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彼が恋する理由

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: 中野安樹
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再びめぐる思いに雨のカーテン

正直、昨日のタイムセールは助かった。あのままだと、いつもと同じだらしがないワンナイトパターンだ。フラフラ相手についていって終了。そして、真っ白になった頭で、シーツのシミをみて自分の自制心のなさに深くため息をついて。自分の心の中身のようなマズイコーヒーを飲んで、やけ酒コースだろうか。結局、甘い夢から覚めてまっ逆さま、自己嫌悪に陥るに決まってる。ぐるぐると、昨日の自分によくやったとエールと言い訳をしている間に、妙に浮かれた声が聞こえてきた。

「惜しかったぁ」

ほんとねあと一歩だったんですよ。ねぇ、聞いてます?問いかける声は、内緒話にしては大きな声で、心なしか弾んでいる。それに分かりやすく、語尾にいくつものハートが見えてしまう感じだ。いつの間に仲良くなったのか、常連客になぜか恋愛話をしてる。それにしても、やつは仕事は行かなくていいのだろうか?

「絶対ですね。めっちゃ可愛かったんですよ。いやもうね、ほんとね悶絶もので」

バカバカしいとわらえないのは、自分のことなのだろうと思うからだ。冷静に聞いているとあり得ないくらい、ぞわっとする単語を並べ立てている。

「耳まで赤くして固まっちゃって、もうね胸を鷲掴みされた気分。きゅん死にしそう」

塾講師のくせに、なんちゅう言葉使いしてんだ。お前は。だんだん腹がたってきた。いい加減にしろっていってやりたい。

「ここどけの話、絶対たっ」

聞いているこっちが、むず痒いような恥ずかしいような、とにかく耐えられなくなってわざと音が大きく鳴るようにしばいた。

「うるせーな。ちったぁ静かにしろ。ったく」

「圭さん、終わった?今日はもう、講義お休みだから何か手伝うよ?それとも」

さっきまでノロケ話とも、とれる話を一方的に聞かされた常連客の姿はもうない。テーブルに代金をおいてさっさと出ていったらしい。外が雨だからか店内には、久しぶりに閑古鳥がないている。いつものこの時間には珍しく、客の姿はみえない。

「営業妨害すんなよ。客かえしてどうすんだよ」

「えーっ。ていうかね。ひどくない?俺もお客様です」

「っち」

違うだろ、そう言いかけてハッとする。そんな言葉ひとつに、動揺している自分がいるのが、信じられなかった。まさか、客以外の可能性があるとでも?いや、違う。きっと言葉のあやだ。息苦しくなるような、妙に騒々しい心臓の音だけが騒がしくてイラつく。

「あ、ちょうかなしい?」

あ?何が悲しいんだ?自分の気持ちも相手の真意もはかりかねてしまって、余計に焦ってしまうのかもしれないし、理解したくない気持ちがつよくなっていく。ついていけなくなった脳は意味不明すぎて、頭のなかがクエッションマークでいっぱいになる。なんなんだ、一体バカにしてるのか?

「お客様だなんて、他人行儀な言葉で傷つけちゃいました?悪気はないんですよ?可愛いな圭さん。大丈夫言葉遊びの延長線です」

クスリといたずらっ子のように笑う。ヤられた。相手はこちらの反応をただ楽しんでいるだけだ。イライラが、こみ上げてくるが、ここで相手をしたら負けだ。何より、ネチネチ人の揚げ足をとる態度が気に入らない。関心が自分の胸のうちに向いているすきに口に出すより先にカラダが勝手に動く。余裕ぶっていた顔の横を勢いよく壁に押し付け、思いっきり壁を叩いてしまう。まるで、自分のイライラが形になったかのような、派手な音がなる。

「だったら、なんなんだ。あぁ、カラダがほしいなら今からでもどうぞ?」

なげやりにもほどがある。わざと嫌みな言い方をして、気まずいその雰囲気を壊そうとその場から、そっと離れてみる。表の札を変える頃には、いつもと変わらない空気に戻っている予定だった。お互い相手の行動や求めているものをなんとなく把握して、合わせてきたハズだから。けれど、じれったく思ってしまうほど、焦らしてしまったのだろうか。いつものひょうひょうとした顔とも、さっきまでのおどけた顔とは違う、驚くほど静かに冷めた目でため息をつく。一気に周りの温度が、ガクンっと下がった気がした。

「じゃ、1回」

いい言葉は思い付きませんが。

どこか、いつもとは違う口調が、苦しい。今度はひどく悲しい声が静かに誰もいないフロアに響いた。乾いた音に聞こえる入り口の呼び鈴がやけに物悲しい。彼が答えた1回は、これで終わりになるんじゃないかと思うような、静かな静かな夜となった。ただただ、吐息だけがむなしくあっけなく響く。こんな行為で暴力のような、心を引き裂かれるような思いをしたのは初めてだった。遊びじゃない恋愛が、こんなに辛いだなんてあの頃以来だ。いや、少なくてもお互いに傷つけ合うようなこんなことなんてしなかった。カラダがカサカサになるようなことはなかった。これで本当に、終わってしまったのかもしれない。なにも言わずに離れる後ろ姿をぼんやりと眺めているしかなかった。

「そういえばまだ、名前すら呼んでなかったな」

いつの間にか振りだした雨が、ただ静かに降り注いでいた。

つづく
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