第16話
カヤは復讐心というものをよく理解していた。
心や思考を失えば、人はただの獣――獣以下になる。
「私は、ピエロのヴァールのことをさきほど初めて知りました。私の母と知り合いであったこともです。流浪の民だろうとは、彼の目の色から予想していましたが……。それに私はお姉様を裏切るつもりもありません」
アンネローゼは首をはっきりと横に振った。そして口を開いた。
「そんなごまかしが通用すると思っているの、カヤ?」
「そりゃ私たちは、あんなすごい魔法みたいなことはできないけど、この距離で、前後から攻撃されて無事で済むのかしら?」
ヒルデが背後から言う。
「あなたが彼らの仲間なら、あの燃え上がっている炎もいますぐ止められるんじゃない、カヤ?」
「そうでしょ、カヤ?」
カヤは二人の姉に前後から叱責するように声をかけられて、悲しげに首を振った。
どんな言葉も、いまの姉たちには通じないと悟った。
そう、二人の姉は、思考どころか、目に映る現実さえもまともに認識できていない。ただ感情にまかせて死にに行こうとしている。
カヤはかつてクララが語った言葉を思い出していた。見晴らしの良い丘の上で、風の音を聞きながらカヤに語った。その静かな口調は、まるで大気の言葉を翻訳しているかのように、当時幼かったカヤには聞こえた。
「カヤ……。私は二十七年生きたわ。二十七年生きて得た解答が、うらみとか、憎しみとかだけなんて悲しすぎる。けどね、カヤ」クララはカヤを見つめた。「それは理屈じゃない。実際に行動してそう思えるようにならなくては意味がない――そう私は思うの」
カヤはスカートをたくし上げた。その下にある短剣を取った。剣も短剣も鞘から抜き放つ。力は使わないと決めた。説得は口では無理。なら力ずくしかない。悲しいけど、……仕方ないっ。
力を使えば、アンネローゼとヒルデの心に逃げ道を与えることになる。力さえなければ、私たちが勝っていた、と。――こうなったら、とことんやるっきゃない!
カヤはそう考えると、深く息を吐き、アンネローゼを睨んだ。そして叫んだ!
「私が憎いなら、かかってきて下さい! 力も使いません! お二人同時で構いませんよ!」
「ふざけないで! あんたなんて私一人で十分よ!」
アンネローゼが突進してくる。まさしく突進。
カヤは避けて、アンネローゼの足に足を引っかけようかと思った。が、まともにアンネローゼの一撃を剣で受け止めることにした。
鈍い金属音が響く。
アンネローゼは両手で剣を握っている。対してカヤは片手だ。しかもアンネローゼは上背もある。体重もカヤの方が軽い。
刃の天秤、ギロチンのごとき禍々しい刃は、じょじょにカヤに傾く……。
アンネローゼの唇が嗜虐心に歪む。初めて倒せそうな手頃な「敵」を見つけて、目に狂気の色を宿した。
カヤはそのアンネローゼの瞳から目をそらしたくなった。
けど、そらさない。
そのまま、カヤは剣の力を抜いた。
不意をつかれたアンネローゼは、思わず体勢を崩すほど大きく踏み込んだ。
瞬間、カヤはアンネローゼと体勢を入れ替わるように動き、アンネローゼの剣に剣を振りおろした。
今度はアンネローゼが下で耐える番だ。
カヤの力をアンネローゼは力で押し返そうとする。ふいにアンネローゼはさっきカヤが見せた動作を思い出したのだろう。
いきなり力を抜いて、自然な流れに任せて剣を動かした。
そっくりの動きだ。
飲み込みは早い、けど、とカヤは思う。アンネローゼの気配の変化から、完全に動きを読んでいたため、なんなく躱した。
アンネローゼの剣はただ後方に下がっただけだ。
アンネローゼが慌てて体に力を入れようとした瞬間、狙い澄ましたタイミングでカヤが剣をまた振りおろした。
アンネローゼは大きく尻もちをついた。
カヤは三歩さがり、アンネローゼが立ち上がるのを待った。
アンネローゼは苦々しげに立ち上がり、また剣を振りかぶった。
それをまた、カヤがまともに受ける!
スピードでは完全にカヤの方が上なのは明かだった。それでもカヤはアンネローゼの最初の一撃だけは受け止めていた。
アンネローゼは汗だくになり、動くたびに汗をほとばしらせる。
湿った長い金髪はアンネローゼに絡みつき、彼女のロングスカートも足に絡みついていた。
対してカヤはほとんど服装が乱れず、汗もほとんどかいていない。最小限の動きしかしていない。アンネローゼは無駄な動きが多い。カヤの十倍以上動き回っていた。転んで、跳ね起き、剣を持ち直し、時には剣を投擲したりさえした。そのたびにカヤはアンネローゼが剣を拾うのを待った。
何十か、何百かの戦いが終わると、アンネローゼは倒れたまま起き上がらなかった。
気を失ったらしい。
カヤは息を吐いた。さすがに終わったときにはカヤも汗をかいていた。アンネローゼを気絶させるだけならこれほど手間はかからなかっただろう。
心や思考を失えば、人はただの獣――獣以下になる。
「私は、ピエロのヴァールのことをさきほど初めて知りました。私の母と知り合いであったこともです。流浪の民だろうとは、彼の目の色から予想していましたが……。それに私はお姉様を裏切るつもりもありません」
アンネローゼは首をはっきりと横に振った。そして口を開いた。
「そんなごまかしが通用すると思っているの、カヤ?」
「そりゃ私たちは、あんなすごい魔法みたいなことはできないけど、この距離で、前後から攻撃されて無事で済むのかしら?」
ヒルデが背後から言う。
「あなたが彼らの仲間なら、あの燃え上がっている炎もいますぐ止められるんじゃない、カヤ?」
「そうでしょ、カヤ?」
カヤは二人の姉に前後から叱責するように声をかけられて、悲しげに首を振った。
どんな言葉も、いまの姉たちには通じないと悟った。
そう、二人の姉は、思考どころか、目に映る現実さえもまともに認識できていない。ただ感情にまかせて死にに行こうとしている。
カヤはかつてクララが語った言葉を思い出していた。見晴らしの良い丘の上で、風の音を聞きながらカヤに語った。その静かな口調は、まるで大気の言葉を翻訳しているかのように、当時幼かったカヤには聞こえた。
「カヤ……。私は二十七年生きたわ。二十七年生きて得た解答が、うらみとか、憎しみとかだけなんて悲しすぎる。けどね、カヤ」クララはカヤを見つめた。「それは理屈じゃない。実際に行動してそう思えるようにならなくては意味がない――そう私は思うの」
カヤはスカートをたくし上げた。その下にある短剣を取った。剣も短剣も鞘から抜き放つ。力は使わないと決めた。説得は口では無理。なら力ずくしかない。悲しいけど、……仕方ないっ。
力を使えば、アンネローゼとヒルデの心に逃げ道を与えることになる。力さえなければ、私たちが勝っていた、と。――こうなったら、とことんやるっきゃない!
カヤはそう考えると、深く息を吐き、アンネローゼを睨んだ。そして叫んだ!
「私が憎いなら、かかってきて下さい! 力も使いません! お二人同時で構いませんよ!」
「ふざけないで! あんたなんて私一人で十分よ!」
アンネローゼが突進してくる。まさしく突進。
カヤは避けて、アンネローゼの足に足を引っかけようかと思った。が、まともにアンネローゼの一撃を剣で受け止めることにした。
鈍い金属音が響く。
アンネローゼは両手で剣を握っている。対してカヤは片手だ。しかもアンネローゼは上背もある。体重もカヤの方が軽い。
刃の天秤、ギロチンのごとき禍々しい刃は、じょじょにカヤに傾く……。
アンネローゼの唇が嗜虐心に歪む。初めて倒せそうな手頃な「敵」を見つけて、目に狂気の色を宿した。
カヤはそのアンネローゼの瞳から目をそらしたくなった。
けど、そらさない。
そのまま、カヤは剣の力を抜いた。
不意をつかれたアンネローゼは、思わず体勢を崩すほど大きく踏み込んだ。
瞬間、カヤはアンネローゼと体勢を入れ替わるように動き、アンネローゼの剣に剣を振りおろした。
今度はアンネローゼが下で耐える番だ。
カヤの力をアンネローゼは力で押し返そうとする。ふいにアンネローゼはさっきカヤが見せた動作を思い出したのだろう。
いきなり力を抜いて、自然な流れに任せて剣を動かした。
そっくりの動きだ。
飲み込みは早い、けど、とカヤは思う。アンネローゼの気配の変化から、完全に動きを読んでいたため、なんなく躱した。
アンネローゼの剣はただ後方に下がっただけだ。
アンネローゼが慌てて体に力を入れようとした瞬間、狙い澄ましたタイミングでカヤが剣をまた振りおろした。
アンネローゼは大きく尻もちをついた。
カヤは三歩さがり、アンネローゼが立ち上がるのを待った。
アンネローゼは苦々しげに立ち上がり、また剣を振りかぶった。
それをまた、カヤがまともに受ける!
スピードでは完全にカヤの方が上なのは明かだった。それでもカヤはアンネローゼの最初の一撃だけは受け止めていた。
アンネローゼは汗だくになり、動くたびに汗をほとばしらせる。
湿った長い金髪はアンネローゼに絡みつき、彼女のロングスカートも足に絡みついていた。
対してカヤはほとんど服装が乱れず、汗もほとんどかいていない。最小限の動きしかしていない。アンネローゼは無駄な動きが多い。カヤの十倍以上動き回っていた。転んで、跳ね起き、剣を持ち直し、時には剣を投擲したりさえした。そのたびにカヤはアンネローゼが剣を拾うのを待った。
何十か、何百かの戦いが終わると、アンネローゼは倒れたまま起き上がらなかった。
気を失ったらしい。
カヤは息を吐いた。さすがに終わったときにはカヤも汗をかいていた。アンネローゼを気絶させるだけならこれほど手間はかからなかっただろう。
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