11話 クロユリの手紙
予想はしていたが、フェッドの口から出た故郷の名前を耳にした瞬間、背中に細かい突起が一斉に現れるのを感じた。
僕は思わず目を見開く。
「おい、どうして罰ゲームで幽霊屋敷に行くことになった臆病者みたいな顔をしているんだ? あそこは丘になっていて霧にかかっていないだろう?」
当たり前だ。
霧のどうこうなどまったく問題になりゃしない。
「それに、お互いしばらく帰っていないじゃないか。僕は今年の初めに一度帰郷したけれど、君は村を出てから一度も戻っていないそうだし、君のお母さんも会いたがっていたよ。この機会に一緒に帰ろうよ」
一番触れたくないものに触れられた。
やめろ、これ以上あの村の話をするんじゃない!
僕はゲテモノを食わされそうになっている弱者のように首を横に振る。
「なんでだよ! お前、お母さんからの手紙を読んでいるのか? 手紙を出しても返事がないって嘆いていたぞ?」
「読んでいない。父の訃報に接してから母の手紙は一枚も読んでいない!」
「じゃあ今からでも読もう! 手紙はどこにある?」
フェッドはそう言ってベッドサイドテーブル最上段の引き出しを開けた。
「勝手に開けるな!」
反射的に発せられた怒声が部屋に響く。
それにフェッドもカルネヴァルも、そして僕も息を止めた。
「僕の大嫌いなことの一つが、許可なく私物に触れられることだと、君は昔から知っているだろう?」
僕はおずおずと友人の手をどけ、中央の引き出しを開けた。
「あぁ、確かそうだった気がする」
フェッドは苦笑いを浮かべつつ手紙の束を受け取る。
そして、手に取ったものの重さに驚き、視線をそれに注いだ。
「この量、まさか1か月ごとに送られてきていたのか!?」
「惜しいな、3週間ごとだよ」
窓から外の暗い壁を眺める。
「よくこれほどためても読もうという気にならなかったな……。これらすべてを読もうとすれば日が暮れてしまう」
「そうだね、だから読まなくてもいいよ」
いくつもの手紙を扇状に広げるフェッドを尻目に空を払う。
「お前、こんなにも心配してくれているというのに――!」
激高しそうになるフェッドの肩にカルネヴァルが手を置き、彼を制した。
心配、ねぇ――。
僕には、本当に母が僕を心配しているとは思えなかった。
また、心配させることが悪いことだとも、到底思えなかった。
「ねぇグロム、世界のどこを探しても一人しかいない母親よ。手紙は最悪読まなくてもいいわ。だけど、会いには行きましょう?」
偽善者がベッドに手をかけ、ちらちらと時計に目をそらしながら僕を説得しようとする。
「なあ、故郷に帰る目的が変わっていないか? そもそも僕の不調を解消するために帰るって話だったろう? なのに母に会うことが目的になっている」
僕は彼女に顔を向け、大きくなりそうな声を抑えて言った。
「お母さんに対する罪悪感が不調をもたらしているのかもしれない」
「さっき自分でこの都市のせいだって言っていただろう」
マッシュルームめ、社会学者のように賢いふりをしやがって。
確かに僕を苦しめているのは罪悪感だが――、それとこれとは、ねじれの位置関係にある。
「とにかく、早速明日の朝に出発しましょう! 明日と明後日は休日だからいいよね!」
「今朝はぶっ倒れたんだ。ゆっくり休め。明日は早いから、機嫌悪くしないように早寝しろよ!」
二人が早口で言い捨て、排水溝へ流れる水のように玄関へ捌けていく。
くそ、僕に選択権を与えない気だな。
そう思いつつ壁掛け時計に目を見やると、もう学校の始まる時間が迫っているのに気づいた。
時の神様もあいつらの味方をしたわけだ。
「それと、休めと言ったが、着替えるものの支度だけはしておけよ」
去り際のフェッドが半開きのドアから顔だけを覗かせて言った。
バタンと喧騒の扉が閉じる。
ようやく僕の部屋があるべき姿を取り戻した。
――いや、まだ復旧していないところがある。
忌々しげに視線を腹部のあたりに落とすと、フェッドが放置していった、二つの意味で重い手紙が目に入った。
床には花瓶の破片も散らばっているが、それはどうでもいい。
僕は手紙を3枚だけ手に取った。
まるで蛙を掴んでいるかのような気分だ。
フェッドはこれを読めと言っていたが、書かれている内容はたかが知れている。
どうせ、「そちらの生活はどうですか?」「こちらは元気です」「たまにはこちらにも顔を出して」みたいなことが並べられているだけだ。
しかし、怖いもの見たさか、なんとなく手紙を読んでみてもいいだろうという気持ちが僕の中に生まれていた。
僕は封を切り、切り口に指を入れる。
もしかしたら、今の母は昔の母とは違うかもしれない。
ほんのわずかだが、希望と呼べそうなものを感じる。
そして、便せんを引き上げると、初めの文字が見えてきた。
〈私の――〉
その2文字が見えた瞬間、僕は不愉快な紙切れを袋に戻して放り投げた。
布団を頭までかぶり、光から全身を遮断する。
安直な自分が憎い。
何も変わっちゃいないじゃないか。
僕は思わず目を見開く。
「おい、どうして罰ゲームで幽霊屋敷に行くことになった臆病者みたいな顔をしているんだ? あそこは丘になっていて霧にかかっていないだろう?」
当たり前だ。
霧のどうこうなどまったく問題になりゃしない。
「それに、お互いしばらく帰っていないじゃないか。僕は今年の初めに一度帰郷したけれど、君は村を出てから一度も戻っていないそうだし、君のお母さんも会いたがっていたよ。この機会に一緒に帰ろうよ」
一番触れたくないものに触れられた。
やめろ、これ以上あの村の話をするんじゃない!
僕はゲテモノを食わされそうになっている弱者のように首を横に振る。
「なんでだよ! お前、お母さんからの手紙を読んでいるのか? 手紙を出しても返事がないって嘆いていたぞ?」
「読んでいない。父の訃報に接してから母の手紙は一枚も読んでいない!」
「じゃあ今からでも読もう! 手紙はどこにある?」
フェッドはそう言ってベッドサイドテーブル最上段の引き出しを開けた。
「勝手に開けるな!」
反射的に発せられた怒声が部屋に響く。
それにフェッドもカルネヴァルも、そして僕も息を止めた。
「僕の大嫌いなことの一つが、許可なく私物に触れられることだと、君は昔から知っているだろう?」
僕はおずおずと友人の手をどけ、中央の引き出しを開けた。
「あぁ、確かそうだった気がする」
フェッドは苦笑いを浮かべつつ手紙の束を受け取る。
そして、手に取ったものの重さに驚き、視線をそれに注いだ。
「この量、まさか1か月ごとに送られてきていたのか!?」
「惜しいな、3週間ごとだよ」
窓から外の暗い壁を眺める。
「よくこれほどためても読もうという気にならなかったな……。これらすべてを読もうとすれば日が暮れてしまう」
「そうだね、だから読まなくてもいいよ」
いくつもの手紙を扇状に広げるフェッドを尻目に空を払う。
「お前、こんなにも心配してくれているというのに――!」
激高しそうになるフェッドの肩にカルネヴァルが手を置き、彼を制した。
心配、ねぇ――。
僕には、本当に母が僕を心配しているとは思えなかった。
また、心配させることが悪いことだとも、到底思えなかった。
「ねぇグロム、世界のどこを探しても一人しかいない母親よ。手紙は最悪読まなくてもいいわ。だけど、会いには行きましょう?」
偽善者がベッドに手をかけ、ちらちらと時計に目をそらしながら僕を説得しようとする。
「なあ、故郷に帰る目的が変わっていないか? そもそも僕の不調を解消するために帰るって話だったろう? なのに母に会うことが目的になっている」
僕は彼女に顔を向け、大きくなりそうな声を抑えて言った。
「お母さんに対する罪悪感が不調をもたらしているのかもしれない」
「さっき自分でこの都市のせいだって言っていただろう」
マッシュルームめ、社会学者のように賢いふりをしやがって。
確かに僕を苦しめているのは罪悪感だが――、それとこれとは、ねじれの位置関係にある。
「とにかく、早速明日の朝に出発しましょう! 明日と明後日は休日だからいいよね!」
「今朝はぶっ倒れたんだ。ゆっくり休め。明日は早いから、機嫌悪くしないように早寝しろよ!」
二人が早口で言い捨て、排水溝へ流れる水のように玄関へ捌けていく。
くそ、僕に選択権を与えない気だな。
そう思いつつ壁掛け時計に目を見やると、もう学校の始まる時間が迫っているのに気づいた。
時の神様もあいつらの味方をしたわけだ。
「それと、休めと言ったが、着替えるものの支度だけはしておけよ」
去り際のフェッドが半開きのドアから顔だけを覗かせて言った。
バタンと喧騒の扉が閉じる。
ようやく僕の部屋があるべき姿を取り戻した。
――いや、まだ復旧していないところがある。
忌々しげに視線を腹部のあたりに落とすと、フェッドが放置していった、二つの意味で重い手紙が目に入った。
床には花瓶の破片も散らばっているが、それはどうでもいい。
僕は手紙を3枚だけ手に取った。
まるで蛙を掴んでいるかのような気分だ。
フェッドはこれを読めと言っていたが、書かれている内容はたかが知れている。
どうせ、「そちらの生活はどうですか?」「こちらは元気です」「たまにはこちらにも顔を出して」みたいなことが並べられているだけだ。
しかし、怖いもの見たさか、なんとなく手紙を読んでみてもいいだろうという気持ちが僕の中に生まれていた。
僕は封を切り、切り口に指を入れる。
もしかしたら、今の母は昔の母とは違うかもしれない。
ほんのわずかだが、希望と呼べそうなものを感じる。
そして、便せんを引き上げると、初めの文字が見えてきた。
〈私の――〉
その2文字が見えた瞬間、僕は不愉快な紙切れを袋に戻して放り投げた。
布団を頭までかぶり、光から全身を遮断する。
安直な自分が憎い。
何も変わっちゃいないじゃないか。
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