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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第8話

 留吉老人は寿美花に優しく話しかける。
「……この悠寿美苑は人間関係はとても良好で良い空気があると思っておる。ぢゃから最大の問題は、腰痛とそこから引き起こされる人員不足ぢゃな。人員が不足すれば、一人当たりの負担が増えて、さらに体を壊す職員が出て、さらなる人手不足が起こる。負の連鎖ぢゃな」
「そんなのわかってますっ!」
 顔を上げて、寿美花は悲鳴のような声を上げて留吉老人を怒鳴りつけてしまった。すぐにそれに気づいて恥じて、謝った。
「ごめんなさい……心配して下さっているのに……」
「いやいや……わしなんぞ他人事のように話しておるしの。腹が立つのもわかるさ……。まだ高校生の寿美花ちゃんが、たったひとりの肉親である母親とその仕事を気にして、不安がるのも当然ぢゃ」
「……そう言って下さると助かります……。――あの、わたし、もう行きますね? 要さんにも一応声をかけましたし」
「おう。……ぢゃが、どこへぢゃ?」
「駅の近くのドラッグストアがクリスマスセールでおむつの特売をしているんです。それを買ってこなくちゃ」
 無理して、寿美花は元気よく笑顔を浮かべた。ベテランの要が抜けた以上、ますます手伝えるところは手伝う必要が出てきた。多くの老人たちから必要とされているのだ。嘆いている暇はない。
「クリスマスなのに、おむつの特売か……。すまんのう、寿美花ちゃん」
「いいえ。祖父母のいないわたしにとって、ここにいるおじいちゃんとおばあちゃんは本当のおじいちゃんやおばあちゃんみたいなものなんです。それに、ここはわたしにとっても家みたいなものだから……だから――それじゃあ、行ってきます!」

 要が抜けたことで本格的に忙しくなった悠寿美苑を手伝うため、ジャージに着替えた寿美花は、ドラッグストアのレジに並んでいた。持っているふたつの買い物かごには、クリスマスセールで安くなった大量のおむつが入っている。
 レジにはふてくされたような顔をした男性店員がひとりいるだけで、客はまばらなのに数人の順番待ちがいた。
 ――最大の問題は、腰痛とそこから引き起こされる人員不足ぢゃな。
 留吉老人の言葉が脳裏に浮かんだ。
 あの時、珍しく苛立って言い返してしまったのは、寿美花自身、百も承知していることだったからだ。介護職員の腰痛などが原因で起こる慢性的な人員不足を解決しない限り、悠寿美苑に未来はないのだ。
 やっと自分の番が回ってきたので、寿美花はふたつの買い物かごをレジ台に載せた。
 置いた瞬間、どさどさと、かごの中に山のように積んであったおむつが崩れる音がした。
 眠そうな目で面倒臭そうに働いていた若い男性店員は、その音に、目を覚ましたように瞳を見開き、いきなりレジに山のように積まれたおむつに目を白黒した。
 そして、それを置いたのが、女子高生くらいの女だと気づき、じろじろと彼女の顔を眺めた。
 ぶしつけな視線に、寿美花は居心地の悪い気分を味わった。
「クリスマスなのに大変そうすね」
 男性店員は、クリスマスにこうしてバイトしていることが憤懣やるかたないといった感じで、おむつの数を乱暴に数えている。
 彼がおむつを無造作に取りだしたので、ひとつがこちら側に転がり落ちてきた。
 仕方なく、寿美花は、床に落ちたそれをしゃがんで拾うことにした。
「お祖父ちゃんかお祖母ちゃんの介護すか? ……にしても多いすね」
 見下ろしてくる店員の視線と、しゃがんでおむつを拾っていた寿美花の目が合う。何がおかしいのかへらへらと薄笑いを浮かべている店員は、落としたおむつを拾ってもらったのに謝罪も感謝もしない。
「老人ホームで使う物です」
 これ以上このぶしつけな店員と話したくなかったので、会話を打ち切るように強い口調で答えた。ドンと、軽く音をさせてレジ台に拾ったおむつを載せた。
 店員は鼻白んだらしく、それ以上話しかけてくることはなかったが、相変わらずだらだらとした仕事ぶりで時間がかかった。
 このおむつは、特別養護老人ホーム悠寿美苑に住む利用者達の分だ。
 特養は、介護保険からの給付によって、利用費の一割を自己負担するだけで済む。だからといって、すべてに介護保険が適用されるわけではない。おむつ代も日用品費もすべて各自が自己負担する必要がある。みんなの節約のため、寿美花は特売時に買い込むようにしていた。

 寿美花は、大量のおむつでパンパンになった四つのレジ袋を提げて、ドラッグストアを出た。店員の対応が悪くて嫌な気分になったためか、荷物がいつも以上に重く感じられる。さいわいジャージ姿なので動きやすい。
「あれって寿美花じゃん?」
 しばらく歩いたところで、背後から自分を名を呼ぶ、不快なほど甲高い少女の声がした。
 振り返ると、着飾った男女二人ずつの同級生のグループと目が合った。
「ねぇねぇ寿美花ぁ今からクリスマスパーティーがあるんだけど来るぅ?」
 ねばつくような声でそう言った少女の視線は、声と同じくらい粘着質で、寿美花のジャージ姿やおむつの入ったレジ袋などに注がれている。口元に薄ら笑いを浮かべて、隣にいる少女と目配せした。
 寿美花は嫌な予感がした。
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