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チョコレイト・アディクション

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: esta
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共犯者

 もしもこの世に神様ってやつがいるのなら、そいつは俺の事が嫌いなんだろう。そんな意味の無いことを考えながら、俺はほんの数秒でパラダイムシフトした世界を眺めた。目の前には可愛らしくラッピングされたチョコレート箱が間抜けに転がっている。その延長線上では一人の男がスマホをこちらに向けていた。俺の小さな小さな世界は、またこいつに壊されてしまうのか。
「お久しぶりです、先輩」
「何のつもりだ正隆」
ああ最悪だ。この男にだけは見られてはいけなかったのに。
「大丈夫ですか?」
「これが大丈夫に見えんのか」
「怒らないでください。どうして捨てようとしたんですか、それ」
「……俺がチョコ嫌いなことくらい、お前も知ってるだろ正隆」
「認めるんですね、捨てたこと」
正隆は薄く笑みを浮かべながら学ランのポケットにスマホを入れた。あの中には『バレンタインデーに貰ったチョコレートを学校のゴミ箱に捨てる最低な男』の写真がしっかりと収められていることだろう。拡散された瞬間俺は終わる。
 ほんの出来心だった。どうせ家に帰って捨てるのなら学校で捨てても同じじゃないか。教室に人はいない。ちょうどゴミ箱はいっぱいになっている。捨てた後ゴミ置き場まで袋を持っていけばもうバレない。その筈、だったのに。
「ダメですよ、いくらドアを閉めていても後ろには気をつけておかないと」
「お前じゃなかったら気付いたっつーの! お前、わざと気づかれないように入っただろ」
「だって先輩らしき人影がやましいことしてそうにゴミ箱の近くにいましたから」
正隆の眼に少し長い黒髪がかかっている。そのせいで表情が読めない。
「つーか写真まで撮りやがって、何が望みなんだよ。金か? それともただ俺を貶めたいだけか? 勿体ぶらずに早く言えよ!」
「ねえ先輩」
「な、なんだよ」
「共犯者になってあげましょうか」
どういう文脈だよそれ。全くもって理解できねえよ。
思えば、昔からこの男のことはよく分からなかった。円周率が何故3.14なのかより理解できない。得体の知れない恐怖感に襲われる。
「…意味が分かんねえ」
やっとのことで絞り出した小さな言葉は、前髪からちらりと覗く彼の真っ黒な瞳に吸い込まれていった。
「覚えてませんか、先輩。僕達小さい頃よく『悪いこと』したじゃないですか。また一緒にしましょうよ、『悪いこと』」
「…っあれは!もう」
「終わったこと、ですか?」
ああ、その目だよその目。ソイツが俺の歯車を削って、壊して、狂わせていくんだ。
「あの頃の僕達はまだ何もわからない子供でしたよね。ただ漠然と敷かれたレールから外れようとしていた。そしてそれが楽しくて仕方がなかった。僕はね、あの頃が忘れられないんですよ。あの時だけ自分は生きてるって思えた」
「わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ!」
「……先輩だって、あの時は楽しそうにしてたじゃないですか」
「っ……俺は!俺は、何も覚えてない。頼むから、もう関わらないでくれよ」
「忘れたんですか?今の先輩に拒否権なんてないんですよ」
 正隆がゆっくりと近づいてくる。駄目だ。お前とはもう近づかないって決めたんだよ。そうじゃないと――
「かわいいですね」
気づけば正隆の手にはチョコレート箱があった。するするとリボンが解けていく。
「これ、手作りですか?きっと先輩に食べてほしかったんでしょうね。可哀想だから、僕が手伝ってあげますよ」
「それは義理だっ!つーか手伝うってどういう……」
彼の手が箱を開けチョコレートを一粒つまみ、彼自身の口へと運ぶ。その一連の行為はまるで、溶けだしたチョコレートが流れていくようになめらかで、ドロリとした感触を帯びていた。
「っ……おい」
やめろ、その手で俺の頬に触れるな。チョコレートで汚れるだろ。そう言いたいのに声が出ない。この先に進めばもう絶対に戻ることはできないと分かっていながら彼の手を振り払えない。まるで人形にでもなった気分だ。ただ、目の前の男に動かされるのをじっと待つだけの、哀れな人形に。
「僕の目を見て」
「……いやだ」
「見て」
顎をくいっと持ち上げられる。せめてもの抵抗で、俺はぎゅっと目を瞑った。そして一瞬とも永遠とも思える沈黙の中で――ゆっくりと、唇が重なった。
「ん……!」
何も考えたくない。脳が理解を拒んでいる。なのに、正隆の方から流れ込んでくる甘ったるいチョコレートが否が応でもこの状況を俺の頭に、ダイレクトに染み込ませてくる。不意に、何かざらついたものが歯列をなぞった。
(…っ舌!入れるな!)
突然の行為に驚き思わず目を見開く。正隆は心底楽しそうな、いきいきとした表情をしていた。恐怖感と、それと同じくらいの興奮。異質な二つの感情のせめぎ合いに頭がパニックをおこしている。冷静になろうと、離れようとしても正隆はそれを許してくれない。ああもう、どうにかなってしまいそうだ。正隆の手から、唇から、身体全体から伝わってくる体温にどろどろに溶かされてしまう。じんわりと滲む視界で、そっと前髪の奥を覗き込む。彼の瞳には淀んだ光が滲んでいた。

「先輩、僕達の罪は消えないんです。ならいっそ、二人で何処まででも堕ちましょうよ――僕達は共犯者なんですから」
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