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僕は好きだと言ってない

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: 中野安樹
目次

僕は好きだと言ってない【ひとつめ】

やっと。やっと呪縛から解き放たれたと思っていた。自分の地元から離れて仕事だけに集中して。それから、ちょっとだけお人好しの先輩とあざとい後輩と、大人しめの上司。幸せ買いに来ましたって、感じのお客様を眺めながら嘘臭い、笑顔を振り撒いとけば楽勝だったはずだ。なのに、今朝郵便受けに入っていたハガキで全ては変わった。平穏だった日常は一変し、落ち着かない焦燥感に襲われる。

「結婚式に来いだ?どの面下げて…」

いや、昔馴染みを集めるなら俺の名前があっても当たり前だ。俺はこの窮地をどう切り抜けるかで頭がいっぱいになった。玄関で、乾いた紙切れがカサコソ擦れる音がした。タワーのように折り重なった、ダイレクトメールが倒壊したのかもしれない。このハガキもタワーの中に埋もれてしまったら良かった。見たくもない。チンタラ歩いても仕事に間に合う時間帯のハズなのに、急に意識が遠くなるのを感じた。


朝に、やなものを見つけてしまったせいか、なんだか体がダルい。始業のチャイムはとっくに鳴ったというのに、全くやる気にならないのだ。やる気スイッチがみあたらない。というか、やる気がゼロだ。欠伸を噛み殺しながら、チラリと隣を見ると人懐っこくて、お調子者の緒方先輩が、ブツブツと深刻そうな顔をしている。憂さ晴らしにからかってやるか。今ならタイムリーに盛り上がりネタが仕入れてある。

「知ってました?そういえば」

最近、仲の良い佐藤の話でもふっておけば話に乗ってくるに違いない。佐藤をエサにおふざけでもして、スッパリ忘れよう。そしたら式のことなんて忘れられるハズだ。仲間から連絡が来たらとぼけたふりをすればいい。それに、その日は出張とか抜けられないとか、仕事があるとか言って断れば楽勝だ。それなのに、名案だと思っていたスッキリ作戦は、大失敗に終わった。なぜだか緒方先輩は嫌みダラダラ、なぜか早退を俺のせいにして退社してしまう。

「げっ。全部、伝票めんどくさいヤツじゃん」

書類に貼り付けたメモ紙には、赤線のとこよろって、ハートマークがある。指示通り赤線のところを見る。すると、細かく整理して提出しないといけないものや確認事項が多すぎて鬱陶しいものなど、普通ならいや、常識があるなら人に押し付けない代物ばかりだ。書類の束じゃないので、見た目には急ぎの案件のみ託したように見える。

「ヤられた」

これは、憂さ晴らししようと話しかけた段階で、すでに準備してたに違いない。どうやらおかげで今日は、残業。忙しさで悩みの種とは向き合わなくていいようだ。そう思えば、緒方先輩に対してムカついた気持ちが薄れていく。そこで手を合わせて、仏前よろしく脳内の先輩を拝んでみるとすぅーと、いつものダルい日常に戻っていった。

「おい。…三苫、電話。私用電話、次からかけるなと友だちにいっとけ。ちゃっちゃと済ませろよ。5分な。長引かせるな」

気が弱い上司はすぐに、部下を叱り飛ばさず、条件付きの譲歩をしてくる。管理職実習なるものの、効果だろうか。それにしても、緒方先輩に気をとられて、すっかり忘れていた。常識ある大人なら控える行為も、学生のノリがいまだに抜けない奴らなら気にしない。そんなことも忘れてしまってたなんて、悔しすぎる。

「ヤッホー、三苫」

「電話してくんなよ。結城、元気かよ」

昔馴染みの能天気な声を遮るようにつっけんどんに切り返した。

「用は、なんなんだってアレだろ」

ハガキは届いたから、知ってる。そう言おうとして、言葉を濁す。

「そんなカリカリすんなよ。お前のことだから、直接連絡しといた方がいいかなってな。ま、飲みながら話そうぜ。俺、今そっちいってんだよ。転勤してさ」

会いたくなっちゃった。電話の向こうから、ふざけた口調で笑いかけてくる。結城としては、可愛らしく言ったつもりなのだろうが、いい年したおっさんの甘えた声は気持ち悪い。緒方先輩以外にもこんな人種いたんだな。どこかで、見たことあるとは感じていたけど、コイツか。あぁ鬱陶しい、さっさと切ってしまえ。なんとも言えないイライラが込み上げてくるこの感覚は、久しぶりだ。

「あ、今すぐ行きます」

さっそく

上司に呼ばれたような小芝居で、慌てたような声を出す。ガサガサと騒がしい音を立て、忙しそうな演出をしてから、電話をすぐに切った。どうせ、飲むと言っても、この仕事量じゃ無理だろう。適当に残業報告のメールでもして、断ってしまえばいい。結城だって、しつこく誘って来やしないだろう。なんだか卑屈になる自分の考えが嫌だが、仕方ない。高校時代の思い出のせいか、学生時代の友人に会うといつもこんな気持ちになる。俺にとっては懐かしいってよりも、苦い切ない思い出ばかり思い出すからだ。キーボードを叩きながら、残業をさせてくれた緒方先輩に感謝の言葉を思い浮かべる日が来るとは思わなかった。でも、無機質なこの音がなんだか、今は心地いい。カタカタと、数字や地図に書いてある場所を打ち込みながら、お星さま設定の緒方先輩をおがんでいた。きっと、先輩への祈りは別の形となって届くに違いない。巡りめぐって、良い方向へと導いてくれた。

【続く】
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