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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第2話

 寿美花は、彼女と一緒に重たいツリーを運び始めた。腰を曲げる姿勢に思ったより負担がかかり、「あら?」と思った。みんな忙しそうだったから、ひとりにしか声をかけなかったけど、もうひとり声をかけたほうが良かったかもしれない。もしくは力のある男性介護職員に頼むか……。
 多少引きずるようにして、クリスマスツリーを出入口から引き離し、ほっと一息ついて、寿美花は腰に手を当てて、ぐっと伸びをした。
 体が緊張していたのは彼女も同じだったらしく、まったく同時に伸びをして、ふたり一緒になって小さく笑った。
「寿美花さーん、去年使ったクリスマスリースってどこだっけー?」
 ふいに扉を飾りつけていた介護職員から声をかけられた。寿美花はすぐさま答えた。
「あっ、それはあちらの段ボール箱にあります」
「ありがとう。それと、クリスマスリースはここと向こうの扉につけるのでいいのよね?」
「そうです。去年はそうしていました」
 てきぱきと、寿美花は介護職員たちに指示を出した。
「……そろそろ飾りつけも一段落し始めたみたいですね。終わったところから片付けをしましょうか?」
「そうですね」
 新人の介護職員は寿美花に頷く。
 この施設には、およそ五十名の入居者がいて、基本的にそのほとんどが車椅子だ。
 クリスマス会では、たいていの利用者の場合、車椅子がそのまま観客席になり、食事の際の椅子にもなる。車椅子での観劇が困難なため、ベッドを運ばれて、そのベッドでクリスマス会に参加する者も一名いる。
 当然だが、小さな前輪のキャスタと大きな後輪の駆動輪で動く車椅子の移動には、床に物が置いてあったり、ゴミが落ちていたりしてはいけない。なので、後片付けと掃除は非常に大事だった。
 ちなみに、飾りつけが天井や壁や窓ばかりなのも車椅子中心だからだ。クリスマスツリー以外は、車椅子の通行の邪魔にならないように脇にどけられている。
 ゴミ袋を持ってきた寿美花はしゃがみ、ゴミを拾い、ゴミ袋に分けて入れていく。クリスマス会への参加は制服の予定だったから、そのままの格好でこうして準備に参加したが、失敗だったかもしれない。制服が汚れなければいいけど。そんなふうに心配しながらも、手を休めず、掃除していく。
「ハイドウ! トナカイ!」
 陽気な掛け声に振り向くと、トナカイの着ぐるみにおんぶされた、サンタクロースの衣装を着た男性介護職員が、食堂に入ってくるところだった。トナカイの着ぐるみの中にいるのも男性介護職員だ。この衣装で、彼らはクリスマス会の劇に参加する予定だった。
 トナカイはちょっとふらつきながらも、横柄なサンタを背負って健気に歩いている。
「遊んでないで手伝って下さいよっ。もうっ!」
 苦笑しながら寿美花がそう言うと、他の女性介護職員たちも同じように苦笑いしながら口々に仕事しろコールを始めた。サンタはおおげさに慌てて手を左右に振る。
「いやいや! これは遊んでるんじゃなくて、舞台稽古だよっ」
「なぁに、しょうもないこと言ってんのよっ。ただおんぶして歩くだけなんだから、稽古も何もないでしょうが! ほらほら、ちゃっちゃっと仕事する! ちゃっちゃっと!」
 ベテランの介護職員の要が、いいタイミングでツッコミする。
 みんながどっと笑った。作業の手を止めてまで声を出したり、口を大きく開けたりして笑っている。無理して元気を出している感じだった。
 このおちゃらけたような一幕も、普段ならしないような行動だったかもしれない。
(……日頃の忙しさを忘れようと……無理して笑ってるみたい……)
 寿美花は強くそう感じた。
 ちょっといたたまれなくなって、食堂を出て、寿美花の母である施設長自らが、クリスマスケーキを作っている厨房に行くことにした。
 数十人分の食事を一日三食作るため、広めの作りになっている本格的なステンレス製の厨房。大きな業務用シンクのすぐそばにある調理台で、母がクリスマスケーキを一生懸命こしらえていた。
 他にも、厨房主任を始め栄養士や調理員数名もいる。普段はこんなふうに勢揃いしないのだが今日は特別だ。クリスマス会のメニューは凝った作りで品数も多い。しかも、クリスマス会には入居者の家族も招待しているので、単純に考えていつもの倍は忙しい。クリスマスケーキ作りのほうは母が一任されているようだった。
 邪魔しないように、寿美花はそっと母のそばに近づいた。
 お嬢さま育ちの母は、ひらひらした縦フリルの花柄のエプロンを揺らしながら、一心不乱に手を動かしている。娘の寿美花の目から見ても「なぜこんな人が老人ホームの施設長を……」と思うほどに経営だの管理だのに向かない、いわゆる「天然」な性格をしていた。
 老人ホームは童心に返った天使のような老人たちの住む理想郷ではない。木漏れ日の差す芝生の上を可愛らしいエプロンをつけた女性がゆったりと車椅子を押しながら、好々爺然とした老人とのんびりと談笑してばかりもいられない。
 彼女は亡き夫の仕事と遺志を引き継いだのだが、まったくの不慣れだった。十代で駆け落ち同然で結婚して子供をもうけ、三十代半ばまで来たが、バイトの経験さえろくにないのだ。
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