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飛ぶ鳥の影

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: 志の字
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7話

 私の休日の行動は、ほとんど決まっていた。この山奥の寮ではできることも少ない。1年も過ごせば大抵のことはやり尽くしてしまった。
 食事は学院の食堂で摂ることになっている。全寮制だから寮もぎゅうぎゅう詰めで、食事を摂ることは難しい。ただ、寮のキッチンや食堂自体は寮生向けに開放されている。
 午前中に授業で出された課題を片付けた後は、寮のキッチンでお菓子を作ることが多い。その時によってメンバーは変わるものの、大抵は友人の河島玲奈と長崎雛子、それから千恵。休日は予定のある寮生も多く、共有スペースであるキッチンも空いていることが多い。
 お菓子作りをしない日は、部屋で本を読んでいるか、街まで買い出しに出ている。学院に購買部があるものの、大きさはコンビニ程度しかない。お菓子作りの材料や、暇つぶしの文庫本を求めるとなると、やはり街に繰り出したほうがいい。
 カーテンを退けて窓の外を覗くと、曇天が重苦しく広がっていた。
 私は肺に詰まった淀んだ空気を吐き出すように、ため息を付いた。今日は気分転換に買い出しへ行こうと考えていたのに。いつ雨が降り出してもおかしくない空だった。
「悠。クッキー焼かない?」
「……薄力粉と卵、切らせてるよ」
「あー……そうだっけ。今なにか作れるの、あったっけ」
「別に、無理して作らなくてもいいんじゃない?」
「あんまり気が向かない? ほら、新しいクラスになったばっかりし、みんなに配ったりしたいじゃん。悠だって、渡さなきゃいけない相手がいるでしょ?」
「え? そんな、義務じゃないんだから」
「いやいや、渡さなきゃいけない相手。初めの印象が大事なのよ、こういうのは。仲良くなりたいなら頑張らなきゃ」
「あー……えっと」
 千恵が言っているのは、雨宮さんのことだ。だからここまで食い下がらないんだ。千恵はお節介なところがあるから。
 悪いけれど、乗り気にはなれなかった。だいたい、雨宮さんのためにお菓子を作ったところで、どんな風に渡せばいいというのだろう。
 突然話したこともないクラスメイトが目の前に現れて、まるで男子にバレンタインのチョコを渡す女子のように、恥ずかしそうお菓子を押し付けてきて……雨宮さんはどう思うだろう。
 無理だ、と心のなかで結論付ける。
「悠、最近元気ないけど。新しいクラス、うまく行ってない?」
 ルームメイトに隠し事はできないらしい。気遣わしげな千恵の声が、少しだけ私の心を落ち着かせてくれた。
「ちょっと」
「そっか。悠は人見知りで引っ込み思案だもんね。去年も、最初は苦労してたみたいだし」
「千恵は? 友だち、できた?」
「うん。玲奈も雛子もいるしね、1組は結構楽しいかも」
「そっか、よかった。まあ、千恵なら大丈夫だよね」
「でも、悠と同じクラスが良かったな。悠はのんびりしてるし、一緒にいてなんだか疲れないから」
 そう言われて悪い気はしない。千恵がルームメイトで本当に良かったと思う。
「わたしも、千恵と同じクラスが良かった」
「そうしたら雨宮さんと一緒のクラスになれないよ。いいの?」
「それは……別に、いいの。雨宮さんもわたしなんかに声をかけられたら迷惑だろうし。クラスが別でも変わらないよ」
「え、まさか、まだ雨宮さんと話したことないの……?」
「……うん」
 千恵は、私が雨宮さんに対してどれだけの思いを持っているかを知っている。彼女を追いかけて山白女学院に入学したという経緯を知っている。
 だから、驚くのも無理はないと思った。
 今の私は、折角のチャンスを無駄にしようとしている。卒業まであと二年間、何事もなかったかのように過ごして、後悔しながら卒業してしまう。そんな道を進んで歩もうとしている。
「フラれるのが怖いのは分かるけど」
「フラれるって……」
「そういう『好き』なんでしょ……? せっかく好きになったのに、諦めちゃうなんて、絶対にもったいないよ」
 ……血の気が引いて、胸がきりきりと締め付けられるような感覚。
 そんなものに、向き合ったことなんてなかった。分からない。この気持ちも、彼女に対する思いも。
 色恋のことなんて4年前から一度も考えたことはなかったし、第一、私にそんなものは無理だと思う。私には色んなものが足りていない。いまを生きているだけで、精一杯だ。
「ちょっとまってよ、わたし、別に恋してるとかじゃ……」
「でも、恋だったらどうする?」
「……恋だったらって、なにそれ。雨宮さんが男の子ならともかく」
「悠は恋がどんなのものか知らないだけ」
 千恵の言っていることは、すこし先走りすぎだ。
 たしかに私は、恋がどういったものかもわからない。小学生のころ、『好きな人』はいた。けれどそれが本当に恋だったかどうかは定かとは言えない。周囲がそういった話題に興味津々で、恋がしたくて仕方なくて、みんなそれぞれ『好きな人』を持っていた。
 誰か好きな人はいない? と聞かれて、じゃあと名前を上げていた。それだけだった。
 だから私は、恋をしたことがないのかもしれない。千恵の言う通り、私は恋がどんなものか知らない。
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