第39話
「ママ、朝食作ったから食べて」
寿美花の言葉に、寿美花の母親は喜んだ。
「わぁ、ありがとう、寿美花。いったい朝食は何かしら? 何かしら?」
「いつもママが作ってくれるのと同じような物よ。ホットケーキ」
「シロップや蜂蜜はたっぷりある?」
「あるある。さあ、顔を洗ってきて」
「わぁい」
どっちが子供かわからないような会話だった。
だが、それ以上に、直次は別のことに驚いていた。自分が照れくさくて部屋から出るのにためらったのに、母と娘のほうはかなり慣れている感じだった。まあ、老人ホームという集団生活の場を切り盛りしている施設長とその娘だから当然かもしれない。
朝の食卓につくと、寿美花が焼いたらしいホットケーキが、バターやシロップや蜂蜜をかけて食べられるのを待っていた。
三人が座り、いただきますと言った後、西園寺初依は、さらに自分のホットケーキに蜂蜜をだばだばとかけた。相当な甘党だった。
そんな様子に、思わず自分のフォークとナイフを止めて見入っていた直次に、寿美花が尋ねた。
「ねえ、直次くん」
「なんだ?」
「直次くんって好き嫌いとかある? これからしばらく一緒に食べることになるし、聞いておきたいのだけど……」
「いや、特に好き嫌いはないな。何でも食べるよ」
これは事実だった。ピーマンも酢の物も納豆も生魚も何でも食べられる。だが、直次はこの時こう答えたことを共同生活を続ける間中、後悔し続けることになる。
そのことを知らない直次は、朝っぱらからお菓子みたいな朝食だな、と思いつつも、もぐもぐと口を動かし、ホットケーキを平らげていく。
「お母さまは倒れられたと聞きましたが、具合のほうはもう大丈夫なのですか?」
直次が、寿美花の母に訊ねる。うふふ、と意味ありげに微笑んだ彼女は、
「『お母さま』ですって……なんだか、お婿さんが来たみたいね」
「マ……ママ! 何、言ってるのよっ」
慌てて席から腰を浮かして、寿美花が怒鳴る。その顔は赤い。
よかった、と直次は思った。寿美花もまったく意識していないというわけではないらしい。
「そうねぇ、もう大丈夫だと思うわ」
寿美花の母は、娘に怒鳴られたことなど意に介さず、マイペースに直次の質問に答え、
「お医者様もただの過労だろうっておっしゃってたし、実際ここのところ心理的なプレッシャーでろくに眠れなくてね。一晩ぐっすり眠ったら、ずいぶん具合がよくなったわ」
「そうですか。良かったですね」
「ええ……ほんとに。寿美花にもいっぱい心配かけちゃって、ごめんね」
そう軽く頭を下げられて、寿美花は慌てて目元を擦った。涙をぬぐうような仕草だった。彼女もおそらく相当心配したのだろう。
「ほんとにそうよ! ママは別に体力があるわけでも、精神的に強いわけでもないんだから、適度に休んでよね。絶対に今日、明日、できたら明後日も家にいて!」
照れ隠しするように怒鳴った。
「わかってるわ。ちゃんと二、三日は仕事をお休みするわね。それでね、日向さん、せっかくだから三時頃になったら、うちに戻ってきてね」
「……はあ……別に構いませんが、どうしてですか?」
直次は不思議そうにした。
「おやつを作って待ってるから、食べて欲しいの」
まだ直次が意味がわからないといった顔をしていると、寿美花が説明してくれた。
「ママはお菓子作りが趣味なの。お菓子を作ると気が晴れるらしいから」
「へー、そうなんだ」
「寿美花はちっとも甘いものを食べてくれないから、いつも欲求不満が溜まっちゃって。正直、スポーツマンタイプの男の子ってありがたいわ。いっぱい食べてくれるだろうし」
直次は、ホットケーキの最後の一欠片をフォークで刺しながら、ちょっと違和感を感じた。寿美花はちっとも甘いものを食べてくれないというが、こうしてホットケーキを食べているのに。
朝食を終えた直次と寿美花は、家で今日は体を休めるという西園寺初依に見送られて、悠寿美苑に向かった。到着したのは朝八時頃で、悠寿美苑の利用者たちの朝食はあらかた終わっていた。悠寿美苑の食事の時間は、朝食七時、昼食十一時半、夕食五時半と決められていた。それぞれの間の時間は四時間半と六時間で、午後のほうが長い。説明をロビーにある椅子に腰掛けて受けていた直次は、話の腰を折って訊ねた。
「なあ、寿美花……」
「何かしら、直次くん?」
「午後のほうが長いから、夕飯までにお腹が空くんじゃないか?」
「それは三時にティータイムがあるのよ。その時おやつを食べるから平気なの」
他にもいろいろな説明をざざっと受けていく。意外なことに毎月ひとつは行事やレクリエーションがあった。十二月にクリスマス会、一月に餅つき、二月に節分の豆まき……などなど。一通り一年間の主な行事を聞いて疑問がまた湧いた。
「四月のお花見とか、五月の遠足とかはまだわかるんだが、……なんで老人ホームでバーベキューパーティーなんだ?」
バーベキューといえば若者や子供連れの家族のイメージがある。老人とバーベキュー、老人と焼き肉などが繋がらなかった。
寿美花の言葉に、寿美花の母親は喜んだ。
「わぁ、ありがとう、寿美花。いったい朝食は何かしら? 何かしら?」
「いつもママが作ってくれるのと同じような物よ。ホットケーキ」
「シロップや蜂蜜はたっぷりある?」
「あるある。さあ、顔を洗ってきて」
「わぁい」
どっちが子供かわからないような会話だった。
だが、それ以上に、直次は別のことに驚いていた。自分が照れくさくて部屋から出るのにためらったのに、母と娘のほうはかなり慣れている感じだった。まあ、老人ホームという集団生活の場を切り盛りしている施設長とその娘だから当然かもしれない。
朝の食卓につくと、寿美花が焼いたらしいホットケーキが、バターやシロップや蜂蜜をかけて食べられるのを待っていた。
三人が座り、いただきますと言った後、西園寺初依は、さらに自分のホットケーキに蜂蜜をだばだばとかけた。相当な甘党だった。
そんな様子に、思わず自分のフォークとナイフを止めて見入っていた直次に、寿美花が尋ねた。
「ねえ、直次くん」
「なんだ?」
「直次くんって好き嫌いとかある? これからしばらく一緒に食べることになるし、聞いておきたいのだけど……」
「いや、特に好き嫌いはないな。何でも食べるよ」
これは事実だった。ピーマンも酢の物も納豆も生魚も何でも食べられる。だが、直次はこの時こう答えたことを共同生活を続ける間中、後悔し続けることになる。
そのことを知らない直次は、朝っぱらからお菓子みたいな朝食だな、と思いつつも、もぐもぐと口を動かし、ホットケーキを平らげていく。
「お母さまは倒れられたと聞きましたが、具合のほうはもう大丈夫なのですか?」
直次が、寿美花の母に訊ねる。うふふ、と意味ありげに微笑んだ彼女は、
「『お母さま』ですって……なんだか、お婿さんが来たみたいね」
「マ……ママ! 何、言ってるのよっ」
慌てて席から腰を浮かして、寿美花が怒鳴る。その顔は赤い。
よかった、と直次は思った。寿美花もまったく意識していないというわけではないらしい。
「そうねぇ、もう大丈夫だと思うわ」
寿美花の母は、娘に怒鳴られたことなど意に介さず、マイペースに直次の質問に答え、
「お医者様もただの過労だろうっておっしゃってたし、実際ここのところ心理的なプレッシャーでろくに眠れなくてね。一晩ぐっすり眠ったら、ずいぶん具合がよくなったわ」
「そうですか。良かったですね」
「ええ……ほんとに。寿美花にもいっぱい心配かけちゃって、ごめんね」
そう軽く頭を下げられて、寿美花は慌てて目元を擦った。涙をぬぐうような仕草だった。彼女もおそらく相当心配したのだろう。
「ほんとにそうよ! ママは別に体力があるわけでも、精神的に強いわけでもないんだから、適度に休んでよね。絶対に今日、明日、できたら明後日も家にいて!」
照れ隠しするように怒鳴った。
「わかってるわ。ちゃんと二、三日は仕事をお休みするわね。それでね、日向さん、せっかくだから三時頃になったら、うちに戻ってきてね」
「……はあ……別に構いませんが、どうしてですか?」
直次は不思議そうにした。
「おやつを作って待ってるから、食べて欲しいの」
まだ直次が意味がわからないといった顔をしていると、寿美花が説明してくれた。
「ママはお菓子作りが趣味なの。お菓子を作ると気が晴れるらしいから」
「へー、そうなんだ」
「寿美花はちっとも甘いものを食べてくれないから、いつも欲求不満が溜まっちゃって。正直、スポーツマンタイプの男の子ってありがたいわ。いっぱい食べてくれるだろうし」
直次は、ホットケーキの最後の一欠片をフォークで刺しながら、ちょっと違和感を感じた。寿美花はちっとも甘いものを食べてくれないというが、こうしてホットケーキを食べているのに。
朝食を終えた直次と寿美花は、家で今日は体を休めるという西園寺初依に見送られて、悠寿美苑に向かった。到着したのは朝八時頃で、悠寿美苑の利用者たちの朝食はあらかた終わっていた。悠寿美苑の食事の時間は、朝食七時、昼食十一時半、夕食五時半と決められていた。それぞれの間の時間は四時間半と六時間で、午後のほうが長い。説明をロビーにある椅子に腰掛けて受けていた直次は、話の腰を折って訊ねた。
「なあ、寿美花……」
「何かしら、直次くん?」
「午後のほうが長いから、夕飯までにお腹が空くんじゃないか?」
「それは三時にティータイムがあるのよ。その時おやつを食べるから平気なの」
他にもいろいろな説明をざざっと受けていく。意外なことに毎月ひとつは行事やレクリエーションがあった。十二月にクリスマス会、一月に餅つき、二月に節分の豆まき……などなど。一通り一年間の主な行事を聞いて疑問がまた湧いた。
「四月のお花見とか、五月の遠足とかはまだわかるんだが、……なんで老人ホームでバーベキューパーティーなんだ?」
バーベキューといえば若者や子供連れの家族のイメージがある。老人とバーベキュー、老人と焼き肉などが繋がらなかった。
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