ネット喫茶.com

オリジナル小説や二次創作、エッセイ等、自由に投稿できるサイトです。

メニュー

アンジュ・ヴィエルジュ ~Another Story~

原作: その他 (原作:アンジュ・ヴィエルジュ) 作者: adachi
目次

第24話 翠緑と群青の追憶⑬

 耳鳴りがひどい。頭の中を数億匹の羽虫が飛び回っているかの感じだった。自分が今目を開けているのかさえわからない。ただ閉じていようが開いていようが見える景色は同じだった。混濁した灰色の世界で思念の渦がゆっくりと、同時に激しく巻き込み、自我を闇の中へと引き摺り込もうとする。体の平衡すら失って、遥は赤子のように地面に蹲っていた。次第に意識は水面へと引き上げられ、喪失した明晰さを取り戻していく。視界が校舎の壁の輪郭を捉える頃には意識もはきとしていた。
 遥が吹き飛ばされた衝撃から覚醒するまで数秒の時が側を通り過ぎていたが、これは早急と言える復活であった。テオドーチェはまだ目を回して昏倒しており、アクエリアも手を頭にやって混乱から脱せずにいた。クラリス1人は流石と言える、一瞬でも意識を手放すことなく、受け身を取って衝撃を緩和していた。各人がそれぞれかなりの距離を離れていることから、10メートルは飛ばされたのか、それにしては体は軽い擦り傷以外の怪我を負うことなく、制服に土が付いて汚れているだけに留まっていた。
 ゼンジのリンクがダメージを防いでくれたのである。擦り傷を負ったのはαフィールドの範囲内から出てしまったせいであろう。
「ゼンジ君?」
 遥は周囲を見やったが彼女らのアルドラの姿が見えない。遥たちよりさらに遠くまで吹き飛ばされたのか。いくらか軽減されるとはいえ4人分のダメージを身代わりしては無傷では済まないだろう。遥が今一度名を呼ぼうとした時、サイレンの後に響いた叫喚がまた頭上から滝のように降ってきた。
 見ると『マザー』が膨張した肉塊を押し付け、黒い太陽をさらに広げにかかっていた。肉塊の前面から4本の触手が伸びてきて空間を押し広げる。いよいよ大きくなった黒い太陽からずるりという擬音が聞こえてきそうに『マザー』が滑り落ちようとした時、赤い雷霆の矢が虚空を駆け上がり、『マザー』に直撃すると圧倒的熱量の産物である閃光を迸らせた。落ちかかった『マザー』は弾かれて浮き上がり、直撃した部分が黒ずみ、硝煙が上がっていた。だがそれも数秒状況を遅滞させた以上の効果は示さず、再び倒れ始めた『マザー』は黒い太陽から全身を落下させていった。

 セナ・ユニヴェールは校舎に沿ってふらついた足取りで校庭の方に向かっていた。先ほどからあちこちで喧噪が芽吹いている。森の方では何度か落雷に似た音が聞こえてきたし、眩い発光も幾度か目にした。そしてついさっき、空から光の束のような白色の塊が高速で落ちてきて、爆発でも起こったのかと思わせる轟音と、同時に立ってはいられないほど強烈な衝撃の波が襲ってきた。セナはウルリカに覆い被さり、壁を頼りに地面に伏せて何とかやり過ごした。
「一体何が……」
 ウルリカが脇の下から顔を出した。
「ウロボロスが攻めて来たのねきっと。さっきの衝撃も、最初に見えたあのでかいやつが何かしたのよ」
「たくさんの『声』が聞こえて来る。恐怖と怯えと、戦っている『声』が……」
「セナ。あんまり聞こうとしない方がいいわ。聞いたからってどうにかできるもんでもないでしょ。それより私たちはどうするかしらね」
「遥さんたち、大丈夫かな。さっきの衝撃も校庭の方からだったし」
「だからアンタはそっちに向かってるの? そりゃ心配なのはわかるけど、でもアンタが危険を犯すことはないじゃない」
 網膜を焼く雷光と、何か巨大な質量を有した物体が落下した振動が地面を伝ってきた。
「……近いわね、校庭の方かしら」
「遥さん……」
 焦慮と不安を混合した声をセナが発すると、、すぐ近くで聞き覚えのある『声』が耳に届いた。
(くそったれ! くそったれ!! くそったれ!!!)
「この『声』は……ゼンジさん?」
 『声』の主は近くの茂みの中にいるようであった。そこは校庭の端からさらに数メートル離れた場所であり、ゼンジがライゴからアルドラとしての助言を講義されていた楠のすぐ側であった。セナが藪へと分け入っていくと、藪の上に仰向けに倒れているゼンジがいた。
(蟹の大群に親玉は蛸ってか。いつからこの島は珍味どもの巣窟になった! 海鮮パーティーか痛ってーなこのやろう!)
「大丈夫ですかゼンジさん!」
 ゼンジが驚いて隣にきたセナを見た。
「んお? セナじゃねーか。こんなとこにいたら危険が危ないぞ」
「何言ってるのアンタ?」
「お怪我をしてるんですか? すぐに誰か呼んできますから」
「いや、いい。俺はこれこの通りちょっと昼寝してただけさ。セナ、お前は早く安全なところへ避難するんだ」
 ゼンジは藪から立ち上がり、気丈な振る舞いを示してセナを安心させようとした。
(オボエエエェェェェェ。死ぬぅぅぅぅ)
 だが『心』までは偽りきれなかった。
「ゼンジさん、かなり無理をなさっています。そんな体でウロボロスのところへ行っても……」
 セナは咄嗟にゼンジの制服の袖口を摘んだ。小さな気持ちから生じた行動は、瞬時に肥大した凶兆を予感させ、摘んだ指に無意識に力が入る。指先の小刻みな震えを感じてゼンジはセナの顔を見た。
「そういえばお前は『心』が読めるんだったかな」
 はっとしてセナは顔を上げた。そこに怯えと狼狽の色が濃く浮き出ている。
「クラリスの予想が当たったようだな。だったら俺の強がりもお見通しか。参ったね、カッコ悪いなこりゃ」
 赤雷の閃光がゼンジの背後で光った。キヌエらと遥たちが合流して共に『マザー』に当たろうとしているようだ。
「おっと、俺も行かにゃならんな。いいか、セナ、ここからすぐに離れるんだ。あのタコ助は俺たちに任せとけ。タコ焼きの材料にしてやるからな」
 駆け出そうとしたゼンジの背中を、またしてもセナが留めた。今度は背中を両手でしっかりと握っている。
「怪我を……しています。これ以上のリンクは危険です。ゼンジさんは……休むべきです」
「休むとしてもそれはまだ早い。まだやることがある」
「どうしてですか……アルドラならまだ他にもいるのに……」
「俺の『心』を読めよ」
 ゼンジはセナを振り切り、校庭へと走っていった。
目次

※会員登録するとコメントが書き込める様になります。