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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第6話

 袴姿の男女に混じったひとりだけスーツ姿の謎の女は、何か場違いなように浮いていたが、本人はそういったことに頓着しない性格らしい。
「玄関で呼んでも誰も来ないから、しばらく土地を見学させてもらったわ」
 見知らぬ女はそう告げた。アビゲイルが警戒している理由がわかった。この女が敷地を歩き回っているところを見つけたのだろう。
 母屋の玄関と道場は離れているし、しかも、ついさっきまで口論をしていたので、玄関で呼んで聞こえなかったとしても無理はない。そう直次は思ったし、母も思った様子だったが、気になる台詞もあった。
「土地を見学……ですか?」
 母が訊ねると、おそらく二十代後半の女は腕を組んだまま頷いた。
「ええ、土地よ」
 女は初めて腕をほどき、バッグから名刺を取りだした。母は名刺を受け取り、読み上げた。
「大具(おおぐ)池(ち)不動産……好地山涼子(りょうこ)さん、ですか……」
 直次もその名刺を覗きこんだが、そのどちらの名前にも聞き覚えはない。母の様子から、彼女も初対面だとわかる。
「ずばり言うわ。この道場、いま経営に相当困ってるわね?」
 好地山涼子の決めつけるような口調に、直次は少し腹が立った。だが、事実だ。母は相変わらず表情が変わらない。母が沈黙していると、好地山涼子が続けた。
「あなた方にいい話を持って来たの。とってもいい話よ」
 好地山涼子はまた腕を組み、恩着せがましい口調でそう言って、ふいに直次を見た。
「……ところで、あなた、直一さん? この家の長男の……」
 いきなり話を振られて直次は驚いたが、すぐに答えた。
「いや、俺は直次。直一は兄だ」
「ああ、弟のほう……。家を継ぐ長男じゃないなら用はないわ」
 それで完全に直次に興味を失ったらしく、母のほうだけを向いて話しだした。
「ここに老人ホームを建てたいの……それもゴージャスな住宅型有料老人ホーム」
 ゴージャスという言葉に、初めて好地山涼子の強い感情らしいものが感じられた。彼女にとって「ゴージャス」であることは非常に価値が高いらしい。アビゲイル・ウォーターズのような妙なイントネーションがあるほどだ。
「住宅型有料老人ホームというのは、有料老人ホームの種類のうちの一つよ。うちが建てようとしているゴージャスな住宅型有料老人ホームは、ゴージャスな高級マンションのような外観と内装をしたものを計画しているの」
「老人ホームってよっぽど儲かるらしいな……」
 直次は思わず口を挟んだ。わざわざ忙しい年末にこうして人を寄越してまで土地探しをしているのだから相当の儲けがあるのだろう。ちょうどそのことを話したかったらしく、好地山涼子は直次の質問に答えた。
「ええ、そのとおりよ。それで、老人ホームが儲かる理由だけど――」
「お話は結構です。お引き取り下さい」
 好地山涼子の台詞を遮って、母が説明を断った。そして、古武術道場の師範としての厳しい目を彼女に向けて、はっきりと言った。
「この道場の土地を売るつもりはありません」
 母は、不動産屋の好地山涼子の名刺を突き返した。それにひるんだ様子も見せずに、好地山涼子は腕組みしたまま嫌みな口調で言った。
「少し調べさせてもらったけど、古武術道場の運営が苦しいんじゃないの? どうせ今日も資金繰りのために親戚を回っていたんでしょ?」
 ぐっと母が詰まったのを見て、好地山涼子は突き返された名刺を母のほうへ押し戻した。
「だいたい今時、古武術なんて流行らないのよ。時代の流れに逆らったら負けね。ゴージャスに生きたいなら時代の流れに乗らないと! この土地は有料老人ホームにしたほうが儲かるわ」
「この道場を手放すつもりはありません。お引き取り下さい」
「本当に?」
「ええ」
 母と好地山涼子は睨み合った。
 直次はこの話し合いがもうすぐ終わるのを感じた。だからといって、また道場に戻って稽古に打ち込むなんてのはまっぴらだ。
 玄関の三和土に下りて、素足に一本歯の高下駄を履いた。
「直次、道場でウォーターズと稽古をしていなさい。直一だって世界武者修行の旅で頑張ってるのだから」
 母が背中にそう声をかけてきた。
「Oh! ノリツグ! シハンダイのようにベリーストロングをめざすだってばよ!」
 アビゲイル・ウォーターズの声も聞こえたが、直次は逃げるように玄関を飛びだした。
「ランニングをしてくるっ」

 冬の寒々とした河原には人気はなかった。直次はランニングもせず、とぼとぼと水たまりを避けながら歩いていた。
 脳裏に、好地山涼子の「ああ、弟のほう……。家を継ぐ長男じゃないなら用はないわ」と興味を失ったような声や、母の「直一だって世界武者修行の旅で頑張ってるのだから」という声や、アビゲイルの「シハンダイのようにベリーストロングをめざすだってばよ!」という声が蘇ってきた。
「どうせ兄貴がいるんだ」
 そう口に出して、落ちていた小石を拾って、河原で水切りをした。子供の頃に兄としたのを思い出した。兄はこの幅のある河原の半ばまで飛ばせた。……自分は四分の一くらいで沈んでしまう。
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