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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第3話

 そんな母、西園寺初依(うい)は、唯一趣味で嗜んでいたお菓子作りだけが得意だった。そんなこともあって、クリスマスケーキを作る彼女の張り切りようは大変なものだ。
「あら、寿美花。飾りつけは終わったの?」
 見守っていた寿美花に気づいて、母は訊ねた。
「ええ、食堂の飾りつけはだいたい終わったわ、ママ。あとは後片付けくらい。こっちは手伝うことない?」
「大丈夫よ、これだけは、ママ、得意なんだから」
 自慢げにボールに入れたクリームをかき混ぜながら、こちらを振り返る。その鼻の頭にクリームがついてしまっている。その子供のような様子を見て、寿美花の肩に入っていた力が抜けた。
 父が亡く、母子家庭で育った寿美花にとって、この母は大きな心の支えだった。
 しっかり者の娘と、どこか抜けている天然のお嬢さま育ちの母。意外と息のあった良いコンビだった。
「みんなに元気を出してもらわなくっちゃね」
 母が、また調理台のほうを向いた瞬間、そうつぶやくのが聞こえた。
 この無邪気な、まだどこか花も恥じらう乙女のような性格をしている彼女でさえ、この老人ホームを襲っている人手不足と激務の波は厳しいらしい。
 母の言う「みんな」とは老人ホームの利用者だけではなく、日頃の仕事で疲れている職員たちも含めてだろうとわかった。
「そうだわ、寿美花……好地山(こうち)山(やま)さんの様子を見てきてくれるかしら? あの方、ギャラリーがいると喜ぶから」
 好地山さんとは男性入居者の好地山留(とめ)吉(きち)のことで、元手品師という一風変わった経歴を持っている。今回のクリスマス会では手品を披露して下さるとのことだった。
 留吉老人の居室を訪れると、声をかけた。
「留吉おじいちゃん、こんにちはっ」
「おう、こんにちは、寿美花ちゃん」
 高齢者とは思えない元気な声で迎えてくれたのが、留吉老人だ。しゃれた空色の上着を着こみ、半白の髪をきれいに後ろへなでつけた伊達男風の老人が、車椅子に座ってこちらに微笑んでいる。
 留吉老人の居室は二人部屋で、出入口のドアから見ると、部屋の作りは左右対称に見える。転落防止の柵が一部分についたベッドが部屋の両脇にあり、木製のタンスと机と椅子がそのそばにある。ドアの正面には洗面所があった。
 洗面所やドアなどの共用する物が、部屋のちょうど中央にあり、どちらのベッドからも同じ距離にあるのは偶然ではなく、四六時中共同生活を送ると些細なことでも喧嘩の種になるため厳格に定めたのである。当然、部屋の面積もまったく同じだった。
「あっ、伊藤さんも、こちらにいらっしゃったんですね。こんにちは」
 眼鏡をかけた伊藤老人は無言で頷いた。彼はこの部屋の入居者ではないが、どうやら手品の手伝いをするつもりらしい。
 ふたりとも車椅子に座っている。
 伊藤老人の前にはパソコンがあった。無口なこの老人はいわゆる「パソコンオタク」だった。
「フッフッフッ、寿美花ちゃんは、クリスマス会が待ちきれずにわしの手品を見に来たんぢゃな?」
 留吉老人が嬉しそうに言った。
「いいえ、違いますよ」
 明るく笑って快活に答えると、留吉老人はずっこけるような仕草をした。コミカルで元気なおじいちゃんだ。
「せっかくだし、見せてやろうかの。ほれ、伊藤さん」
 呼ばれた伊藤老人は、億劫そうにパソコンのマウスを操作した。スピーカーから音楽が流れる。
 そのアップテンポな曲に合わせて、留吉老人はシルクハットから造花の花束などを取り出すというお馴染みの手品を披露していった。
「わぁ! 凄いですね!」
「……うむうむ。やはり若いギャラリーがおると気合いが入るのう」
「そういうことあまり言っちゃダメですよ? 留吉おじいちゃん……だいたいこの間も手品を使って、佐藤おばあちゃんをナンパしてたそうじゃないですか」
 佐藤おばあちゃんは、色白で小柄で髪もきれいにまっ白に染まっていて、可愛らしいおばあちゃんだ。「ありがとうございます」といつも言っていて、性格も良いため評判になっている。この老人ホームの「マドンナ」といっていい。
「恋多き男ぢゃからな、わしは。ホオッホッホッ」
 留吉老人は笑って答えた。
「それじゃ、わたしはもう行きますね。クリスマス会の舞台、頑張って下さい。楽しみにしています」
「うむ。任せておきなさい」
 居室を出てしばらく歩くと、若い職員が要を呼ぶ声が聞こえた。
「すみませーん、要さん、こっち手伝ってもらえますかー?」
「はいよー! 今行くわー!」
 要の元気な返事がした。
 寿美花はその元気のよさにちょっと微笑んだが、すぐに深刻な表情を浮かべた。普段ならここまで他人にヘルプをお願いするようなことはない。もちろんクリスマス会の準備のためもあるが、何よりも悠寿美苑が慢性的な人手不足に陥っているためだった。
 そもそも、いくら施設長の娘とはいえ、職員でもないのに朝からずっとクリスマス会の飾りつけを、寿美花が手伝っていることからもそれは明白だった。
「アイタタタ――ッ!」
 少し離れた場所で、いきなり悲鳴が上がった。
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