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みんなのSUMIKA

ジャンル: 現実世界(恋愛) 作者: そばかす
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第23話

 直次が近づいて声を掛けると、「ん?」と留吉老人は、こちらを見つめた。
「おお! いつぞやの肝っ玉の小さい小僧ではないか!」
「誰が肝っ玉が小さい小僧ですか……」
 一応、年上相手ということで丁寧語でしゃべっているが、直次の顔は微妙に引きつっている。
「何を言うか、ちょっと『ワッ!』と驚かした程度で、浴槽に直行するようなもんは、肝っ玉が小さい小僧扱いで十分ぢゃ、のう、伊藤さんや?」
 伊藤老人は、無言でパシャリと、こちらにデジカメを向けてシャッターを切った。そのまま特に返事もせず、近くの木に止まった、つがいらしき鳥にデジカメを向けている。とてもマイペースな人だ。
 そんな伊藤老人に慣れているらしく、留吉老人はこちらに話を振った。
「で、何をしておるんぢゃ?」
「ランニングです」
「ほほう。感心なことぢゃ。……ぢゃがな、お主はむしろ肉体よりも精神を鍛えるべきかもしれんぞ?」
「大きなお世話ですよ! だいたい老人ホームで、高齢者が、血を口と鼻から流していたら誰だって驚きます! お化け屋敷で落ち武者の幽霊が出るのとは訳が違うでしょう」
「まぁ、りありてーはあるのう」
 横文字を言いにくそうに口にした留吉老人は、後ろを振り返り、車椅子を押してくれる人に向かって言った。
「時間も押していることぢゃし、とりあえず墓へ向かおうか」
 留吉老人と伊藤老人は並んで坂を登り始めた。直次も車椅子の速度に合わせて歩くことにした。
 好地山家の墓に参った後、好地山留吉は呟くように言った。
「ここにはわしの妻が入っておるが、わしの息子が入ることはないぢゃろうな。孫は入るかもしれんが」
 なんとなく話を聞いて欲しそうな雰囲気だったので、質問を投げかけた。
「息子さんとお孫さんがいらっしゃるんですか?」
「孫はおまえさんより十歳くらい年上ぢゃよ。年老いた父と幼い娘を置き去りにして失踪した実の父を反面教師として、非常に頑張っておるらしい……頑張りすぎてなければよいが……」
 急に留吉老人が老け込んだような気がして、直次はとっさに浮かんだ質問をした。
「お孫さんも手品師なんですか?」
「いや、おーえるぢゃよ。……孫も幼い頃はわしと一緒に舞台に上がっておったが、わしの最後の舞台となった手品での失敗を見てしまったからのう。ちょっと大がかりな手品をして、失敗してしまい、わしは骨折してしまったんぢゃよ」
 留吉老人は右足を上げ、ぽんと、手で叩いた。
「もう骨折は治っとる。ぢゃが、その時のことが原因で足腰が弱ってしまって、歩くのが億劫になってしまってのう。ま、歩けなくなるということが、老いのひとつの分岐点ぢゃな。歩けないということは、ひとりでトイレに行くことが難しくなるということ。まったく歩けないというわけぢゃないが、面倒臭がりなんでのう」
 真剣に聞いたものの、相づちさえ躊躇われるような内容だった。自分の息子や孫、その失踪や老いや骨折……そのどれもこれもが、まだ十代の直次とは無縁の世界だった。ただきちんと聞くように努力だけはした。
「フッ……」
 留吉老人がかすかに笑った。
「寿美花ちゃんは、なかなか人を見る目があるのう。ま、ぎりぎり及第点ぢゃな」
「は……何がですか?」
「年寄りの愚痴混じりの長々とした話にも付き合う。それなりに、おぬしに見所を感じたということぢゃよ。小僧を撤回してやろう。なんという名ぢゃったかな?」
「日向直次です。っていうか、以前にも名乗りましたよね?」
「フォッフォッフォッ。悪いのう、聞き流しておった。どうせすぐにいなくなるぢゃろうと高を括っておった。たまに老人ホームに、苑長先生や寿美花ちゃん目当てでやって来る不届きなボランティアという皮をかぶった狼も現れるからのう」
 苑長先生とは、寿美花の母親のことだ。確かに美人親子と言っても違和感はまったくない。なんとなく、留吉老人が初対面の時あのような真似をした真意がわかったような気がした。彼なりに寿美花やその母を心配して、悪い虫がつかないように牽制しているつもりなのだろう。
「直次の坊主、おぬし、なぜ老人ホームに来ない? 寿美花ちゃんに会っておらんのぢゃろう?」
「えっ?」
「違うのか?」
「……いや、そのとおりです。会ってません。ここ二日間」
「ならば、一緒に老人ホームに行こう。わしらも悠寿美苑に戻るからのう。寿美花ちゃんは、おぬしのことを気にかけておるようぢゃよ?」

 悠寿美苑に着いて寿美花に会ったら何と言おうか? ……謝るべきだろうな。じゃあ、なんと言って謝ろうか? などと考えていたが、それは玄関に入った時点でかき消された。
 玄関脇にある受付も兼ねている事務室の中で、事務服を着た女と、エプロンをつけた女たちとが、口論していた。そのあいだで、おろおろとしているのは、寿美花の母で、彼女のそばには寿美花がいた。
 どうやら介護職員たちが、いよいよひとり当たりの負担が増えてきたことに嫌気が差して、直訴しに来たらしい。それに対して、事務長が反論しているようだった。
「ま、まあ……お茶でも飲みましょう、皆さん? 落ち着いて、ね?」
 などと寿美花の母は主張しているが、施設長であるはずの彼女をそっちのけで、事務長と介護職員とが意見を戦わせている。
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