降谷零・恋愛の流儀
サイトの利用目的が当初と大幅に変わってしまったが、思いがけず嬉しいことがあった。ふわふわの部屋着で僕を『零さん』と呼ぶ梓さんに想像以上に癒されるのだ。梓さんは心なしかポアロにいるときよりリラックスしているようにも見えた。家に帰れば部屋着の梓さんが僕の本当の名前を呼んでくれて、一緒に住んでいるような幸せな錯覚を覚えてしまう。
あずきちゃんの稼ぎが目標金額に達する、つまり最後の逢瀬になるであろう日、上司に連れられ何人かで飲みに行く羽目になった。なんでよりによってこんな日に。
[約束の時間を1時間遅らせてください。急に接待になってしまいました。最後の日なのにすみません。]
サイト上からあずきちゃんにメッセージを入れておいた。
2次会は風見に押し付けて、上司には「明日は潜入先のほうが朝早いので」と頭を下げて帰ってきた。嘘じゃない、明日はポアロで通し勤務だ。だが先に帰るならキッチリ「仕事」してから帰れ、と上司に散々飲まされた。
疲れた。画面越しでいいから早く会いたい。僕の名前を呼ぶ声を聞きたい。泥酔ではないものの頭がふわふわする。もし梓さんの指先で軽くつつかれたら、理性と本能の均衡が崩れてしまう程度には酔っていた。
軽くシャワーを浴びてスウェットに着替え、水分補給してからパソコンを立ち上げた。例のサイトにログインして、【あずきちゃん】のページへアクセスする。
『あっ、れいしゃん帰ってきたぁ。おかえりなさ~い!』
映った姿に、思わず水を吹き出しそうになった。あずきちゃんはポニーテールに水着姿で、あたりめをつまみにハイボールを飲んでいた。ちょっと情報が多いな。何から突っ込めば良いんだ。
[ただいま。お待たせしました。どうしたんですかその恰好。]
『今日は水着イベントなんですよー。素面じゃちょっと恥ずかしいし、れいさんが飲み会だっていうから、わたしも飲みながら待ってました!れいしゃんも一緒に飲みましょ!』
酔っているのか、舌っ足らずにそう言った声はいつもより少し高い。こんなにかわいく誘われたら、仰せのままにするしかない。冷蔵庫からビールを取り出して乾杯した。
それにしても、かわいい…!白いビキニに、左右を紐で結ぶタイプの花柄ショーツがよく似合っている。そして、胸が!二の腕が!ふとももが…!幼い顔と清楚なポニーテールとは対照的に、官能的なふくらみを描く曲線に頭がくらくらする。単純な僕の下半身はすぐ元気になってしまう。こんなにかわいくてエロい生き物が、夢の中だけでなく現実に存在していたのか。
[あずきちゃんかわいい。すごく似合ってる。髪型もかわいいよ]
『ふふっ、うれしい!ありがとうございます!今日のために新しく買ったんですよ』
[そうなんだ。最後にかわいい姿が見れて、おじさん眼福です。]
『ありがとうございます。そんな事言ってくれるのれいさんだけです』
ねー、と大尉に向かってはにかみながら笑いかけていた。これは…。男関係をちょっと突っ込んでみるか。ビールをぐいっと飲み込んだ。
[あずきちゃんこんなにかわいいのにもったいない。彼氏いないの?]
『はい。好きな人はいるんですけど、なんか脈無さそうなんですよね。妹扱いされてる感じで』
あたりめをくわえながら拗ねる姿が最高にいとおしい。梓さんにこんな顔させるのはどこのどいつだ。ポアロの常連か?昔話にあった元恋人か?よし、今日は徹底的に吐かせてやる。
[へえ、どういう人なの?]
『れいさん、聞いてもらえます~?同じ喫茶店で働いてる人なんですけどね。その人6歳年上で、』
え?嘘だろ?
『顔もかっこいいしスタイルも良いし、器用で頭も良くて優しいんですけど、29歳フリーターの自称私立探偵なんです。すっごくうさんくさいでしょう?』
…軽くディスられてないか?まあいい、とりあえず先を聞こうか。
[うん、確かにそうだね。]
『ふふっ、れいさんもそう思います?それに、自分の得意なこととなるとペラペラしゃべって。物知りで話は面白いから別にいいんですけどね、その後のドヤ顔がすごいの!1回お店でギター弾いたことがあったんですけど、あの時はひどかったなぁ。わたし見つからないように、キッチンの奥で必死で笑いこらえてたんですから!』
梓さんは天使のような笑顔で僕の心臓を切り裂き、ハイボールをぐいっと飲んだ。
[えっと、好きな人の話で合ってるよね?]
『あはは、はい、合ってますよ。誰にでも分け隔てなくニコニコして優しいんですけどね、それがいつも薄ーく膜を張られているようなかんじでちょっとだけ違和感があって。最初は「この人うさんくさいなー」って思って警戒してたんです』
えっ、なんの罰ゲームなのこれ。…辛いけど、もう少し聞いてみようか。
[そうなんだ。それで?]
『でもね、たまーになんですけど、その違和感がどっか行っちゃう瞬間があるんです。笑顔の奥が少しさびしそうだったり、丁寧にニコニコするの忘れて真剣にハムサンド作ってたり、大尉を撫でて少し気が緩んだ顔してたり。初めてそういう彼を見たとき、なぜかうれしくて、もっと彼のそういう表情をたくさん知りたいなって思って。気づいたら好きになっちゃってたんです…。って、恥ずかしいですね!』
嬉しすぎて言葉が出なかった。代わりに精液が出そうだった。クソッ、なんでだよ。僕は感動してるんだぞ。
だがそんなのお構いなしに、むしろ感動に比例するように下半身は硬度を増していく。今すぐ会いたい。僕も好きだよって言いたい。あの白い二の腕に触りたい。抱きしめてキスしたい。甘い声で鳴かせたい。
あ、もう無理かも…気づいたら右手が腹の下に伸びていた。
梓さん、好きだ...!!うっ...!
…
最悪だ。
快感の後にとてつもない罪悪感で酔いが醒めた。
『あれっ、れいさん?回線繋がってます?』
[ごめんね。本当にごめん。]
『えっ、そんなに謝らなくても』
[違うんだ。僕、あずきちゃんにはいかがわしい事しないって約束したのに、あずきちゃんがかわいすぎて我慢できなくて。実は今、抜いちゃったんだ。本当にごめん]
『えぇぇっ…!そうなんですか。うーん、ちょっとびっくりしたけど、れいさんならそんなに嫌じゃないですよ?それに今日で最後だから、今までのお礼もできたような気がしますし。わたしの好きな人も、そんな風に欲情してくれたらいいのにって思います』
梓さん、朗報です。あなたの好きな人はあなたにめちゃくちゃ欲情してます。…はぁ、こんなんで、明日ポアロで何事もなく働けるだろうか。
*
明くる日ポアロで梓さんと顔を合わせてみると、いつも通りポーカーフェイスで談笑できた。思い返せば、今までもっときわどい数々の淫夢を乗り越えてさわやかに笑ってきた僕だ、どうってことない。にこやかに安室透を平常運転し、ポアロは無事閉店した。
だが閉店作業に入ったときだった。梓さんが髪を束ねたのを見て、つい昨夜のことを思い出してしまった。だめだ、集中しないと。違うことを考えよう。そうだ、アイスクリームの在庫がそろそろ切れそうだったんだ。明日買い出しに行ってもらおう。
「あずきちゃん。アイス、クリー…」
しまった!そう思った時にはもう遅かった。
*
店内に大きな金属音が鳴り響いた。
ここで呼ばれるはずのないハンドルネームに動揺して、拭いていたシルバーが手から滑り落ちた。ばっちり安室さんと目が合い固まってしまった。いまさら聞こえなかったふりはできない。どうして?どうして安室さんが【あずき】のことを知っているの?
自問するまでもなく、答えは1つしかなかった。よく考えたら最初からおかしかったのだ。
普通フェイクにするものだと自ら言っていたのに、プロフィールに載せた【喫茶店店員】がわたしの本当の職業だと言い切った。平凡なわたしに対して、不自然すぎるほど良い条件を提示してきた。『たいい』と音でしか聞いていないのに[大尉]と正確に漢字変換した。何より、はじめて話す気がしなかった。
お願い、どうか違うと言って。わずかな望みにかけて恐る恐るその名を呼んだ。
「レイさん、ですか…?」
安室さんは片手で頭をかかえ顔を赤くし、ためいきをついた後で重く口を開いた。
「…はい。はじめまして、降谷零です」
待って待って待って!フルヤレイさんって誰?レイさんてハンドルネームなんじゃないの?ていうか安室さん、昨日わたしの水着姿を見て自分で処理を…。それよりわたし、もしかしてとんでもないこと言っちゃったんじゃ…?
昨夜のできごとがフラッシュバックして、身体中の血が駆け巡って沸騰する。もう無理!
「いやあぁぁぁぁぁ!!!!安室さんのばかぁー!!!」
大きく揺れるドアベルをぼんやり眺めながら、僕は右の頬に笑いを携えて一人立ちすくんでいた。こうなったらもうやるしかない。女性を口説くのも常に本気だ。
妥協せず最高のクオリティを追及する。それが僕、降谷零の恋愛の流儀なのだ。
fin.
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