のようにただ王を頂いて、なんの疑問も抱かず、家畜のように生きることはさせません。エーヴィヒの民は家畜のように生きることに慣れきっています。そのくせ我々を家畜同然に扱おうとする。そうでしょう?」
カヤは頭が混乱していた。
何もわからない。
何も考えられない。
つらかった。
ただつらかった。
涙が流れた。
悲しみの涙。
これほど悲しい涙をカヤは知らなかった。
ヌイはもう一度、先程の言葉を繰り返した。悪いのはカヤではなく、エーヴィヒの者たちだと。
カヤはヌイの言葉の半分も頭には入っていない。矛盾しているとかそんなことを批判的に考えることもできない。
ただヌイの声は優しい。
ただヌイの声はしっかりしている。
ヌイの周囲にいる者たちはヴァールを除いてみな頷いている。
大人たちが頷いているのだ。
とても説得力がある。
その声に縋れば安らぎが訪れるような気がした。
王宮の奥深くに風など吹かない。
風は黙して語らず、カヤはただ黙って、ヌイを見つめていた。
頷いてしまいそうになる。
頷いて、従いたくなる。
従えば楽になる。
カヤの明晰な頭脳はそのことをしっかりと理解していた。
従えば、たくさんの軋轢から解放されることができるのだ。
流浪の民であり、王族であり、侵略者であり、被害者であり、そんなさまざまなことから。
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