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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第24話

 ふいに介護職員のひとりが、こちらに気づいた。同時に事務員も気づいて、受付を済ませてくれた。なんとなく興を削がれたような空気が流れ、事務長の正論と施設長の懇願に押し切られて、渋々といった様子で、介護職員たちは引き下がっていった。
 無言で事務室を出て来た寿美花は、直次の手を引いて、食堂へと歩いていった。彼女の手はかすかに震えていた。食堂の片隅に腰を下ろし、お茶を用意してくれた。その頃になってようやく落ち着いてきた寿美花は、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい、直次くん……わたし、この前酷いことを言っちゃって……」
「いや……それは俺のほうだよ! 悪かった。……なんていうか、俺は古武術や兄貴のことになると、冷静さを失うことがあるんだ」
 ひとしきり謝ると、互いにお茶を飲んだ。冬に熱いお茶を飲んだことで、ほっと息を吐き、少し落ち着いてきた。
「……さっきは直次くんが来てくれて良かった。もし……あのまま……」
 寿美花は怖い想像をしたかのように、ぶるっと身を震わせた。
「あのまま集団で退職、なんてことになってたら、大変なことになってたわ」
「……その……想像以上に、深刻みたいだな。人手不足ってのは」
「ええ……でも、どうしようもなくて……」
「じゃあさ、留吉おじいさんとかに相談してみたらどうだ?」
「……え?」
「留吉おじいさんに限らないけど、お年寄りってのはそれだけ人生経験が豊富なわけだろ? 寿美花や俺の何倍も生きてるし」
 まさか利用者である入居者に相談するという案は寿美花には浮かばなかったらしい。かなり驚いた様子だったが、
「そうね。だめもとで相談してみましょうか」

「なら、話は簡単ぢゃ。魅力的なチラシを作ればいい」
 留吉老人の居室には、留吉老人と伊藤老人のふたりがいた。ふたりは伊藤老人の私物のノートパソコンで動画を見ていたらしいのだが、直次と寿美花が相談を持ちかけると親身になって話を聞いてくれて、そう助言した。
「魅力的なチラシ……ですか?」
 直次は半信半疑と言った様子で聞き返した。寿美花も訝しげな顔をしている。
「そうぢゃ。わしが手品師ぢゃった頃もポスターなどといった宣伝は大事ぢゃった。ほれ、うちに孫がいて、当時一緒に舞台に立っていたこともあると言ったことがあるぢゃろう?」
「え、ええ……そんな話を霊園で聞きましたね」
「いくらダンディーなわしとはいえ、わしひとりよりも、可愛い幼い孫とのコンビのほうが、ずっと観客が集まり、受けも良かったんぢゃよ」
 なるほど、と直次はうなずいた。
「つまり、手品の内容自体は同じでも、宣伝の仕方によって全然違うってことですか?」
「そうそう、そういうことぢゃ。……ほれ、伊藤さん、話は聞いておったぢゃろう? わしの秘蔵コレクション『西園寺初依』フォルダを開放していいから、適当にチラシの原案を考えてくれんか?」
 無言で伊藤老人は、マウスとキーボードを素早く操作した。およそ六十を過ぎた老人とは思えない素早さだ。
 やがて、伊藤老人は満足のいくチラシの原案が出来たらしく、こちらに向けた。
『美人施設長(未亡人)のもとで働いてみませんか?』
 というキャッチコピーが目についた。そして、なぜか寿美花のセーラー服を着た、寿美花の母、西園寺初依がカメラ目線で微笑んでいる。
「なっ! なんでママが、わたしのセーラー服を着ているのよ!」
「それはフォトショぢゃよ。実際は寿美花ちゃんのセーラー服姿の写真と、苑長先生の普通の写真と二枚あって、首をすげ替えただけぢゃ。ま、いわゆる『あいこら』とかいうのと同じぢゃのう。ちなみに注文したのはわしぢゃが、デジカメによる撮影とフォトショを使ったのは伊藤さんぢゃ」
 直次は、ノートパソコンの前に座る眼鏡の老人を見つめた。ハイテクなじいさんだな、と呆れ半分、感嘆半分といった気分だった。
「伊藤さんならパソコンが趣味ぢゃから、このくらいお手のもんぢゃわい」
「おっ。何かおもしれぇことやってそうじゃねぇか?」
 たまたま通りかかった、ひとりで車椅子で移動していた禿頭の老人が声をかけてきた。にこにこしながら部屋に入ってくる。そして、苑長先生のセーラー服姿のチラシを見て、目尻に涙を浮かべるほど笑った。
「くぅーっ! 美人だねぇ。もっと若けりゃ、おいら結婚してたのに。俺の一億円で一戸建て建ててよ、そんでもって毎日楽しく暮らすってわけよ」
 冗談とも本気ともつかない口調で言う。
「一億円も貯金があるんですかっ?」
 直次は驚いた。
「おうよ。コツコツと若い頃から貯めてたからな。どうも金を使うってことが苦手でなぁ。……どうだい、兄ちゃん、俺も老い先短いじじいだ。俺が死んだら、一億円譲ってやろうか?」
「えっ? 本当に?」
「これこれ、新一さん。この直次の坊主は、まだ老人ホームに慣れておらんのぢゃ。からかうのもそのくらいにしてやりなさい」
「なんでぇ、別に俺の金を誰にやろうが関係ねぇじゃねぇか」
「やれやれ……また新一さんの悪い癖が出たわい。『一億円やるやる詐欺』。そもそも一億も資産があるなら、特養には来ないぢゃろうが」
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