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ハーミッシュ物語~ある架空世界の小史より~

ジャンル: ロー・ファンタジー 作者: バーグマン1981
目次

馬上の二人

一行は、クレカラ市城壁の北門まであと少しの所を進んでいた。
バナパルの背で、リディスとミルズの二人が、仲良く揺れに体を合わせていた。
「ずいぶん汗を掻かれましたね。
風邪を召されませんように」
そう言って、リディスは自分の外套をミルズに羽織らせた。
全身の汗が、ミルズの自前の上着まで湿らせていたからだ。
ミルズは、有り難そうに外套の身頃を両手で掻き合わせた。

以前、ミルズ様をバナパルの背にお乗せしたのは二年ほど前だったろうか、とリディスは思い出す。
当時よりも、ミルズの肩の高さが自分に近くなっていることに気付いた。
それに、当時は鞍に相乗りをしても全く窮屈さは感じなかったが、今は多少の圧迫感が感じられた。
子供の成長とは早いものだなと、リディスは微笑ましい気持ちになった。
―もともと、ミルズ様の骨柄や面立ちは、奥方のフェリシア様に似てすんなりとしていらっしゃるー
それでも、ほんの少し前までは本当に小柄で華奢だったのに、さすがは武家の男子、わずかの間に逞しく育っているではないか!
さほど長身ではない自分の体格を追い越すのはいつだろうと想像すると、リディスの内には、何やら温かく湧き上がってくるものがあった。

ミリュゼティ・ハーミッシュは、ヴァルネア有数の武門の棟梁、ハーミッシュ家の次男である。
名前の由来は、ヴァルネアに伝わる古代語で「ミロン(盾の女神)に守護されし者」を意味する。
ハーミッシュ家の現当主、ベルス・ハーミッシュと妻フェリシアの許には、二男一女があった。
長子のアランが当年取って15歳、二子で長女のマシアは13歳。
末子で次男のミルズが10歳。
アランは現在、国立軍学校で寮生活を送っているため家には不在であり、来月からは、ミルズも同じく軍学校に通うため、親許を離れることになっていた。
「先生、学校って、どんなところですか?」
きらきらと目を輝かせて、ミルズは肩越しにリディスを見上げた。
「そうですね・・・。私が通ったのは一般向けの寺子屋もどきですから、ミルズ様が通われる軍学校とはだいぶ違うでしょうが・・・」
顎に手を遣って思案顔を浮かべるリディス。

ミルズは、これまで学校というものに通ったことがない。
しかし無論、ヴァルネアにはきちんとした教育制度があり、子どもたちは、5才から10才までの5年間、公立の学校に通うことになる。
ただし、教育施設の運営はあくまで税金で賄(まかな)われているため、それほど高等な学問などは学ぶことはできない。
それに、学校とはいっても、設備はさほど大した事はない。
いわば平屋建ての学習塾が各区に点在しているような格好だ。
大抵、一般市民の子供たちは、学校教育を修了すれば家の仕事を手伝うことになるし、目指す分野のあるものは、そこから専門の学校を目指すことになる。
リディスも、学校を卒業してから3年後、12歳から16歳までの4年間の間に国立の医学院で医術の専門知識を学んだのだ。

しかし、教育熱心な貴族や富裕層の親たちは、そのような「庶民基準」の学習課程を子供にこなさせるだけでは満足できない。
早い子だと、喋るか喋らないか、というような頃から家庭教師を付けて勉強させ始めるのだ。
ハーミッシュ家の場合はそこまで早くないものの、ミルズが読み書きを習い始めたのは3歳くらいの頃だったろうか。
今まで家庭学習しか経験のないミルズにとって、通学教育というのはまさに、未踏地への航海にも等しいものだった。

「そう、例えるならば、この森と同じです」
しばらく考えを巡らしたリディスは、ゆっくりと答えた。
「この森・・・、と?」
ミルズの顔には疑問符がいっぱいに浮かんでいる。
と、突然リディスが頭上の梢に止まっている一羽の小鳥を指差した。
「ミルズ様、あの鳥は何という名かご存知ですか?」
ミルズは梢の先端の鳥に注視するが、もともと知らないし、これがなにかの謎かけ
問答だとしても、いいとんちが浮かばない。
「あれはトラツグミという鳥です。
東方の国では鵺(ぬえ)と呼ぶのだとか。
では、あれはいかがですか?
あの木は何の木かお分かりになりますか?」
と、リディスが今度は背後の木を指差した。
・・・これまた分からない。
どうやらとんちは使わなくとも良いらしいが、如何せんその木が何かなどと気に留めたこともなかった。
「あれは杏(あんず)の木です。
もう少し時期が過ぎれば、美しい薄紅色の花を咲かせます」
そんな調子で、リディスは次々と鳥やら木やら草花の名を尋ねてきたが、ミルズはほとんど答えることが出来なかった。
辛うじて分かったのが、雀、樫、白樺。
先ほどまで激しい打ち込みを加えていた楡の木すらも、ミルズにとっては、ただの「木」という認識を超えていなかった。
自身の不甲斐なさに唇を噛むミルズに、リディスは優しく微笑みかけた。
「ミルズ様は足繁くこの森に通っておられるようですが、全体をご覧になってはいなかった。
学校というものも、この森と同じく、入口から入って出口から出てゆくのはさほど難しい事ではありません。
ですが、その途中で何に目を留め、何を学びとるのか、それは貴方さま次第です。
眼を擦って見てみれば無限に広がりを覚えるこの森同様、学び舎にも無数の学びの種が落ちています。
周りによく注意し、決してそれらをお見落としなさいませんよう」
・・・我ながら決まった、と自惚れるリディス。
だが、彼の前に座っている少年は、近くの木の根元を指差すと、
「先生、あれは何という花ですか?」
リディス先生の有り難い説教にはすでに興味を失ったのか、爛々(らんらん)とした眼差しを、たわわに花開いた芝桜に送っていた。
・・・やれやれ、子供には少々難しかったか、と苦笑混じりに額を掻くリディス。
「ほらほら、あまり道草を喰って朝食の時間に遅れると、またお父上に叱られますよ」
「うぅ・・・、そうでした・・・」
湧いてきた好奇心を削がれて、業とらしく脹れっ面を作るミルズを見て、リディスは思わず吹き出してしまった。
「ヒヒィ~ン!」
それと同時に、バナパルが高く嘶いた。
「あっ、バナパルまで、ひどいなぁ!」
不貞腐れた表情を浮かべながら、馬のたてがみをペしぺしと叩くミルズ。
「こらこら、バナパル、失礼だぞ」
諌(いさ)めるリディスの表情も、今にも破顔しそうだ。
「ブルルゥ・・・」
こりゃ失礼、とばかりに首を下げるバナパルに、ついにはミルズ本人も笑いを零(こぼ)す。
和やかな雰囲気に包まれた一行の視線の先に、城壁北門の警備の兵が、大きく手を振っているのが映った・・・。
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