第22話
それに《吹雪(シユネーシユトゥルム)》を展開している限り、力の余力はない。
黒いルグウが満面の笑みを浮かべて口を開いた。興奮作用のある木の根、タングの樹液で真っ黒になった歯を見せて微笑んでいる。獲物が弱っているのを直感的に悟ったのだ。
《吹雪(シユネーシユトゥルム)》は高密度で展開している。範囲はそれほどではない。けれど、《吹雪(シユネーシユトゥルム)》の外からカヤとルグウの様子は窺えないだろう。
カヤはスーラ族のフードを取った。視界のほとんどを失ったままでは命を失う。
カヤがフードを取ると、黒いルグウは驚いたように目を見開いた。突進をやめた。
それほどスーラ族は素顔を他の部族の前で見せない。同じ部族の前でさえあまり見せないのだ。
カヤはかじかんだ手で、スーラ族の民族衣装の下にもっていた剣と短剣を手に取った。
黒いルグウは大笑いした。「学者のスーラ」が何をするのだと言いたげだ。吹雪の中で腹を抱えて笑っている。吹雪の中でも、ルグウはルグウだ。
カヤは二本の剣を構え、ゆっくりと間合いを測った。
堂に入った構え。
黒いルグウは、喉の奥で唸った。
その目から嘲笑の色が消えていた。
「お前、スーラじゃないな?」
きょう初めて聞く、ルグウ族の声。言葉は流浪の民のいくつかある共通言語のうちの一つだ。
カヤも同じ言語で答えた。
「ええ。けど、あなたは誰にも言いません」
黒いルグウは吹雪のなか目を細めた。
吹雪の中にいればいるほど体力が落ちるだろうが、気にする様子はない。
「あなた方は、獣ですが――誇り高い獣です。こんな年端もいかない小娘と一対一で、武器を交えて敗北したとあっては、言いふらすことはできません。部族の恥になりますから」
――流浪の民にとって、誇りは何ものにも代え難いものだった。流浪の民は定住の地を持たない。家を持たない。土地を持たない。だからこそ、民族ごと、人種ごと、細かな部族ごとに習慣が細部まで存在している。流浪の民にとって、部族の誇りは、自分のプライドなどとは比較にならないほど重い。言いふらせるはずなどなかった――負けたとしたら。
「部族を名乗れ!」
ルグウが叫ぶ。
カヤは短剣を軽く目の位置までかざして、ルグウを睨み据えた。
「ルグウ族の方から手ほどきを受けたこともあります。剣の民、リンネから二本の剣を扱う技術も学びました。スーラや他の部族のこともよく知っています」
ルグウの目に困惑が浮かんだ。
部族同士の交流は、王国の人間たちが想像しているよりもずっと少ない。今のように流浪の民同士でいがみ合うことなど珍しくもない。王国の人間たちは、皆、一緒くたに「流浪の民」と呼ぶ。――が、実情はまったく違った。この部族間の闘争や嫉妬があるために、王を頂点とした組織――王国に、流浪の民は各個撃破されて、敗北したのだ。ときには、王国に一時的に手を貸していた流浪の民さえあった――同じ流浪の民を打ち倒す目的で。
「カーだとでも言うつもりか」
カヤは無言だった。
答えられなかった。
カヤ自身にもその問いの答えが、わからない。
生まれはカー。
育ちもカー。
血も半分カーだ。
しかし今はどうだ?
エーヴィヒ王国の王族、姫なのだろうか?
……風は答えてはくれない。
風は猛るだけだ。雪を交えて。
二人は無言になった。
戦闘の合図などいらない。目が語っている。
二人が口を閉じた――一瞬後。カヤの視界は、流れる白い雪片と自分に迫る鈍い光を放つかぎ爪の流星でいっぱいになった。
力任せのルグウの一撃。
速い。
受け止めれた。
だが、重い。受け流すなどできない。
ルグウの攻勢をわずかに防いだだけで、カヤは吹っ飛ばされた。
テクニックではカヤが上かもしれない。
だが、パワーとスピードでは、ルグウの方が圧倒的に上だった。
ルグウの一撃を剣でなんとか受け止めるたびに、カヤの体が大きく傾く。
柔軟性を活かし、小柄なのを活かして攻めるが全く攻撃が届かない。
なんとか吹雪の煙幕の外に出ないようにするので精一杯だ。剣で戦っているところを見られたら、スーラでないことがバレる。言い訳のしようもない。
ルグウを倒したとしても、今度はスーラ族が敵になるかもしれない。一族を騙ったのだ。
カヤは血が滲んでいた。肩にも手にも。幸いどれもかすり傷だ。
黒いセミロングの髪は乱れ、雪の色に染まる。
動く。
雪色の下から漆黒の髪がのぞく。
ルグウも雪をものともしない。
さきほどまで言葉を話していたとは思えない。
無言で。
殺意より速く。
本能の一撃を。
重く、鋭く。
何度も何度も放ってくる。
これがルグウだ。
まともに戦えば勝ち目はない!
ときには躱したり、ときには受け止めたりしていたが、じょじょに息が上がってきた。
ルグウは黒い化粧の下でもはっきりと分かる赤い顔をしていた。興奮に顔が真っ赤に染まっている。タングを噛まなくても興奮している。目が血走っている。
黒いルグウが満面の笑みを浮かべて口を開いた。興奮作用のある木の根、タングの樹液で真っ黒になった歯を見せて微笑んでいる。獲物が弱っているのを直感的に悟ったのだ。
《吹雪(シユネーシユトゥルム)》は高密度で展開している。範囲はそれほどではない。けれど、《吹雪(シユネーシユトゥルム)》の外からカヤとルグウの様子は窺えないだろう。
カヤはスーラ族のフードを取った。視界のほとんどを失ったままでは命を失う。
カヤがフードを取ると、黒いルグウは驚いたように目を見開いた。突進をやめた。
それほどスーラ族は素顔を他の部族の前で見せない。同じ部族の前でさえあまり見せないのだ。
カヤはかじかんだ手で、スーラ族の民族衣装の下にもっていた剣と短剣を手に取った。
黒いルグウは大笑いした。「学者のスーラ」が何をするのだと言いたげだ。吹雪の中で腹を抱えて笑っている。吹雪の中でも、ルグウはルグウだ。
カヤは二本の剣を構え、ゆっくりと間合いを測った。
堂に入った構え。
黒いルグウは、喉の奥で唸った。
その目から嘲笑の色が消えていた。
「お前、スーラじゃないな?」
きょう初めて聞く、ルグウ族の声。言葉は流浪の民のいくつかある共通言語のうちの一つだ。
カヤも同じ言語で答えた。
「ええ。けど、あなたは誰にも言いません」
黒いルグウは吹雪のなか目を細めた。
吹雪の中にいればいるほど体力が落ちるだろうが、気にする様子はない。
「あなた方は、獣ですが――誇り高い獣です。こんな年端もいかない小娘と一対一で、武器を交えて敗北したとあっては、言いふらすことはできません。部族の恥になりますから」
――流浪の民にとって、誇りは何ものにも代え難いものだった。流浪の民は定住の地を持たない。家を持たない。土地を持たない。だからこそ、民族ごと、人種ごと、細かな部族ごとに習慣が細部まで存在している。流浪の民にとって、部族の誇りは、自分のプライドなどとは比較にならないほど重い。言いふらせるはずなどなかった――負けたとしたら。
「部族を名乗れ!」
ルグウが叫ぶ。
カヤは短剣を軽く目の位置までかざして、ルグウを睨み据えた。
「ルグウ族の方から手ほどきを受けたこともあります。剣の民、リンネから二本の剣を扱う技術も学びました。スーラや他の部族のこともよく知っています」
ルグウの目に困惑が浮かんだ。
部族同士の交流は、王国の人間たちが想像しているよりもずっと少ない。今のように流浪の民同士でいがみ合うことなど珍しくもない。王国の人間たちは、皆、一緒くたに「流浪の民」と呼ぶ。――が、実情はまったく違った。この部族間の闘争や嫉妬があるために、王を頂点とした組織――王国に、流浪の民は各個撃破されて、敗北したのだ。ときには、王国に一時的に手を貸していた流浪の民さえあった――同じ流浪の民を打ち倒す目的で。
「カーだとでも言うつもりか」
カヤは無言だった。
答えられなかった。
カヤ自身にもその問いの答えが、わからない。
生まれはカー。
育ちもカー。
血も半分カーだ。
しかし今はどうだ?
エーヴィヒ王国の王族、姫なのだろうか?
……風は答えてはくれない。
風は猛るだけだ。雪を交えて。
二人は無言になった。
戦闘の合図などいらない。目が語っている。
二人が口を閉じた――一瞬後。カヤの視界は、流れる白い雪片と自分に迫る鈍い光を放つかぎ爪の流星でいっぱいになった。
力任せのルグウの一撃。
速い。
受け止めれた。
だが、重い。受け流すなどできない。
ルグウの攻勢をわずかに防いだだけで、カヤは吹っ飛ばされた。
テクニックではカヤが上かもしれない。
だが、パワーとスピードでは、ルグウの方が圧倒的に上だった。
ルグウの一撃を剣でなんとか受け止めるたびに、カヤの体が大きく傾く。
柔軟性を活かし、小柄なのを活かして攻めるが全く攻撃が届かない。
なんとか吹雪の煙幕の外に出ないようにするので精一杯だ。剣で戦っているところを見られたら、スーラでないことがバレる。言い訳のしようもない。
ルグウを倒したとしても、今度はスーラ族が敵になるかもしれない。一族を騙ったのだ。
カヤは血が滲んでいた。肩にも手にも。幸いどれもかすり傷だ。
黒いセミロングの髪は乱れ、雪の色に染まる。
動く。
雪色の下から漆黒の髪がのぞく。
ルグウも雪をものともしない。
さきほどまで言葉を話していたとは思えない。
無言で。
殺意より速く。
本能の一撃を。
重く、鋭く。
何度も何度も放ってくる。
これがルグウだ。
まともに戦えば勝ち目はない!
ときには躱したり、ときには受け止めたりしていたが、じょじょに息が上がってきた。
ルグウは黒い化粧の下でもはっきりと分かる赤い顔をしていた。興奮に顔が真っ赤に染まっている。タングを噛まなくても興奮している。目が血走っている。
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