ACT009 『スーツの男』
輸送機はオーストラリアに辿り着く。北米生まれのハズなのに、ジュナ・バシュタは輸送機の車輪が滑走路を踏みしめた衝撃に対して、一種の感動を覚えていた。
……久しぶりの故郷だ。あの白い施設を脱走して、ここまで逃げて来て……そして、あっさりと捕まったこともあったが……今では、それが悲しい思い出なのか、良い思い出なのか、そんな分別もつけることが難しい……。
どうあれ。
彼女は戻って来たのだ、故郷であるオーストラリアに。
夏の日差しに焼かれて揺らぐ、空軍基地へと輸送機から降り立った。己の脚で、アスファルト越しではあるけれど、故郷の土を踏んでいる……感無量?そこまでの感情の波は押し寄せては来なかった。
だが。
心を揺さぶられているのは確かなことであった。
「……帰ってきたんだ……独りぼっちで」
そう呟いて、うつむいた。熱いアスファルトの上には、焦げたような黒い色と……スクランブル発進でもしたのだろうか、航空機のタイヤが残したタイヤ痕があるだけだった。
さみしげな基地だ。荒野と海が見えるオーストラリアの、片田舎……守る価値など、何も無さそうな場所だった。それでも、年代モノのジムと、古びたジェガンが二機ずつ配備されている。
「……ジオンの残党どもが、海賊ごっこでもやっているのか?」
あり得るハナシだった。だから、南極に向けてモビルスーツを並べているのかもしれない。ジオンの残党は、割りとあちこちに潜伏しながら、地球人よりも地球に適応して、サバイバルを続けている。
侵略戦争は今だに続いているのだ。かつてほど大規模ではないが、地域によれば彼らはモビルスーツ戦だって仕掛けて来る。
もちろん、小銃を片手にして撃ち合うような、地味な戦いがもっぱらなのだが、舐めてはいけない。
大佐の語った通り……宇宙から地球に向けて、デブリに見せかけて海に落ちてくるモビルスーツが、一体どれだけ存在しているのか?……分からない。
上手く偽装された日には、お手上げだ。広い海上を網羅する監視装置は作れないのが現実だった。デブリも一々、撃ち落とすことはない。海上に落下してくるデブリを一々、撃ち落としていたら、金も物資もいくらあっても足りないのだ。
だからこそ、これもまた地味な任務ではあるが……沿岸や、近海をモビルスーツで歩き回ったり、時にはアザラシみたいに潜水させることもある……。
前時代的だし、あまりにも非効率的ではあるが、モビルスーツというのは、自然界に隠れることには長けているのだ。目視に頼ることが、最も有効な索敵方法なのは、今も昔も変わっていない。
ソナーを誤魔化す音響技術というものを作ることは、さほど難しくはないのだから。
「……ジュナ・バシュタ少尉ですね?」
南極へとつながる海を見つめていたジュナの背後に、その人物は近づいて来ていた。
ジュナは気づいてはいたのだが、気づかないフリを選んでいた。鈍感な人物であることを、演じたいと考えていた。相手には、油断させておけばいい。
「……ああ。ジュナ・バシュタ少尉だ」
彼女は背後へとゆっくりと振り返り、男を見つけた。
その細面の男は眼鏡をかけていた。灰色の髪の、美形な男で……スーツを着ていた。
ダークカラーのスーツ。滑走路からの照り返しで、蒸し風呂並みに熱いこの場所で……?どう考えても、兵士ではない。
「……アンタは、誰だ?軍人には、見えないんだけど」
「地球連邦軍とは、懇意にさせて頂いている企業の者ですよ」
「……アナハイム?」
「秘密です。だからこそ、名刺を差し出すこともしていません。無礼を承知の上で」
「……まったく、どこまでも怪しい任務だな。私は、何をされるんだ?」
「機密性の高い実験施設に、向かうことになります」
「……おい」
「安心して下さい。貴方の身に危険が及ぶことはありません。そこは、もちろん地球連邦軍の基地の一つです。我が社が用意している実験用のモビルスーツの駆動実験……および、高度な宇宙戦闘訓練を行える施設があります」
「聞いたコトもないな」
「それも当然なことです。そこは極秘のプロジェクトに連なる施設ですから」
「……怪しいな。ついていけないよ。そんな場所に、説明も無しに連れ去られたんじゃ、たまらないぞ」
そう言いながら、ジュナは拳銃を抜いた。怪しげな黒服野郎に、照準を定める。彼の整えられた眉にレーザーポイントの光の収束が当たった。
そうだというのに、男は涼しい顔だ。慣れているのだろうか?……だとすれば、どんな人材だ?ますます信用しにくくなるな。
「……警戒させてしまいましたか?」
「当然な。私は、まだ結婚前の身でな。怪しげな任務であれば……軍など辞めてやる」
実際にはそんなつもりはない。だが、無礼な者に対しては、無礼な態度で接してやりたくなっている。拳銃には自信がある。正直、モビルスーツの操縦よりも、はるかに上手い。
「……ふう。私を信用できないという理屈は分かります。ですが……『彼女』なら、貴方は信用してくださると思います」
「……『彼女』?」
「ええ。貴方と最も親しい人物の一人です」
「……っ!!」
ジュナは、拳銃をしまっていた。
期待している。期待してしまっていたのだ。自分の幸薄い人生などに、ジュナ・バシュタは期待してしまっている……良いことなど、そうそう起きるハズもないというのに。ジュナは歩き、そのスーツの美青年に近づいていく。
……しかし、彼の香水のにおいを嗅げる距離まで近づいた時、足は止まっていた。直感めいたものがある。
この灰色の髪の青年に……ジュナは、根拠のつけようのない警戒心を抱かされていた。
ときどき、あるのだ。やけに勘が鋭くなるときが……それは、おおよその場合、自分にとって不利益な現象に対しての感覚だ。
「どういたしました?」
「……いや。どうもこうもない。多分だが…………会いたくない方だな」
「……会いたくない方、ですか?」
「そうだ。私を信用させられるぐらい、私と親しいヤツは……そういない。根暗な性格をしていてな……だから。だから、分かる。お前は……私にとって、会いたくないヤツの手先なんだ」
「……それが、貴方のニュータイプとしての能力ですか?」
「……違う。そんな力なんて、私にはない」
「ですが……当てていますよ。見事なまでに」
「……ただの勘だ。逃げ回るように、隠れながら、怯えて生きて来た。過去を抹消して生きてくれば……勘の一つぐらい磨かれる」
「……では、むしろ信用していただけるのでは?」
「……っ」
「彼女が貴方を望む。彼女は、貴方の不幸を望んではいません。それは、私が保障しますよ」
「……罪悪感からか」
「そうかもしれません。ですが、それだけでも十分ではありませんか?……彼女の善意よりも、彼女の罪悪感が由来。そちらの方が、貴方は納得出来るのでは?」
「……ああ。たしかにな」
私だって、同じなんだからな。あの女と……。
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