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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第38話

 自分はひとりだと思っていた。もうどこにも居場所はないのだ、と。けれど、それは違うのかもしれない。そう自然に思えた。
「俺さ、実は、悠寿美苑に行かずに引き返そうとしてたんだ」
「やっぱり、そうだったんだ……。急いで来て正解だったわね」
 寿美花は直次に微笑んだ。彼女は傘を直次のほうに傾け、ふたりで一本の傘を使っていた。
「あのね、直次くん……ごめんね。……わたし、言い過ぎたわ。ずっと後悔してた」
「いや。俺のほうこそ悪かった。……どう考えてもあれは八つ当たりだったと思う」
「八つ当たりだって言うなら、わたしだってそうよ。だから、もう気にしないで? ね?」
「ありがとう」
「うん。……あのね、……わたしも、ありがとう。わざわざ会いに来てくれて」
 しばらく悠寿美苑に向かって無言で歩いた。ぽつりと、直次は言った。
「兄貴が帰ってきた」
 寿美花は、顔を強張らせた。直次にとって、師範代である兄の日向直一が、どういう存在なのか、なんとなくわかってきていた。
「だから、もう道場には居場所がないんだ」
 いきなり直次の膝から力が抜けて、両足を濡れた路面につけた。両手を水たまりに打ちつけ、直次は泣き崩れた。
「俺はついに不要になってしまったんだっ!」
 そっと直次の頭上に傘を差して、自らはずぶ濡れになっていた少女は、囁くように優しく提案した。
「ね? だったらさ……うちでボランティアしてみない?」
「え?」
 直次は顔を上げた。
「今は人手不足で猫の手も借りたいほどなの。泊まる場所は直次くんさえ良ければ、うちに泊まればいいよ。悠寿美苑の近くに家があるから。私と母の二人暮らしで部屋も余ってるし」
「……いいのか?」
「うん。直次くんは誰からも必要とされてないなんてことはないよ。少なくとも、私が、悠寿美苑が必要としているから」

 目が覚めると、見慣れない天井が見えた。いつもの古びた和室の天井ではなく、洋室のさっぱりした白い天井だ。どこを探しても人の顔のように見える不気味な木目はない。
 慣れないベッドだったが、ぐっすりと眠れた。ベッドから両足をフローリングに下ろすと不思議な気分になる。いつもなら寝床から起きれば、そこは畳だ。そして、布団を畳んで押し入れへ。それがいつもの朝のパターンだったが、ベッドなので必要ない。
 ちょっとだぼだぼの男物のパジャマの袖を伸ばしてみたりする。亡くなった寿美花の父のものを借りた。急に泊まることになったし、男物は寿美花の父のものしかなかったのだ。
 分厚いカーテンを開けると、陽射しが一気に室内に射しこんだ。思わず目を細めて、直次は手をかざす。
「晴れだ」
 見たままを呟いた。
 あの有史以来降り続き永遠に止まないようにさえ思えていた、絶望の象徴のような雨がすっかりと上がっていた。朝の陽射しによって、きらきらと輝いて見える。この快晴だと、おそらく昼過ぎにはほとんど雨が降った痕跡など消え去ることだろう。
 ちょっと拍子抜けしつつも、洗面所を借りに行くため、ドアまで歩き、ドアノブを掴んだ。
 ふいに昨日のことが思い出された。寿美花は結局直次を悠寿美苑ではなく、近くにある自宅へと連れて帰った。お風呂を沸かし、シャワーを浴びるように言って、彼女の父のものであるパジャマを用意してくれた。彼女の母の姿が見えないので訊ねると、倒れたので家で寝ているという。病院へ行ったが原因は過労だと言われたそうだ。明日の朝には起きてくるだろうから、その時挨拶をすればいいと言われた。もう直次がしばらく家に泊まって悠寿美苑のボランティアに励むという話は母に通してくれていた。二つ返事でオーケーだったそうだ。
 直次は、ドアノブを掴んだまま、ぼりぼりと頭をかいた。そして、気がついたように、寝癖をむりやり手櫛で整えた。もちろん気休め程度でしかなかったが。
 昨日は自分の気持ちでいっぱいいっぱいでまったく気づかなかったが、これってかなり気恥ずかしい状況なんじゃないか。女の家に泊まったというのも初めてだし。直次は稽古衣姿でトレーニングしている姿を見られて、女子たちに敬遠されていて、ろくに女友達さえいなかった。
 結局、意を決してドアを開けた。
 と、同時に、隣の部屋のドアが開いた。
 まさか顔を洗う前の目やにのついた状態のまま、出会うとは予想していなかった。
 開いたドアが閉じられ、現れたのは寿美花ではなく、彼女の母だった。可愛らしい花柄のパジャマを着ている。
 寿美花の父の部屋を借りたのだが、隣が西園寺初依の部屋だったらしい。
「あら、日向さん、おはようございます。よく眠れたかしら?」
 気負ったふうもなく訊ねられた。西園寺家で会ったの初めてのはずだが、まったく彼女は戸惑っていない。おっとりと微笑んでいる。
「は……はい。ありがとうございました」
 直次は頭を下げる。どういうふうにしていいのかわからなかった。
 続いて、寿美花の声が聞こえた。
「直次くん、おはよう!」
 元気のいい挨拶に顔を向けると、セーラー服姿の寿美花が立っていた。彼女のほうはもうすでに起きて着替え終えていた。
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