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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第27話

「……本当に、介護についてもっとよく知りたいから、施設長を食事に誘ったりしたと思ってるんですか?」
 事務長の言葉に施設長は頷いた。
「ええ……」
 寿美花は、あの新人たちに対する疑問をぶつけるわけにはいかなくなって、戸口に立ち尽くしていた。
 想像以上に、邪な目的で入ってきたらしい。あんなふうなチラシを作って集めた人員なのだから、自業自得といえばそれまでだったが。
 何にしても、ここで疑問を口にするのは避けなくてはならない。事務長の雷が、母に落ちることになる。そもそも理事長と事務長に挟まれた、中間管理職ともいえる母は肩身の狭い思いをしているのだ。
「でも、きっと大丈夫ですわ」
 母がおっとりと笑みを浮かべる。その顔には「おや?」と寿美花が思うほど自信がうかがわれた。
 それに事務長も気づいたらしい。
「どういうことですか?」
「うちに、連絡しましたの。本当に久しぶりでしたけど」
 彼女が言った「うち」とは、実家のことだとすぐにわかった。しかし、勘当されて音信不通になっていたようなものだし、まさかあの母が実家に電話したとは予想外だった。
「『あの西園寺家』にですか?」
 西園寺初依の実家は、『あの西園寺家』と呼ばれる程度には、地元では有名な家柄だった。お金持ちであるというだけでなく、その家格も素晴らしい。だからこそ、西園寺初依が駆け落ち同然に家を出て、西園寺寿美花を産んだことが大問題となったのだ。
 正直、一度も見たことがない祖父母がそれほど寛容な人間なのだろうか? と内心、寿美花は疑った。なにせ駆け落ちした後、ろくに連絡もしてこなかったし、孫である寿美花に接触を持たなかったのだ。
 そんな事情をよく知らない事務長は、普通に喜んでいる。
「なるほど! その手がありましたね。……あの西園寺家なら、金もつてもありますし、なんとかできるでしょう」
「ええ。うちに長年仕えている使用人にきちんと言伝を頼みましたの。こちらの事情もよく説明しましたし、きっと何とかしてくれますわ」
 ふたりが明るい顔になって話をしている最中に、電話が鳴った。
 事務長は何気なく受話器を取り、
「えっ。西園寺……様? はい……今すぐ代わります」
 受話器を押さえて、
「施設長……、ご実家からお電話です」
「はいはい」
 明るい笑顔を浮かべて、彼女は受話器を取った。
「……あら、どうでしたか? えっ……そうですか……でも……! で、ですから! ……きちんとお話したじゃないですか? それでお父さまだけでなく、お母さまも? ……反対……。……ええ……はい……わかってます。自らが招いたことでしもの……。いいえ! あの人は悪くありません! 亡くなった方を悪く言わないで下さい! ……わかりました。もう二度とこのような電話は致しません。失礼致します」
 電話を終える頃には、西園寺初依の顔からは血の気が引けていた。
 どう考えても先ほどの電話はいい知らせではなかったようだ。
 それでも、事務長は藁にもすがる思いだったのだろう。
「ど、どうでしたか? 西園寺家は、なんとおっしゃっていたのですか?」
「きちんと爺やは説明してくれたそうですわ。しかし……」
 すべてを語る必要もないくらい、落胆した表情をして、西園寺初依はうつむいてしまった。
「そ……そうですか……」
 がっくり来たらしく、事務長は椅子に座った。
 施設長もふらついて、机に手をついて自分の体を支えなくてはならない有様だった。
 寿美花は、結局、誰にも相談できず、事務室を後にした。

 新人五名が入ってきっちり三日後。三日坊主とはよく言ったもので、全員が退職を願い出てきた。
 その話を聞いているのは、施設長と事務長。
 その様子を、寿美花は物陰から見ていた。
 新人の様子は酷い有り様だ。腰を押さえている者三名、もう立つのもきついと椅子に座っている者一名、椅子に座るのも無理だと言ってソファーに横になって濡れタオルを額にのせている者一名。
 本当に体をそこまで痛めているのかどうかは判然としないが、だらりとした空気を五人共が醸しだしている。とてもではないが、デリケートな老人介護の仕事を行うのには不適切だ。
 本当にそんなにたった三日間で体を壊したのだろうか? と寿美花は思ったが、こっそり見ているだけの彼女には訊くことはできない。実際に、施設長のいる前ではいいところを見せようと張り切って、無理な荷物運びなどをやった者もいるので、あながちないとは言い切れない。
 事務長も、無理矢理引き止めてどうにかなるような様子ではないと、肌で感じとったらしい。元々やる気がなく、評判も悪かったのに、このような様子で無理矢理仕事に就かせたら、どのような大失敗をやらかすかわかったものではない。
 これが製造業なら物が壊れるで済むが、万が一、不注意で老人を倒してしまったりしたら、怪我をしたり、場合によっては命に関わることだってある。
「介護職員初任者研修はどうするの? 目指すって言ってたじゃない。頑張ればきっと取れるから」
 事務長が取りなすように、新人のうちのひとりに目を留めた。
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