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勇者達のこんにちワーク

ジャンル: 異世界(恋愛) 作者: 髙見 青磁
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旅立ちはいつも雨

時折レールの軋む音が響く車内で、俺は窓際に肘をつき、車窓の風景を眺める。
そこには、牧歌的な草原と点在する民家の立ち上る朝餉の煙が揺らめいていた。
列車が駅に着くと乗客が走るようにホームへと降りて行き、足早に改札へと向かっている。
そんな風景を傍観しながら、俺は一等車のデッキを通り過ぎた。
本日、俺は魔王の所へ行く。
キュッと装備している魔除けのネクタイを締め直す。
キアイが入ったところで、改札を抜け、駅地下直結のラストダンジョンへ向かった。
――デスパレスサイドビル 地下一階
禍々しい通路を抜け、俺は当然のようにエレベーターに乗った。
デキる勇者はどんな時も自信を失わないモノだ。
エントランスの受付嬢に右手でシュタッと挨拶し、颯爽と担当者を呼び出す。
程なくして応接室に通されると、世にもおどろおどろしい商談が始まった。
「早速ですが、コチラのパワポの資料をご覧ください。御社のゴブリンが農作物を荒らし、家畜を襲っているそうです。その関係で、名目GDPがインフレギャップでキャピタルゲインが落ち込み、投資家達の思惑から春小麦の先物・オプション取引が伸び悩んでいる状況でございます」
俺は、良く訓練された魔法剣士のような素早いトークで担当者を口撃した。
「お話はごもっともでございます」
担当者はやや口ごもりながら答える。
俺はさらにたたみかけるが、担当者もトークの詠唱を始めた。
「しかしゴブリンにも権利がございまして。最近では、働き方改革などの影響もあり、同一労働同一賃金推進法の観点からも、最低賃金の上昇は避けることができませんので」
ふっ、なかなかやるな。
しかし、次の一撃でカタをつけてやる!!
その時、俺の目の前に、水の流れる便器が現れたのだ。
んっ? なんかおまたがモジモジするぅ~。
その瞬間、俺は飛び起きた。
「夢・・・・・・か?」
トイレに行きたくなった俺は、暗い寝室という現実に引き戻されたようだった。
そうだった、俺は転職したつもりが、いつの間にか転生していたのだった。
便器に大量に放尿しながら、思いを馳せた。
そう、あの時、あの場所で。
俺は転生し、元の世界とは別の、この世界の片隅に住み着き、最強の勇者となった。
ハズだった。
そもそもの始まりは、国立職業安定所での出来事だったのだ。
その日、俺は、めぼしい求人もなく、ただ時間だけが過ぎていくのを落胆しながら、職業安定所をあとにした。
帰り道の喫茶店でふと思い出し、スマホのメールを見ていた。
先日登録した転職エージェントの案内だった。
まあ、この際エージェントに頼ってみるのもアリかと思い、簡単なメール文で面談の予約を取った。
数日後、何故かとんとん拍子に転職先が決まり、その就職先というのがこの世界の勇者だったわけだ。
確かに、転職するときに全国転勤ありなのは大丈夫か聞かれたが、まさか異世界とは思わず、その時はただ転職したいあまりに首を縦に振っていたのだった。
こんなことになろうとは。
あれから数年が経ち、俺は異世界で結婚し、すでに子供までいる。
まあ、幸せと言えばそれまでだが、「強くてニューゲーム」みたいのだけは、恥ずかしいからやめようと思っていたのに、人生何が起こるか分からない。
ややキレの悪くなった小便を丹念に振り落とすと、俺はまた寝床に戻っていった。
全異世界が平和でありますようにと願いながら。
――次の日
朝食の食パンを頬張りながら、味噌汁を飲んでいると、子供達が起きてきた。
長男はピピンと言う名前だ。
初めての子供で、名前をつけるときに、「勇者 ろと」とつけようとしたら、ピッと、システムエラーのような音がして、どうしてもそういう名前をつけられなかったのだ。
王様に相談すると、「トンヌラ」という名前が流行っていると言われたが、絶対に嫌だったので、今の名前に落ち着いた。
その時の教訓を生かして、娘には「マーシャ」と名前をつけた。なんだか、いつの間にか旅に出て行って、踊り子になってしまいそうだが、今は公務員になれるように教育している。
息子と娘が眠そうに「おはよう」と挨拶を交わして、食卓に着いた頃にパンプキンスープを持って台所からやってきたのが、我妻である「ビアンヌ」である。あの頃は、ビアンヌとフレーラでどちらを選ぶかでだいぶ悩んだが、なんとなくビアンヌを選んだのは内緒だ。
きっと別の異世界の俺はフレーラを選んでくれているに違いない。
そんなことを考えていると、玄関先でドサッという音が聞こえてきた。
何事かとドアを開けるとそこには、雨の中で一人の兵士が倒れていた。
「勇者様、ついに魔王が動き出しました。我が軍は壊滅。勇者様に助けを求めるために馳せ参じました」
やれやれと俺は思った。
しかし、こんな世界まで来て食いっぱぐれるのはイヤなので、兵士に対して静かに首肯した。
「では、王様がお呼びです。お城へお越しください」
兵士は、出血のためか顔面チアノーゼで震えながら言った。
「わかった、安心しろ。魔王のことは任せろ」
俺は頭の中で定型句を選び出し選択した。
「ヨロシク頼む。・・・・・・ぐふっ」
兵士は安堵したような顔になったかと思ったら、点滅して消えた。
あー、これだと死体が残らないから、葬式は無理だなぁとか思いながら、俺は食卓に戻り、家族に別れを告げ、雨のフィールドへと旅立ったのだった。
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