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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第26話

 新人が一気に五人も入ったので、にわかに悠寿美苑が騒がしくなった。
 ただし、その騒がしさは活気があるとは、また違った妙な空気を出していた。
 寿美花は、簡単な仕事を新人から取るといけないので、ボランティアを控えていた。とはいえ、彼女が来ることを心待ちにしている留吉老人などの利用者もいるので、そういう人に会いには来ていた。
 そんなある日、休憩室でたまたま彼ら五人が揃って話をしているのを見かけた。聞き耳を立てるつもりはなかったのだが、どうしても気になって、ついつい立ち止まって耳を澄ましてしまった。
「俺、介護職員初任者研修を取得するわ」
「何それ?」
「格好良さそうだろ?」
「介護職員初任者研修ってヘルパー2級のことじゃん。名前が変わっただけで、中身はたいして変わってないらしいぜ? ヘルパー2級はダチも持ってるけど、パッとしない感じだったなぁ……」
「パッとしないって言えばさ、ジジイやババアの排泄の世話ばっかで、ほんと、嫌になるよな?」
「なるなる。……それに夜中に奇声を発したり、徘徊したりするしよー。夜勤ってだけで眠いし、疲れるのに、たまんねーぜ」
「つーか、いつやめる?」
「おいおいまだ入ったばっかじゃん」
「でも、想像以上に、初依も寿美花もガード固いしなー」
「おいおい、施設長を下の名前で呼び捨てかよ」
 そこで笑い声が起きた。
「……そろそろ止めようかな」
「だな……」
 寿美花は、じっとしばらくそのまま聞き耳を立てていたが、その意見を否定する言葉は聞こえなかった。そのまま彼らは解散して、仕事に戻っていった。
 大丈夫なのだろうか? という不安がよぎる。交流のある利用者たちの話を聞くと、入ってきた新人五人ともに、あまりいい噂を聞かない。虐待とまではいかないが、頼み事をしたら酷く嫌そうな顔をされたとか、乱暴に扱われて肌をすりむいただとか、そういう意見をちらほら耳にした。
 忙しい業務の中、ケアレスミスが発生することは、人である以上、仕方がないといえる。そのために、互いにサポートし合ったり、注意や確認を怠らないように努力しているのだ。
 問題は、まだ働きはじめてすぐなのに、五人が五人ともそういう噂が流れているということだった。
 寿美花は、誰かに軽くでいいから相談したくなって、事務室のほうへと歩いていった。内容が内容だけに、留吉老人などには話しづらい。
 事務室に行くと、寿美花の母である施設長が、何やら神妙な顔で、「はい……はい……」と何度もうなずいているのが見えた。
 一種、異様な空気が漂っているのは、その隣に立つ事務長の鋭い目が、その受話器を睨んでいることだ。まるでその受話器の向こうにいる誰かを睨みつけているかのような顔だった。
「はい……わかっております。……失礼致します」
 丁寧に、施設長は電話を切った。彼女は、受話器を置くと、小さくため息を吐いた。
 そのため息が終わるか終わらないうちに、急き込むように、事務長が訊ねた。
「どうでした? 理事長はなんとおっしゃってましたか?」
 口ごもって、施設長は戸惑ったような顔をした。おそらく悪い知らせだったのだろう。だが、こういう時、お嬢さま育ちの彼女は、嘘がつけないし、婉曲な表現というのも苦手だった。自分の母のことなので、よくそういうところを寿美花は知っている。
 そして、聞かれたことにすぐに答えないということがよっぽどのことであることも。
「……その……今回も……『前向きに検討します』ということでした」
「『前向きに検討する』ですって!」
 目の前で怒鳴り声を上げる事務長を見て、まるで自分が叱咤されたかのように、びくりと西園寺初依は震えた。
 怖々といった様子で、事務長の顔をうかがう。言うまでもないとだが、施設長は、施設の長。つまり、事務長よりも地位は上だ。だからといって、強く出られるような母ではない。
「前回中堅の介護職員が抜けた時も『前向きに検討する』でしたよね? こちらの事情をよく説明したんですか?」
「えっと……はい、しましたわ。きちんと」
 おっとりと答える。別に事務長を馬鹿にしているわけではないのだが、怒ってせっかちになっている人の神経をつい逆撫でしてしまうところがあった。
「『前向きに検討します』、『前向きに検討します』……っていつまで検討してるのよ! 全然対応してくれないじゃないですか!」
「……はい」
 力なく施設長はうなずく。
「あのですね、事務長?」
 上目遣いで、施設長は事務長の顔色をうかがう。
「新しく五人も入って下さいましたし、とりあえず大丈夫なのではありませんか?」
「本当にそう思いますか?」
「ええ。……だって五人とも『介護についてもっとよく知りたいから』と言って、私の携帯番号を聞いてきたり、食事を一緒にしようと誘ってきたりするほど熱心ですし……」
 本心から、介護に熱心な新人たちと思っているということが、寿美花にも事務長にも伝わった。
 事務長は青筋を立てるように怒っていたが、目の前の施設長の様子を見て、がっくりと肩を落とした。
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